毎年9月1日は防災の日に指定され、自治体含め、多くの施設で防災に係わる行事を行うことが定着してきている。日頃から防災に関する意識の向上と、疑似体験を行うことは、いざというときに訓練の成果が発揮されると思われているが、今回の集中豪雨による崖崩れ、土石流災害の被害状況を見ると、通常、多くの方が午前3時といえば、睡眠中であり、夜が明けていない状況では、とっさの判断も難しい。残念ではあるが100人弱の死者と行方不明者を出すこととなった。過去の土石流流出の被害の伝承が生きなかったことは誠に遺憾である。
災害に遭った方の救出や行方不明者の捜索には、地元の自治体の職員ばかりではなく、消防、警察、自衛隊等の動員と、多数のボランティアが、活動中である。被害の大きさは日を追って伝えられる報道で知るが、自然がもたらす脅威に改めて驚いている。多くの解説を見ると、自然災害とはいえ、情報の発信の仕方が遅かったとする言動が多くあったように感じている。
果たして今回の事例では、情報発信側、地域の安全に関与してきた行政側の対応だけで、被害が縮小される、または解消するわけではなかったのではないかという疑問が生じる。情報発信の時間的なレベルではなく、行政も含め、人災であった可能性も否定できないからである。
行政側も情報を発する時期が遅かったと弁明してはいるが、被害を受けた側では、避難するのに十分な時間があったわけではなく、過去の教訓が活かされなかったことの方が重要と思われる。被害の復旧は現状に戻すことではなく、防災を前提に置いた都市計画の再構築が成されなければ、同様な被害が繰り返されることは間違いない。
まずは家を失った方は、避難所から公営住宅等への入居を一時的ではあるが、促進される。元の住居が安全であると決まった家屋は入居することは可能であろうが、危険区域に家が再建されることを防止するのは治世の務めでもある。場合によっては選択肢の一つとして行政権を持って集団移住も考慮されなければならないであろう。
災害は忘れた頃にやってくるとの格言通り、唯単に防災訓練を行うのではなく、未然に予測することの重要さと、危険予知は平素からの感覚を研ぎ澄まし、予兆といわれている大災害の前兆現象に対し、放置せず、真摯に対応することが大切である。因みに、危険予知訓練ではハインリッヒの法則があり、大災害の前には29のヒヤリとし、ハッとする中規模の災害があり、更に300の以上と思われる小規模の予兆があるとするものである。
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