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近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

学習塾(2回シリーズその1)

2014年08月27日 00時00分01秒 | 提言

  塾は少子化の影響、推薦枠の拡大など入試方法の変貌、知識偏重教育からの脱却、就職先選択肢の変化等社会の構造変化により、最盛期を脱し、多角化や、個別指導へ重点が移っているという。最近の報道から、塾経営の破綻が取りざたされていて、大学入試の名門塾である代々木ゼミナールが全国へ展開してきた27施設を7施設へ縮小することが決まり、既に指導陣など希望退職が動き出している。

 塾は私設学校の形態を取り、学校教育法の各種学校に分類され、公的な学校教育とは一線を画してきたが、勿論,自動車教習所、英語専門学校、音楽教室、算盤、習字、武術等に特化した塾も乱立していた。何時の時代だったか、我々が育った時代は第一次ベビーブームであり、大学へ入学した段階で、既に幾つかの予備校は出来ていた。

 その意味からすれば昭和40年代に、活況を呈するようになったと言える。入試に絞り、希望校の入試問題を徹底的に研究し、入試問題の傾向と対策に偏って、始終してきた。名門塾と言われる大手においてもほぼ同じ傾向を持ち、塾に客(生徒や浪人)を呼ぶために、どこそこの学校へ何名合格したなどの宣伝は、一種の商売の究極的な様相を示していた。塾通いが家庭の出費を拡大させるため、一部専門性を持ついわゆる塾は除き、入試一辺倒の予備校の制度としては基本的な誤りがあるのであろう。

 学校教育のマスプロ的な拡大によって、懇切丁寧な個人の能力に応じた指導体制よりも、多くの対象者を呼び込む方に重点が置かれ、規模を競う方向へ流れすぎた結果になったと感じていた。

 確かに浪人している期間は、何処かに所属して学習を継続する必要性があり、その時期に塾が果たしてきた役割は大きい。また、自らの生活費を稼ぐために、多くのアルバイトを経験し、社会のルールを学ぶことが出来る。別の意味での社会性を身につけることが出来た者も多い。(次回へ続きます)



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