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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

幸福度ランキング  

2024-08-31 16:27:45 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >「ひろゆきさんは日本が嫌いなんですか?」→意外な答えに目からウロコが落ちた!   >ひろゆき、根本和彦によるストーリー・   >5時間・   

>幸福度ランキングにおいて、フィンランドが7年連続で世界1位となる一方、日本はなんと51位。   

>そして、2位デンマーク、3位アイスランドと、上位は北欧の国々が独占している。   

>日本が北欧福祉国家のように幸せになれないのはなぜなのか?   

>問題点を“論破王”が解説する。   

>本稿は、ひろゆき著、根本和彦監修『税弱な日本人からふんだくるピンハネ国家の不都合な真実』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。   

>日本の人口は年間約80万人減少 与党は現政策を見直すべき   

> YouTubeで会議などをやっていると、よく「ひろゆきさんは日本が嫌いなんですか?」という質問をされることがあります。   

> おそらくこういう人が言っている日本とは、日本という国土の上に日本民族が住む国のことだと思います。   

>ただ、僕は長期的に見れば、日本という国にアメリカ人や中国人が住んでもいいと思っています。   

> なぜなら、今の少子化によって、その日本民族が年間70万~80万人くらいは減っているからです。   

80万人というと、だいたい山梨県の人口と同じくらいです。   

>また、太平洋戦争のときには3年半余りで310万人くらいの日本人が死んでいるんです。   

1年に換算すると約80万人になりますので、例えは悪いかもしれませんが、現在では太平洋戦争の頃と同じくらい日本人の数が減っているということです。   

> それだけ多くの日本人を減らしている原因は、自民党と公明党が行っている政策です。   

>与党の政策の結果として、子どもが増えずにひたすら減少しているんです。   

> だから僕は、もし長期的に日本民族が住む日本という国を維持したいと思うのであれば、今の政府のやっている政策は間違っているんじゃないですか、ということを指摘しています。   

> あるいは、もし政策が変わらないのであれば(実際、変えることは難しいと思いますが)、単一民族に近い国ではなく、外国人が居住してもいいのではないかと思うのですが、日本からかなり離れたフランスに住んでそういうことを言うと、なぜか「日本嫌い」と言われてしまう謎の状況に陥っているのです。   

 

日本嫌いな人ならば、外国に移住したら良いですね。   

   

>フィンランドの国民が 「幸せ」な理由   

> 国連の持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)が2024320日に発表した「世界幸福度報告書」によれば、世界の生活満足度において、フィンランドが7年連続で幸福度ランキング首位となりました。   

> 日本は51位、前回15位の米国は23位でした。   

>また、2位はデンマーク、3位はアイスランドと、上位は北欧の国々が独占しています。   

> 北欧の国々が生活の満足度が高く、日本が低い原因はいろいろあると思います。   

> 僕なりに分析すると、まず、フィンランドには私立の学校がほとんどありません。   

> 日本では、私立の有名校はよい学校で、たとえば慶應の幼稚舎から慶應大学に進むのがエリートだとか言われます。   

 

日本は序列社会ですからね。学校はエリート (序列順位の高い人) を作る為の仕掛けになっています。   

 

>一方で、偏差値があまり高くなくて比較的容易に入れるような公立の大学などはあまり評価されません。   

> ところがフィンランドでは、日本のように大学が知名度やブランドで分け隔てされることがありません。   

 

当地では序列社会の仕来りが見られないという事ですね。   

 

>皆どこの大学へ行っても同じように一生懸命勉強します。   

> フィンランドでは、学校の先生になる人は皆、大学院卒の修士です。   

>日本の場合、大学の学部卒でも教員にはなれますが、フィンランドでは大学院を出ていないと教員になれないのです。   

 

そうでしょうね。高度の職業人を育成するためには大学院教育が不可欠ですね。   

 

> 大学院を出ているというだけでなく教養もあり、たとえば子どもたちからどんな質問をされても答えることができます。   

> フィンランドの学校では宿題がなく、子どもたちが好奇心や興味を持った分野を伸ばすことに力を入れています。   

>極端な話、授業中に生徒が木登りがしたいと言えば、実際に木登りをやってしまったりします。   

>そこでどういう木が登りやすくて登りにくいか、木登りがうまい人と下手な人の違いはどこにあるのか、この木に生息している昆虫は何なのか、といったアプローチから子どもたちの好奇心を引き出していくのです。   

> そういうとき、日本の先生は、たとえば歴史の担当だったら、生物のことを子どもから聞かれても答えられないのです。   

 

そうですね。日本の先生は受け売りが仕事ですからね。ほとんどの日本人は思考を停止しています。      

 

>しかしフィンランドの先生は、だいたい子どもの質問にまんべんなく答えられるような教育を受けています。   

>もしわからない場合でも、詳しい人に聞いてみようとか、本で調べてみようとか、調べる方法を知っていて、それを子どもに教えるのです。   

>北欧は大学も無償なので奨学金などは必要ない   

> また、日本の教育では、国語、英語、数学、社会、理科など、すべての科目でよい成績が取れることを目指します。   

>そうしなければ大学に入れないし、大学に入れないと給料の高い会社にも入れず、苦労しなければならないという恐怖感から、興味のない科目も一生懸命勉強して、お金がなくても奨学金をもらって大学に入ることを目指します。   

 

我が国の教育は偉い (序列順位の高い) 人を作る為の教育ですからね。日本人には没個性の競争が必要ですね。個性的な競争は不公平であると考えられています。      

 

> 一方で北欧の人たちは、得意な科目は1つか2つあればいいんじゃないのという考え方なのです。   

 

好きこそ物の上手なれですね。雪舟の様な人のことでしょうね。      

 

> 大学も無償なので奨学金などは必要なく、勉強したい人は大学に行き、勉強よりもパンを焼くほうが好きだという人は、大学に行かずにパン屋になります。   

>パンを焼いたり洋服のデザインをしたりするのに大学は必要ないと思えば行かないし、やっぱり店を開くためには経理の勉強もしておきたいという人は、その時点で大学に行っても構いません。   

> もちろん経済なり金融の勉強がしたいという人は、大学に行って専門の勉強をします。   

>目的を持って入学するので、一生懸命勉強して高度な知識を身につけ、社会に出て銀行に入ったときには優秀なバンカーになっています。   

> 日本の場合、一度高卒で仕事を始めて、途中で何か別のスキルの必要性を感じて大学に行きたいと思っても、そこから大学に入り直すためには、相当なエネルギーを必要とします。   

 

そうですね。我が国は序列制度の国ですからね。日本人は自己の序列を離れたら根無し草になりますね。   

 

> つまり日本では、やり直すということが簡単にできず、そのため、やりたくない仕事でもなかなか辞めることができないのです。   

 

我が国では何事にも忍耐が必要ですね。不自由を常と思えば不足なし。      

 

>無職でも生活が保障される不幸な人を作らないシステム   

> それからもう1つ、フィンランドをはじめとする北欧の国々の特徴として、「無職になっても食いっぱぐれない」ということがあります。   

> 福祉国家なので、仕事を辞めても無職の間は失業手当が出るし、失業している最中に職業訓練学校などに行けば、その手当も出ます。   

> そのためか、僕が聞いた限りでは、フィンランドにはいわゆる「ブラック企業」がないらしいのです。   

>日本の場合は、仕事を辞めると1年間は失業手当が出ますが、その後は収入のあてがなくなってしまいますので、なかなか仕事を辞めることができません。   

>その結果、ブラック企業にいつまでもしがみついて、挙げ句の果てには体調を崩したり、心を病んでしまったりするのです。   

 

我が国はメンバーシップ型雇用ですからね。社員は社畜生活を送りますね。   

 

> しかし、フィンランドの場合は、ブラック企業でとても仕事をやってられないという場合には、いつでも辞められますし、また解雇も怖くないので、違法な会社があればすぐに通報します。   

> そしてブラック企業はどんどん淘汰されていくのです。   

> フィンランドに限らず、北欧の国々は得てしてこのような感じです。   

 

北欧では生活できないと凍死しますからね。   

 

>社会のシステムが、不幸な人を作らない方向で動いているのです。   

 

国民の大多数が希望するなら、わが国でも北欧と同じ制度でやったらいいですね。誰か音頭をとる政治家は居ないのかな。猿真似はわが国の得意とする所ですからね。      

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)        

 

 

 

 

 

 

 


立憲民主党代表選  

2024-08-31 11:07:26 | 文化

>朝日新聞デジタル   >野田元首相、小沢氏に代表選出馬を報告 小沢氏は来週に態度決定   >朝日新聞社によるストーリー・   >14時間   

> 野田佳彦元首相(67)は30日、国会内で小沢一郎衆院議員(82)と会談し、立憲民主党代表選(97日告示、23日投開票)への立候補表明を報告した。   

>小沢氏は来週、自身が率いる党内グループ「一清会」の会合を開き、代表選への対応を決めると応じた。   

 

派閥政治ですね。   

 

> 代表選をめぐり、野田、小沢両氏は7月に2回会食し、意見交換を続けている。

 

飲食政治ですね。   

 

>関係者によると、野田氏はこの日、「ご指導、よろしくお願いします」と伝えたという。   

>小沢氏は、野田氏が29日に千葉県習志野市のJR津田沼駅前で出馬表明したことについて、「駅頭での表明で、びっくりした」と感想を語ったという。   

> 小沢氏はこれまで、野田氏のほかに、枝野幸男前代表(60)や馬淵澄夫元国土交通相(64)、江田憲司元代表代行(68)らとも会談。   

 

立憲民主党の代表選は賞味期限切れの人材ばかりですね。いったんトップを退陣した者が復帰するような組織は硬直しますね。   

ましてや枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』でしょう。日本人には意思が無い。だから、日本人には加害者意識 (罪の意識) がない。深い反省に陥ることも無く何時も天真爛漫としている。そして過ちを繰り返す。      

 

>泉健太代表(50)以外の候補者の中から推す人を決めるとしている。   

 

老人政治ですね。古いものなら何でもある。若者は政治の中心から外れていますね。これでは我が国は時代に取り残されますね。     

 

>(松井望美)   

 

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)     

 

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

 

 

 

 


非常に絶望的  

2024-08-31 09:52:11 | 文化

>東スポWEB   >山本太郎氏 立憲民主党代表選に「非常に絶望的」「終わった祭り」   >東スポWEBによるストーリー・   >16時間・   

>れいわ新選組の山本太郎代表が30日、国会内で不定例会見を開き、立憲民主党代表選(9月7日告示、23日投開票)について言及した。   

>代表選をめぐっては、これまでに枝野幸男前代表と野田佳彦元首相が立候補を表明。   

>感想を求められた山本氏は「揃っている顔ぶれは何かというと、過去の遺物みたいな人たちが手を上げてしまっている。   

 

枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』ですね。    

 

>残念ながら」と斬り捨てた。   

>過去の遺物と表現した理由について「自民党のコピーみたいなもの。   

>自民党のややハト派が集まったというような状況が手を挙げている」と説明。   

>「一番ヤバいのは自民党」としたうえで「反社会的勢力というのが自民党。   

>泥棒であり強盗であるのが自民党。   

>事実上、その下地を作ったという過去の民主党時代の黒歴史的なものがありながら、その者たちがまた手を挙げてしまっているのが非常に絶望的だなと思う」と悲観した。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識 (罪の意識) というものが無い。だから深刻な反省に至らない。戦犯も常に天真爛漫とした顔をして再出発。態度が改められないので過ちを繰り返すことになる。      

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

>続けて「庶民の首を絞め、中小企業を潰しまくるというような消費税をさらに拡大していくことを予告するような者たちに一体、何を期待しろと言うのか。   

>自民党総裁選と並んで期待できない。   

>終った祭り。   

>死人を甦らせるためのお祭りでしかない」と表現した。   

 

そうですね。我々は進歩の無い国民ですね。反省の無い人間は恐ろしい。       

 

>「景気が悪い時に消費税を増税するバカな国1つもないんです。   

>逆に減税するんですよ。   

>日本だけですね。   

>それを主導したという意味でかなり罪深い」と断罪。   

>「自民党が日本を壊したことは間違いないけれども、民主党も日本を壊したことは間違いない事実」とまくし立てた。   

 

そうですね。自民党と民主党は同じ穴の狢ですね。日本人は狢ですかね。   

意思のない世界では社会の動きは頓挫する。いつまでたっても未来社会の建設には至らない。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

意思のある所に方法 (仕方) はある。Where there's a will, there's a way.  

求めよさらば与えられん。 (自ら積極的に求める態度が必要であるという事)  

 

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)