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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

山上信吾氏  

2024-08-16 00:52:24 | 文化

zakzak      >長崎市長の愚挙と日本政府の大失態 平和祈念式典を原爆とは無関係の政争の場に 地方首長として出過ぎた越権行為   >1時間・   

>長崎で9日、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。   

>長崎市(鈴木史朗市長)は不測の事態発生のリスクを懸念し、イスラム原理主義組織ハマスと戦闘中のイスラエルの駐日大使を招待しなかった。   

>これに対し、日本以外のG7(先進7カ国)とEU(欧州連合)の大使らは、イスラエルを、ウクライナ侵略のために式典に招かれないロシアやベラルーシと同列に扱うとして式典を欠席した。   

 

真の不測の事態は、鈴木史朗市長とG7の着眼点の違いですね。   

 

>「長崎市長の愚挙」「日本政府の大失態」という前駐オーストラリア日本大使、山上信吾氏が緊急寄稿した。   

>前駐オーストラリア日本大使・山上信吾氏緊急寄稿   

>開いた口が塞がらない。   

>最大の問題は、平和祈念式典を原爆とは無関係の「政争の場」にしてしまったことだ。   

 

そうですね。   

 

>7万人を超える無辜の市民が亡くなった米国による長崎原爆投下。   

>犠牲者に哀悼の意を表し、二度と原爆の惨禍を招かない決意を確認するため、できるだけ多くの参加を求めるべきは言を俟たない。   

>ところが、長崎市は、広島の式典には招待されたイスラエル大使を排除した。   

>原爆投下の是非をめぐる議論でも、核廃絶の方途でもなく、ガザ戦争をめぐる政争なのだ。   

 

鈴木史朗市長には、侵略国と被侵略国の区別ができていませんね。   

 

>第2に、不招待の理由の政治的偏向だ。   

>治安を理由に挙げるのであれば、「広島よりも長崎は危ない」と市長自らが認めるのか?    

>ガザ戦争のもう一方の当事者であるパレスチナ代表はなぜ出席できるのか?   

>G7大使らが反発した通り、本当の理由は「ガザ戦争におけるイスラエル批判」と受け取られても仕方ない。   

 

国際情勢に関して鈴木史朗市長が各国代表を選別するのは良くないですね。選別が国際問題になりますね。   

 

>外交は国が行うべきことを踏まえると、地方首長として出過ぎた越権行為に他ならない。   

 

国際問題になると考えられる事案については、あらかじめ政府・外務省に打診すべきですね。  

 

>第3に、なぜ政府・外務省は、長崎市の対応を見過ごしたのか。   

>上川陽子外相は記者会見で、外務省として「国際情勢を説明していた」と語った。   

>だが、説明すべきはイスラエルを招待しないことの非と、予想された米国などの反発であったはずだ。   

 

そうですね。アングロ・サクソンの文化は、12歳に少年には考え付かない事かもしれませんね。      

 

>実際、米国の有力ユダヤ人団体は7月中旬、抗議書簡を駐米日本大使に発出していた。   

>政府・外務省として懸命に是正を求めるべきだった。   

 

そうですね。鈴木史朗市長の判断は、わが国の政府・外務省の長年にわたる努力に大打撃を与える暴挙ですね。      

 

>「長崎市の判断」(林芳正官房長官)との言い訳は国際的に通用しない。   

 

そうですね。長崎市の判断は筋の通らない自由ですね。我が政府との意見の違いは核心的な国益に反していますね。         

 

>第4に指摘すべきは、イスラエルの国柄である。   

>勉強熱心で家族思い、ホロコースト(ナチスのユダヤ人虐殺)を経験したイスラエルは「親日国」である。   

>そして、日本人同胞の良き伴侶、友人、ビジネスパートナーにユダヤ系が圧倒的に多いことは、海外で暮らす日本人には常識だろう。   

 

その通りですね。    

 

>アジアの近隣諸国が「南京事件はアジアのホロコースト」などと歴史カードを持ち出すたびに、諫めてくれるのも彼らだ。   

>そのようなイスラエルを式典から無碍に排除する無知と不見識。   

>これこそ世紀の愚挙であり、杉原千畝(第二次世界大戦中、欧州のユダヤ人にビザを発給してナチスの虐殺から救った外交官)の功績に唾する行為だ。   

>さらに重く受け止めるべきは、米国大使の不参加だ。   

 

そうですね。最大の友好国の代表に対する我が政府の待遇がなっていない。投げやりですね。      

 

>日本の朝野(政府と民間)は長年かけて、米国大使、そして米国大統領、さらにはG7リーダーを広島に招くべく、実に息の長い取り組みを進め、ようやく実ってきた。   

 

我が国が先進7か国の一員であることは我が政府が長年かけて国際的に積み上げた努力の成果ですね。   

 

>それなのに、長崎は何ということをしでかしたのか!    

 

百日の説法屁一つですね。どうして政府はこの外交の危機に関して鈴木史朗市長を説得できなかったのか。      

 

>米国大使が欠席する口実を与えてしまったのだ。   

 

国威を高めて先進7か国 (G7) に入る努力をしてきた先輩たちに申し訳が無い。やっぱりわが国の化けの皮ははがれたのか。わが国は元の木阿弥にかえったか。   

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。 

 

>■山上信吾(やまがみ・しんご) 外交評論家。   

>1961年、東京都生まれ。   

>東大法学部卒業後、84年に外務省入省。   

>北米二課長、条約課長、在英日本大使館公使。   

国際法局審議官、総合外交政策局審議官、国際情報統括官、経済局長、駐オーストラリア大使などを歴任し、2023年末に退官。   

>現在はTMI総合法律事務所特別顧問などを務めつつ、外交評論活動を展開中。   

>著書に『南半球便り』(文藝春秋企画出版)、『中国「戦狼外交」と闘う』(文春新書)、『日本外交の劣化 再生への道』(文藝春秋)。   

 

神は死んだ。もはや我々は上からの指導を必要としない。我々は、自分自身の指導者でなくてはならない。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっていた。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が存在する。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。   

 

TBSブリタニカとブリタニカ国際大百科事典を作ったフランク・ギブニー氏は、自著 <人は城、人は石垣> の中で、我が国の作家について次の様な感想を述べています。

孤立は日本式スタイルを誇る詩人、随筆家はいうに及ばず、小説家において最も顕著である。これは外国人にとっては判断をはばかられる主観的な領域である。しかし文学界で最も尊重される文章が意味を省略し、あいまいさに富み、漢字をうまく使って読ませ、文法分析家を意気揚々と悩ます一種の「気分の流れ」であることは一般に真実である (私の思考パターンは取り返しのつかぬほど西洋的なので、私は自分がスラスラ読めるような日本語の散文は深刻なまでに文学的優雅さに欠けているにちがいない、という大ざっぱなルールをとっている)(引用終り)  

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で、言葉 (ロゴス) について以下のように語っています。

、、、、、 母親が子供に「チャント・オッシャイ」という場合、明晰かつ透明 (英語ならクリヤー) に言えということでなく、発声・挙止・態度が模範通りであれ、ということである。だが、クリアーということは、原則的にいえば、その人間が頭脳の中に組み立てている言葉のことで、発声や態度、挙止とは全く関係ないのである。 、、、、、 日本では、「その言い方は何だ」「その態度は何だ」と、すぐそれが問題にされるが、言っている言葉 (ロゴス) そのものは言い方や態度に関係がない。従がって厳然たる口調と断固たる態度で言おうと寝ころがって言おうと言葉は同じだなどとは、だれも考えない。従って純然たる会話や演説の訓練はなく、その際の態度と語調と挙止だけの訓練となるから、強く訴えようとすれば「十字架委員長の金切声」という形にならざるをえない。(引用終り)     

 

日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。

 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。

 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)     

 

宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。

宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」(引用終り)