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矮小化

2019-07-28 03:15:15 | 政治

>347986 日本の政治レベルを低下させた要因は >匿名希望 19/07/27 PM00 >リンクより転載
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> 日本の政治レベルが著しく低くなった要因はいくつかありますが、その1つが日本の役人の影響力が低下し、レベルが下がったことです。

役人には、政治責任がありませんからね。彼らは、民主主義により選ばれた国民の代表ではありません。ですから、役人が政治に影響を与えることは好ましくありません。

>これは役人の人事権を取り上げてしまった安倍政権にも責任があります。

政治家には、政治責任がありますからね。責任ある態度を示すことが必要です。

> 従来なら、事務次官が握っていた人事権が政治家に移ってしまったため、役人が政治家に頭が上がらなくなり、その結果、数多くの「忖度」が生まれることになっています。

忖度 (推察) は、危険な病気のようなものですね。国民病でしょう。忖度は、自分勝手の解釈です。政治家には、関係がありません。ですから、議論の対象にもなりません。議員には関係のないことです。

>かつての誇り高き日本の役人なら、政治家の言いなりにならなかったのですが、今の役人はすっかり牙を抜かれてしまった状態です。

政治かも役人も自己の責任順位に従って行動すべきですね。

>そして、日本の政治レベルを低下させた最大の要因は小選挙区制です。

無哲学・能天気の有権者には、’あるべき姿’ の内容は通じませんね。

> 以前の中選挙区制なら1つの選挙区から複数人の議員が選出されましたが、小選挙区制では1人のみです。

政策の議論を期待してのことでしょう。同じ政党の候補者同士が争うことがありません。

> 約人口30万人に議員が1人という割合になります。>1つの選挙区から複数人選ばれていたときなら、余裕がある人は金融や外交といった「広い」「外側」のことに目を向けることもできました。

一つの選挙区から複数人選ばれたのでは、政党別による政治にはなりませんね。各政党は ‘広い’ ‘外側’ のことに目を向けた人物を党公認の候補者として挙げるべきですね。

>しかし、小選挙区制になったことで、議員は広いビジョンなどを語っている場合ではなくなりました。> 端的に言えば、「おらが村にいくつの米びつを持ってきてくれるのか」というような非常に小さいレベルの話に終始するしかなくなったのです。

日本人には世界観 (world view) がない。人々は、目先・手先の事柄に専念している。だから、政治音痴はさけられない。

> 小選挙区制により、国会議員が矮小化してしまったと私は思います。

大言壮語すれば、空想・妄想の類になります。国がひっくり返っても、責任者は出ない。矮小化なら被害が少ないかな。それもはっきりとはしませんね。お陰様でわが国は、漫画・アニメの大国になりました。だが、我々は、真面目人間にはなれない。

> 小選挙区制を変えない限り、日本には大きな発想を持てる議員は現れないでしょうし、現れても選挙で選ばれません。

そうですね。有権者は、大きな発想を求めていない。現れても選挙で選ばれないのが根本にある原因ですね。
日本人は、話が小さい。非現実・考えの内容は、頭の中にある。外からは、見えない。ただの話である。話の筋がわかる為には、文法に従って文章内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、日本人の我々は、理解をしない。忖度で行く。文章内容は理解されるが、忖度は聞き手の勝手な解釈である。現実直視ができていない。だから、極めて危険である。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

> 小選挙区制によって、日本という国が不可逆的に矮小化してしまったのは本当に残念です。

同感です。我々は、自己の判断を問われて ‘元の木阿弥’ にかえったのですね。目先・手先のことしか考えない国民ですからね。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、英文法にある時制 (tense) というものの大切さを理解すべきですね。さすれば、我々は、自己の世界観を持つことができます。自己の意思を表現することも可能になります。自己の主張を広めることにより、世界の人々から広く信頼されるようになるでしょう。自己の世界観に従って未来社会の建設に着手し、広く協力者を得ることができるでしょう。我々は、人類の進歩に貢献できます。


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