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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

属国意識・服従意識 2/2  

2020-11-11 11:56:27 | 文化

 

>決して、権利・義務の関係ではない。

 

これは、横社会のメンタリティですね。   

 

>ルール遵守の法治主義でもなく”恣意的な超法規主義”。 

 

そうですね。恣意的ですね。   

自由とは、意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。そして、恣意がある。恣意の自由は何処の国でも認められていない。’自由のはき違え’ となる。だから、昔からの ’不自由を常と思えば不足なし’ のままでいる。 

欧米人は哲学と意思により行動を説明する。日本人には、哲学と意思がないので、人の行為を ‘建前と本音’ を使って説明する。建前は (口実・言い訳・言い逃れ) である。本音は、(私意・我儘・身勝手) である。だから、現実の中に行為がうずもれて低俗な感じは避けられない。意思は未来時制の文章内容になるので意味があるが、恣意はバラバラの単語 (片言・小言・独り言) のままで存在するので意味がない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本人には、恣意疎通 (阿吽の呼吸・つうかあの仲) があって、意思疎通 (相互理解) がない。恣意 (腹) の探り合い (談合) があって、意見の交換 (議論・対話) がない。恣意決定 (盲目の判断) があって、意思決定 (理性判断) がない。だから、日本人の責任者は説明責任が取れない。未来時制の内容はないから一寸先が闇である。危険が一杯である。お変わりのないことが何よりなことである。だから、建設的な提言はできない。   

 

>  法律無視で、傲慢な、菅政権や官僚たち、行政の振舞を見れば納得がいく。

 

日本人にはリーズン (理性・理由・適当) が無いので、アンリーズナブル (理不尽) に事を進めます。  

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実の内容を批判すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になる。批判精神のない人の文章は、現実の内容の垂れ流しになる。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。マスコミも現実の内容をただ垂れ流す。だから、個性がない。個人主義が理解できない。本人にも相手にも何を考えているのかわからない。だから、相手からも信頼されない。協力者が得られない。社会に貢献する度合いが限られる。   

 

>  現在、”服従の哲学”を有効ならしめているのが、権力による”情報独占”と”超法規的な生殺与奪権”である。>本質的には”システム”(官僚等)独裁である。

 

そうですね。国民には、ただ大本営発表だけがある。

日本人は政治にそれほど関心がないのに政府に依存し、国からの発言を待っている’。 (ウスビ・サコ)    

 

>  直接的な”服従の哲学”の推進者は、官僚支配のもと、マスメデイアと検察(裁判所はオプション?)だろう。

 

序列社会における垂れ流しの人間が服従の推進者ですね。  

 

>  ”服従の哲学”から抜け出す第一歩は、”真実を知る””公然と意義を唱える””行動する”だろう、と思う。  

 

日本人には現実直視が必要ですね。世界観と批判精神も必要ですね。   

 

>  マスメデイアの情報独占に対して、本掲示板や、阿修羅、岩上サイト(IWJ)などネットメデイアが、風穴を空けつつある。 >”日本のアルジャジーラ”の出現ももうすぐだろう。 >  我々も”静かな日本人”のまやかしに乗ることなく、”意義を唱え””繋がり””行動”を広げていきましょう! 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に力を合わせることも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

 

>-----------------------------------終了 

 

 

 

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属国意識・服従意識 1/2  

2020-11-11 11:30:13 | 文化

 

>257341 骨身に染み付いた日本人の属国意識=服従意識とは

> 彗星 ( 中年 )  11/10/03 PM05 【印刷用へ】 

>[植草事件の真相掲示板]より『雑感(リンク)』を紹介します。

(略)

>-----------------------------------転載

> 「日本/権力構造の謎」(カレル・ヴァン・ウォフレン著、早川書房)を読んでます。>やっと”上”が終わって、”下”に入ったところ。まさに名著です。これは必読書ですね。 

 

彼は知日派ですね。   

 

> 「何故に日本人は権力に対して、トコトン従順なのか?」と言う疑問に応えてくれています。  

 

それは日本人が序列人間だからでしょう。  

 

>  歴史をさかのぼっての膨大な資料に基づく、論理的な視点での分析、日本人には書けない内容だと思います。  

 

日本人は不勉強ですからね。日本の研究で業績を上げるには、日本の大学にいては博士号も取れない。博士になる為には外国の大学に行かなくてはならないほどでしょう。   

‘(略) しかしいったん、大学に入れば、控えめに表現しても、成績と出席の基準はたるんでいる。大学を含め、日本の子供たちが習うものごとの中核は、主として十八歳までに吸収される。’ (フランク・ギブニー)   

 

>  私が今一番感じている言葉は、「儒教をベースにした”服従の哲学”」が日本人の意識の底にあること。

 

中国人の上下観 (朱子学) と日本人の階称 (言葉遣い) が強固に結合していますね。格物致知修身斉家治国平天下。    

 

>  そして、中国のように”革命につながる天命思想”が欠如していること。どちらかと言うと、朝鮮・韓国のコテコテの儒教思想の”二番煎じ”が日本人の生活哲学にあること。 

 

序列人間には革命が難しいですね。   

 

>  韓流(王朝物)で、必ず、問題が発生したときに、臣下が一番に発する言葉が”私を殺して下さい”である。>「親に孝、君に忠」が色濃く出ている、”服従哲学”である。

 

序列人間のメンタリティによるものですね。   

 

>  私も長年サラリーマン生活をして来たが、結局はインフォーマルな”人間関係”で事を解決することが多かった。  

 

なれ合いですね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。  

 

>  それも理屈抜きの”主従的な関係”を活用することも多かった。>それが嫌で仕方なかったが、やむを得なかった。 

 

序列社会の慣例ですね。  

 

>  「日本/権力構造の謎」は、本当に日本人の意識の底にある、行動原理、生活哲学を的確にえぐり出している。

>  今、福島原発事故で、とてつもない災厄に見舞われている”日本人”、海外(本当は日本のマスメデイア)から”冷静で秩序を乱さない行動”と褒められている。>  一方、無能無策で、公然と犯罪的行為を繰り返す菅 [直人] 政権、これにも”冷静?”な日本人。   

 

日本人には意思 (will) がない。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。生きる力 (vitality) が不足している。困った時には '他力本願・神頼み' になる。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)     

 

>  これらは、私たちの意識の根底に、”服従の哲学”が染みついているからなのだ。  

 

そうですね。日本は序列社会で成り立っていますからね。   

日本語には階称 (言葉遣い) というものがある。だから日本語を発想する場合には、‘上と見るか・下と見るか’ の世俗的な判断が欠かせない。上下判断 (序列判断) には、通常、勝負の成績が用いられる。近年では偏差値なども都合の良い資料として利用されている。

日本人の礼儀作法も、服従の哲学に基づいている。だから、序列なきところに礼儀なしである。

礼儀正しい日本人になる為には、世俗的な序列順位を心得ている必要がある。'人を見損なってはいけない' という想いが強迫観念の域に達していて堅ぐるしい日常生活を送っている。日本人の尊敬は、序列社会の序列順位の表現に過ぎないため、個人的精神的な意味がない。だから、日本人の尊敬には浅薄さが付きまとう。    

 

>決して是認できることではない。 

 

同感です。

 

>  また、同署では、”服従の哲学”が繰り返し染みつくように、日本社会の仕組み”システム”が作られている、と言う。

 

日本人には、上下判断 (序列判断) しかありませんから、服従の哲学の繰り返しになりますね。  

   

>  それは、国民に真実を知らさないこと、異を唱える人間を仲間外れに(或いは抹殺)すること。

 

そうですね。日本人には、個人的な現実直視ができませんからね。日本人の世の中はご唱和の世界ですから ’人の振り見て我がふり直せ’ です。着眼点が違いますね。         

 

>  そして、権力者と国民の関係は、”権力者の慈悲で、国民が恩恵を享ける”関係である。

 

そうですね。縦社会のメンタリティ (考え方) によるものですね。 

 

 

 

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