東京都議会が開催された。都知事については週刊文春のスクープ記事が発端となっているが、公私混同が尋常ではないとの議員時代を含め、あれこれと取りざたされていて、ニュース解説や時事討論等の格好な材料に使われている。報道の在り方は、面白おかしく伝える傾向にあり、将に野次馬的で、その道の専門家を加え、こき下ろすといった一種の人民裁判化していることも問題である。このことは私的な加害者となるリンチと同レベルであることを示している。
知事とは神ではなく、全てがご政道にマッチしているかといえば、そうではない。そうでないのは結果的に見れば多くの知事が不祥事のために辞職に追い込まれてきた。では、この不祥事に至る過程や、問題視された事案、現在の対処発言等について、感情を抜きにして冷静にみることが重要であろう。知事が権力と金にとっぷりつかると、どうしてか人間が変わってしまう。
代表的なピラミッド構造を持ち、なおかつ、稟議制度で、下意上達の合意形成を行う代表的な組織体のトップとして、ワンマン経営は不可能である。ワンマン経営ではないのに、選挙公約が守れずに、自らの制動(ブレーキ)が効かない状況を生んだ理由は何であったのか、関係者の問題意識や、助言がなかったのか、都議会の責任は知事本人を糾弾しても、同時に今までの間、知事の蛮行を許し、目をつぶってきたのかが問われているのである。政治の世界が絡んでいることも背景にある。
知事本人が頭を何度も下げ、不徳の致すところで云々と、許しを請うてみても、職を辞する大義を作り出し、辞職を決断させるまで追いつめる勢いであるが、追いつめてみたところで、現在の知事に変わる人材すら見出されていないではないか、要は都議会全員の責任であり、追及側の都議ですら責任がないわけではないのである。したがって、責任感が強い議員集団であれば、トップの不始末を自らも職を辞す覚悟が欲しいところである。
都議会はまだ続く、一般質問が見ものであり、百条委員会なるものが設置されるのか、または知事自ら職責を辞するとともに、議会を解散するか、はたまた住民のリコール署名が始まるのか予断を許すことができない。注目すべき事柄は、知事としての職務実績であり、不祥事に対する説明責任であり、道義的な意味での責任をだれが何の権限でどうさばくのか、都民が選んだ知事である、その許容範囲は何であるのか、知事の職責と職務遂行能力がどれだけあったのか、辞職後の知事選挙の制度・方向までも影響する大問題であることは、都民ばかりではなく、現在の首長にもいえることであり、他人事ではないのである。
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