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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

玉木雄一郎代表  

2024-08-09 03:33:08 | 文化

>東スポWEB   >国民民主・玉木雄一郎代表 長崎の「原爆の日」にあたって談話   >東スポWEBによるストーリー・   >2時間・   

>国民民主党の玉木雄一郎代表は9日、長崎の「原爆の日」にあたって談話を発表した。   

>玉木氏は冒頭、「79年前の今日、原子爆弾が長崎市でさく裂し、犠牲となられた方々の生きるはずの未来が、こども達の希望に満ちた未来が、そして、当たり前の日常が、一瞬にして奪われました。   

>原爆により犠牲になられた皆さまに哀悼の誠を捧げ、心よりご冥福をお祈りいたします。   

>ご遺族の皆さま、そして、心身ともに今も癒えることのない苦しみを背負いながら生きてこられた被爆者の皆さまに心からお見舞いを申し上げます」とした。   

>核兵器をめぐる問題では日本政府に対応についてこう述べた。   

>「核による恫喝を繰り返すロシアによるウクライナ侵略が長期化し、またガザへの原爆投下を『一つの選択肢』とイスラエルの現役閣僚がインタビューに答えるなど、世界で再び核兵器が使用されるリスクがこれまでにも増して高まっています。   

>断じて容認することはできません。   

>改めて強く非難します。   

>また、アメリカの議員より原爆投下を正当化するような発言がなされています。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ 勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。) ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

>原爆の残酷さ、非人道性を次世代にも語り継ぎ、核兵器の惨禍を二度と繰り返さないよう国際社会に訴えていくことが重要です」   

 

核保有国は歌詠みには説得されませんね。むしろ残酷さを強調して相手を牛耳るつもりでしょう。     

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相     

戦って敵に勝つことが善であるならば、戦わずして勝つことは善の善である。わが国は平和国家であるから、善の善を目指さなくてはならない。我が自衛隊はその目的にたいする備えを怠るべきでない。 

'為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)   

 

>続けて「『核なき世界』の実現に向けて、さまざまな立場を超えた外交努力を進めていかなくてはなりません。   

>来年3月に予定をしている核兵器禁止条約第3回締約国会議に向けて、オブザーバー参加をし、唯一の戦争被爆国であるわが国にしか果たせない役割を果たし、核保有国・非保有国の真の架け橋を担うことを政府に求めます。   

>国際社会がわが国の取り組みを注視しています」   

>岸田文雄首相はこの日に長崎被爆体験者の方々と初めて面会した。   

>これに玉木氏は「広島では『黒い雨』を浴びた原告84人全員を被爆者と認めた高裁の確定判決により、原告以外も含めて同様の事情にあった者も広く救済するとして被爆者認定の新基準が運用されています。   

>しかし、長崎の被爆体験者の皆さまはその対象外とされています。   

>長崎と広島で認定の基準が異なることは決して許されるものではありません。   

>被爆体験者の皆さまと岸田首相の面会が、本日、初めて実現します。   

>被爆体験者の皆さまの切実な訴えを真摯に受け止め、政府には、広島同様の認定基準を長崎にも適用するよう救済措置を一刻も早く講じるよう強く求めます」と訴えた。   

>最後に玉木氏は「長崎の皆さまの『平和』への想いや『長崎を最後の被爆地』という痛切な願いを次世代に伝え続けることを我々国民民主党の使命とし、今後とも被爆者の皆さま、被爆者援護を粘り強く求め続けてこられた多くの関係者の皆さまとともに、被爆者援護施策の充実、諸課題の解決に全力を尽くすことをお誓いするとともに、併せて、被爆者の高齢化が進む中、被爆体験を風化させることのないよう、若い皆さんの『平和』への取り組みを支援してまいります」と締めた。   

 

 

 

 

 

 


鈴木史朗市長  

2024-08-09 01:58:03 | 文化

>毎日新聞   >長崎市長「むしろ紛争当事国を呼ぶべきだ」平和祈念式典で一問一答  >毎日新聞によるストーリー・   >1時間・   

> 長崎原爆の日(9日)に開かれる長崎市の平和祈念式典に、市がイスラエルを招待しないことを巡って米英の駐日大使が相次いで欠席を表明したことについて、鈴木史朗市長が8日、市役所で報道陣の取材に応じた。   

>主なやり取りは次の通り。   

>【尾形有菜、樋口岳大】   

> 鈴木市長 日本を除くG7(主要7カ国)の各国及びEU(欧州連合)から書簡があった。   

>書簡は719日の東京発で、郵送で受け取ったのは25日だ。   

> 主な内容は、イスラエル大使が式典に招待されない可能性があるとのことだが、招待しないことは結果的に、イスラエルをロシア、ベラルーシといった式典に招待されてない国々と同等にみなすことになり、遺憾で誤った印象を与える。 

 

そうですね。イスラエルをロシア、ベラルーシと同等に見なすのは良くないですね。   

 

>イスラエルが除外されれば、式典にハイレベルの参加者を派遣するのは難しくなる、ということだった。   

 

事態はまぎれもなく国際政治の問題になりましたね。   

 

> 私としては、決して政治的な理由でイスラエルの大使に招待状を発出しないのではなく、あくまでも平穏かつ厳粛な雰囲気の下で式典を円滑に実施したいという思いで今回の決定をした。   

 

平穏かつ厳粛な雰囲気は趣味の問題ですね。

趣味には論拠が無い。There is no accounting for tastes.      

だから議論において相手に無視される。

趣味が高じて身を持ち崩す虞あり。

売家と唐様で書く三代目。   

 

>大変苦渋の決断だったが、そういう考えで決定した、とこれまでも繰り返し説明している。   

 

歌詠みの国か。趣味の世界は変えられませんね。   

 

G7各国及びEUから書簡をもらい、私が説明してきた内容がまだ十分に理解してもらえていない結果と理解している。  

 

趣味にはリーズンが無いので相手の理解は得られないでしょうね。呑気なことを言っている場合ではないですよ。     

 

> 最終的には、731日にイスラエル大使に対して招待状を発出しないと決定し、発表した。   

>その後、日本を除くG7各国及びEU、イスラエルの大使や代理の方に対し、私から口頭で何らかの形で説明をさせてもらい、理解を求めた。   

> 正直、十分理解してもらえたとは思っていない。   

 

理解は無理ですね。趣味には論拠が無い。   

 

>平行線のところもあるが、引き続き必要に応じて機会を捉えて粘り強く説明し、理解を求めたい。   

 

これはノンポリ政治家の政治問題ですね。  

 

> ――各国からの書簡について、これまで公表しなかった理由は。   

> 市長 相手国の立場もあり、相手国が書簡の公表を望んでいるのか確認が取れていなかったので、あえてその存在も含めて公表していなかった。   

> ――日本政府や外務省などと相談して招待しないと判断したのか?   

> 市長 あくまでも長崎市として判断した。   

> ――外交問題に発展する可能性がある中、相談はしなかったのか。   

> 市長 外務省との間では国際情勢をはじめ、常に情報共有している。   

>事務的にもやり取りしている。   

> ――イスラエルを招待しないことを理由に英米の大使は出席しないとしているが、判断に変わりはないか。   

> 市長 あくまでも政治的な理由ではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典を実施したいという中で、不測の事態の発生のリスクなどを総合的に勘案し、判断した。   

>その判断に変更はない。   

> ――被爆者の中には「紛争当事国が関わっている中、そもそも呼ぶべきではない」といった声も強い。   

>不測の事態へのリスクというのが本当の理由なのか。   

> 市長 不測の事態(のリスク)、そして平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典を実施したいという理由だ。    

> 政治的な理由で逆に言えば、むしろ紛争当事国であるからこそ呼ぶべきだと私自身は思っている。   

 

政治は風流ではないですね。   

 

>ロシア、ベラルーシについても同様、紛争当事国を呼べないのは残念だが、呼んだことによる式典への影響を鑑み、総合的に判断して招待状の発出を差し控えた。   

> ――X(ツイッター)などで市長の判断を支持する声も目立つ。   

>改めて、なぜ式典を平穏に執り行う必要があるのか説明してほしい。   

> 市長 Xで私の投稿に対する、さまざまなコメントがあるのは承知している。   

>私の決定にサポートの意思を表明している方もたくさんいることにとても勇気づけられているが、あくまでも今回の決定は政治的な理由ではない。   

 

市長は政治家ですから、政治的な判断も必要ですね。   

 

>そういう意味で、私の真意が十分に伝わっていないところもある。   

 

リーズンが無くては真意が伝わらないですね。   

 

> 政治的な理由による判断ではないこと、平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典を実施したいという思いによることを改めて粘り強く、多くの方に理解してもらうよう説明に努めたい。   

> 明日、89日、長崎市にとって一年で一番大切な日だ。   

>特に被爆者は平均年齢が85歳を超えている。   

>私の両親も被爆者で両親とも90歳だが、両親は年齢も考慮し、この酷暑で式典に参加するのは無理だということで、自宅でテレビ中継を見る。   

>中には、両親と同じぐらいの世代の被爆者の方が体にムチを打ち、酷暑の中、頑張って式典に参加する方もいる。   

> そういう被爆者の方が参加される式典が、いろんな妨害により影響を受けてはいけない。   

>支障が生じてはならないと思っている。   

>そういう意味で、平穏かつ厳粛な雰囲気の下で円滑に式典ができるよう心を配っている。   

 

市長は気分・雰囲気・感情の問題にひどく囚われていますね。そして、その分他の問題が疎かにされています。これは危険な信号ですね。        

太平洋戦争を始める時も我々日本人は気分・雰囲気・感情の問題にひどく囚われていましたね。そして、その結果がよくなかった。   

 

考えの無い人・日本人

日本人は思考を停止している。それで自分自身の意見が持てない。個人の意見は通らないと自他共に信じているのかもしれない。   

日本人には現実があって非現実が無い。事実の内容があって、非現実 (考え・哲学) の内容がない。  

日本人の宗教は儀式 (形式) があって、教義 (内容) がない。  

非現実が無いので、ことさら現実に拘ることになる。だから、現実は変えられない。強固な保守主義の民族になっている。   

世界観がないから、世界が動くとは考えられない。  

無哲学・能天気であるから、移行すべき次の世界が政治指導者から提唱されることは無い。次の世界の内容は自他共に論外になっている。

日本は何処へも行かない。それで日本は衰退途上国になっている。  

為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり。 

 

自由の無い国・日本  

自由とは意思の自由の事である。だが、日本人には意思がない。だから自由そのものにも意味がない。’不自由を常と思えば不足なし’ となる。   

日本人の自由とは恣意 (私意・我儘・身勝手) の自由の事である。恣意は文にならないので意味も無い。恣意の自由は何処の国でも認められていない。恣意は ‘自由の履きちがえ’ となるからである。だから、不自由を常と思えば不足なしとなる。   

 

>その一環として今回、このような判断をした。   

> ――原爆を投下した当事国である米国の大使が来ないことへの受け止め方を。   

> 市長 これまでも米国に限らず、各国に大使の参加をお願いしていた。   

>今回、先方から大使は参加できないと連絡があり残念だが、来年以降、大使に参加してもらえればと思っている。   

 

一方的なお願いばかりでは相互理解は成り立ちませんね。相手のリーズン (理性・理由・適当) をじっくりと聞いてから、計画を実行に移す必要がありますね。      

過ちては改たむるに憚ること勿れ。