鳥!連続写真!掲載中!

近くの多摩川に飛来する野鳥の連続写真を中心に、日頃感じた出来事を気ままな随想でご紹介し、読者双方との情報を共有したい。

カメラマンの雑談その9

2016年12月13日 00時00分01秒 | 紹介

 最近知り合いとなったカメラマンと話す機会があった。近所に住んでいるが、日頃から疎遠であり、あまり挨拶もしなかったが、顔を合わせると昔の面影があり、すぐに名前が出てきた。既に退職されていて、健康のために多摩川の散歩を心掛けているようで、カメラを持って花や風景等を撮影していた。カワセミに出会ってから野鳥に興味を持ったと言っていた。

 

 在職時代はミシンのメーカーへ勤めていて、海外への出張も多かったようである。JICAの専門家の身分で、技術指導等を東南アジアで経験されていた。自分との共通点がありそうで、今後の会話も楽しみである。エジプトへ短期派遣で技術指導に行ったときに繊維機械の専門家と派遣期間がたまたま重なっていて、そのときの話をしたが、その専門家は津田駒という北陸の繊維機械メーカーの社員であった。

 

 自分が所属していた組織に石川県氷見にあった職業訓練校に織機調整科という訓練コースがあり、エジプトの訓練施設へ派遣されていた指導員で、技術支援の最後の年に当たっていたため、行動を共にしていた。そこで知った話の中にミシンメーカーの話があり、度忘れしてしまい、メーカー名が出てこなかった。たぶん新潟県の長岡市ということと人間魚雷回天の製作に戦前取り組んだことだけ記憶していた。たぶん間違った名前を伝えたのであろう。カメラマンはそのミシンメーカーは知らないと言っていたが、帰宅後、パソコンで調べている最中に思い出し、津上製作所であった。確か、ツガミミシンであったことを思い出した。

 

 話は飛んでしまうが、人間魚雷回天の基地が、女房の実家の近くである速見郡日出町の大神という場所にあったということを知った。大分には転勤で5年ほどいたのであるが、その話は一切なかった。今回のツガミミシンを検索したことで偶然キーワードが一致しただけである。現在は住吉浜というリゾート地となっているが、そのような場所の公園に回天が展示されていて、近くに回天神社もあり、遺影を祀ってあるらしい。速見郡日出町は、滝廉太郎の荒城の月の基となった暘谷城がある。そこはまた金の採掘で富をなし、大分の礎に貢献した成清氏の妾の屋敷であった的山荘があり、ザビエルやキリシタンとのかかわりも深い場所である。

 

 今度、実家へ帰省した際はぜひとも回天基地があった場所や神社に行くことにしている。物事の発端は些細なことであっても、ミシンの歴史に触れ、隆盛であった時代から、繊維産業の海外進出によって、ミシン業界はもはや衰退しているようで、我が国の歴史に触れるひと時であった。