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非常に絶望的  

2024-08-31 09:52:11 | 文化

>東スポWEB   >山本太郎氏 立憲民主党代表選に「非常に絶望的」「終わった祭り」   >東スポWEBによるストーリー・   >16時間・   

>れいわ新選組の山本太郎代表が30日、国会内で不定例会見を開き、立憲民主党代表選(9月7日告示、23日投開票)について言及した。   

>代表選をめぐっては、これまでに枝野幸男前代表と野田佳彦元首相が立候補を表明。   

>感想を求められた山本氏は「揃っている顔ぶれは何かというと、過去の遺物みたいな人たちが手を上げてしまっている。   

 

枝野や野田は民主党政権を潰した『戦犯』ですね。    

 

>残念ながら」と斬り捨てた。   

>過去の遺物と表現した理由について「自民党のコピーみたいなもの。   

>自民党のややハト派が集まったというような状況が手を挙げている」と説明。   

>「一番ヤバいのは自民党」としたうえで「反社会的勢力というのが自民党。   

>泥棒であり強盗であるのが自民党。   

>事実上、その下地を作ったという過去の民主党時代の黒歴史的なものがありながら、その者たちがまた手を挙げてしまっているのが非常に絶望的だなと思う」と悲観した。   

 

日本人には意思が無い。意思の無い人間には加害者意識 (罪の意識) というものが無い。だから深刻な反省に至らない。戦犯も常に天真爛漫とした顔をして再出発。態度が改められないので過ちを繰り返すことになる。      

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

>続けて「庶民の首を絞め、中小企業を潰しまくるというような消費税をさらに拡大していくことを予告するような者たちに一体、何を期待しろと言うのか。   

>自民党総裁選と並んで期待できない。   

>終った祭り。   

>死人を甦らせるためのお祭りでしかない」と表現した。   

 

そうですね。我々は進歩の無い国民ですね。反省の無い人間は恐ろしい。       

 

>「景気が悪い時に消費税を増税するバカな国1つもないんです。   

>逆に減税するんですよ。   

>日本だけですね。   

>それを主導したという意味でかなり罪深い」と断罪。   

>「自民党が日本を壊したことは間違いないけれども、民主党も日本を壊したことは間違いない事実」とまくし立てた。   

 

そうですね。自民党と民主党は同じ穴の狢ですね。日本人は狢ですかね。   

意思のない世界では社会の動きは頓挫する。いつまでたっても未来社会の建設には至らない。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

意思のある所に方法 (仕方) はある。Where there's a will, there's a way.  

求めよさらば与えられん。 (自ら積極的に求める態度が必要であるという事)  

 

日本人は思考を停止している。それで、自分自身の意見を持たない。マスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら情報を流しても、それが社会の木鐸 (世人を教え導く人) の役割を果すことはない。   

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)    

 

 

 

 



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