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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

エマニュエル駐日大使  

2024-08-11 19:26:06 | 文化

>テレ朝news   >長崎平和式典 欠席した米駐日大使が市の対応に言及 市長「政治的理由ではない」   >テレ朝newsによるストーリー・   >1日・   

> アメリカの駐日大使らが欠席する異例の事態となりました。   

 

深刻な事態ですね。信頼の問題ですね。      

 

> 原爆投下から79年となった9日。   

>長崎市で平和祈念式典が行われましたが、イスラエルの駐日大使が招待されなかったことを理由に、アメリカをはじめG76カ国の駐日大使は姿を見せませんでした。   

> 都内で行われた追悼会に参列したアメリカのエマニュエル大使が、長崎市の対応について言及しました。   

>アメリカ エマニュエル駐日大使   

>「ロシアは侵略国で、イスラエルは侵略されている国です。   

 

そうですね。我々は政治音痴ではいられませんね。      

 

>出席すれば長崎市長の政治的判断・行動を尊重することになります」   

 

そうですね。ノンポリ・政治音痴の日本人とアメリカ人は行動を共にすることはできませんね。      

 

> 長崎市に招待されていないのは、ロシアとその同盟国ベラルーシ、そしてイスラエルです。   

>同列に扱われることは、受け入れられないと主張しました。   

 

そうですね。この世のあるべき姿は常に彼らの頭から離れませんね。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)   

(たみ) (しん) () くば立たず。(政治は民衆の信頼無くして成り立つものではない論語・顔淵   

日本人には世界観が無い。だから、人間同士が信頼を共有することもできない。   

 

> 一方、長崎市長は「招待しなかったのは、政治的理由ではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで円滑に式典を実施したいため」だと説明しています。   

 

ノンポリは日本人の常識ですね。なんら恥じることのない状態ですね。しかし、アメリカ人の非常識ですね。井の中の蛙大海を知らず。

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)          

 

 

 

 

 

 


藤本勝子氏  

2024-08-11 10:12:47 | 文化

>産経WEST   >戦争原因は「時代の指導者の不遜な想い」 79年前の広島で被爆体験した88歳女性が平和訴え 東大阪   >15時間・   

>79年前の広島市で原爆被害に遭った大阪府東大阪市の藤本勝子さん(88)が、同市役所で市民らを前に「原爆体験のおはなし」と題した講演を行った。   

>戦争で人間が「怖いことが怖くなくなるのはすごく怖い」と語り、21世紀の現在も世界各地で戦争が起きる原因は「時代の指導者の不遜な思いからではないか。   

>いけないことだと心で念じ、子供たちが平和な時代を過ごせるように切に祈る」と強調した。   

 

意思の無い人間には責任が無い。

日本人には意思が無い。だから、日本人には責任が無い。   

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて ) 

意思の無い人間には加害者意識 (罪の意識) がなくて、被害者意識ばかりがある。だから、日本人は天真爛漫な気持ちで自己の被害者意識を喧伝できる。     

 

>こうした講演は、東大阪市の平和事業の一環。   

>藤本さんは国民学校初等科4年(現在の小学4年)だった昭和20年8月6日朝、疎開先から一時的に帰省していた広島市の実家で被爆した。   

>米爆撃機B29が飛行する音が聞こえ、家から外の様子を見ると「ピカーッと異様な光」を感じ、同時に爆風で家が崩れた。   

>実家は爆心地から約1・3㌔と近い。   

>下敷きになった藤本さんは「『助けて』と言っても誰も助けてくれない」との混乱ぶりで、空が見えた隙間から「体が血だらけになりながら、自力で脱出した」と話した。   

>原爆で、藤本さんは10代の姉2人をはじめ、家族や親戚、知人らを亡くした。   

>氷を買いに行った姉は、爆風で女の子が飛んでいったとの目撃情報があるだけで行方不明となり「どこで死んだかわからない」(藤本さん)。   

>もうひとりの姉は原爆ドーム近くで被爆し、全身のやけどで「姉が『痛い』と言うが、赤チンを塗ってあげるぐらいの治療しかできなかった」との状況で、終戦後の8月17日朝に亡くなったという。   

>藤本さんは日本が終戦を迎えた8月15日の「感激は忘れられない」と振り返り、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の憲章前文にある「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」との一節を紹介していた。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦 (いくさ) でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。) ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

意思のない世界では社会の動きは頓挫する。いつまでたっても未来社会の建設には至らない。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。 

意思のある所に方法 (仕方) はある。Where there's a will, there's a way.  

求めよさらば与えられん。 (自ら積極的に求める態度が必要であるという事)  

 

 

 

 

 

 

 

 


イスラエル不招待  

2024-08-11 03:37:15 | 文化

>BBCニュース   >西側諸国の駐日大使、長崎の平和式典に出席せず イスラエル不招待が理由と   >BBC Newsによるストーリー・   1日・   

>長崎県長崎市に原爆が投下されて79年目の9日、長崎で平和祈念式典が行われた。   

>アメリカやイギリスを含む複数の西側諸国の大使らは、出席を見送った。   

>各大使館は、イスラエルがこの式典に招待されなかったためと説明している。   

>長崎市の鈴木史朗市長は8日、イスラエルを招待しなかったことについて、「政治的な理由で招待していないわけではなく、平穏かつ厳粛な雰囲気のもとで式典を円滑に実施したいという理由だ」と記者団に説明。   

>判断に変更はないと述べた。   

>アメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、欧州連合(EU)の大使が7月中旬に長崎市に書簡を送り、イスラエルが式典から除外された場合、「ハイレベルの参加者を派遣することが難しくなる」と伝えていたことが、7日までに明らかになっていた。   

>194589日に長崎に投下された原爆では、爆発そのものとその後の放射線の影響のため、合わせて約74000人が死亡したと考えられている。   

>鈴木市長は会見で、式典を「平穏かつ厳粛な雰囲気のもと、円滑に」実施したいと説明。   

>そのうえで、「不測の事態の発生のリスク」などを考慮した結果、イスラエル大使に招待状を送らなかったと述べた。   

>一方で、各国大使らの決定を残念に思うと話した。   

>市長は、長崎市の説明が十分に理解されていないと感じていると述べ、「引き続き、必要に応じて機会を捉えて粘り強く説明し、理解を求めたいと考えている」とした。   

 

日本の文化には形式があって、内容が無い。形式は現実にあり見ればわかる。内容は非現実であるから見ることができない。考えであるから言語を介して理解しなくてはならない。  

日本人は細工物が得意である。細工に注意が行き届いていることが見ればわかる。   

だが、日本人には考えがない。思考を停止しているからから、内容が無い。それだから、余計に形式に拘ることになる。だから、日本人は形式主義である。何事においても形式へのこだわりを解くことが難しい。言って聞かせてもそのリーズン (理性・理由・適当) は理解不能である。だから日本人の態度はアンリーズナブル (理不尽) となる。      

 

>林芳正官房長官はこの件について、式典に誰を招待するかは長崎市が判断するものであり、「政府としてコメントする立場にない」と述べた。   

>上川陽子外相も、「式典は長崎市主催の行事」だと強調し、「政府としてコメントする立場にはない」と述べている。   

>東京のイギリス大使館の報道官はBBCに対し、ジュリア・ロングボトム駐日イギリス大使が、長崎市での式典に参加しないことを認めた。   

>ロングボトム大使は、イスラエルを招待しないことで、同じく招待されていないロシアやベラルーシと同列に扱い、不幸で誤解を招くことになると述べていた。    

 

そうですね。   

 

>アメリカのラーム・エマニュエル駐日大使も出席しなかった。   

>大使館は声明で、長崎市長はイスラエルを無視することで、この式典を政治的に利用したと指摘した。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

 

>同大使館の報道官はBBCに対し、エマニュエル大使は代わりに、東京の寺院で行われる平和式典に出席すると述べた。   

>イスラエルのギラッド・コーヘン駐日大使は、長崎市の決定は「世界に誤ったメッセージを送るものだ。   

 

そうですね。しかし、日本人には考えられない内容ですね。    

 

>長崎がもう何年も推進してきた核心的なメッセージから、目をそらさせる」とコメントした。   

>コーヘン大使は6日、広島で行われた平和式典に参加している。   

>鈴木市長によると、長崎市は今年6月にイスラエル大使館に対し、パレスチナ自治区ガザ地区での「即時停戦」を求める書簡を送っている。   

>イスラム組織ハマスが運営するガザ地区の保健省はイスラエルの大規模な軍事作戦により、これまでに4万人近くのパレスチナ人が殺されたと述べている。   

>軍事作戦の発端となった、昨年107日のハマスによるイスラエル襲撃では、1200人が殺害され、251人が人質としてガザ地区に連れ去られた。   

 

独断と専行の民族であっては和平の調停役にはなれないでしょうね。   

日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。だから過去・現在・未来 (前世・現世・来世) の世界の有様を文の内容として表すことができない。つまり世界観 (world view) がない。意思 (will) を未来時制の内容として文章で表すこともできない。それで日本人には意思がない。だから加害者意識もない。それで罪の意識もない。だから深刻な反省には至らない。真面目人間に成れない。それで相手から信頼が得られない。’信無くば立たず’ である。この国がひっくり返った時にもわが国には深刻な反省に至る人はいなかった。深刻な反省に至らないので、失敗から貴重な知識を学び取ることができない。ただもう懲り懲りだと思うばかりである。貴重な時間がどんどん失われている。   

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて ) 

戦後の占領軍はWGIP (War Guilt Information Program: 戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画) という奇特な計画をつくった。しかし、日本人に罪悪感の植え付けることには見事に失敗しました。日本人に対する罪悪感の宣伝はカエルの面に小便の状態になったのです。占領軍も日本語文法に従った考え方は変えることができなかった。