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トップの責任の取り方

2016年06月17日 00時00分01秒 | 緑陰随想

 都知事が辞職に追い込まれた。発覚した問題としては前都知事ほどの賄賂性はないが、都民の多くが知事としてふさわしくないという判断に至ったことである。人心が離れていった末路は辞職という選択で幕が閉じようとしているが、市民団体の方でも告訴が成されていて、今後、疑惑の解明は何らかの形で継続していくことになろう。当然の結末であるが、当初予想した段階ではもっと早い時期に都議会が解散するか、リコール運動に発展するかと思っていたところである。

 

 トップの辞職は自らの判断というが、バックボーンであった政権与党から不信任決議案が提出されようとしたことで、提出されれば、既に提出している野党会派と同調が予想され、不信任との結果が目に見えていたことによるため、辞職を選んだのであろう。

 

 企業や官庁組織のトップの責任の取り方とは明白な違いがあるが、傍目では、都庁という官庁組織が、ピラミッド構造を持っていたとしても、一つの組織としての対応ではなく、選挙でもって選ばれた都民の代表という側面を持ち、施政方針や、都議会のトップであるにも拘わらず、チック機関を所掌していない独立性の強い立場のようである。今回もサポートする立場にあった政権与党から見放されると、四面楚歌となり、身内も離れてしまう。

 

 組織の有り様は、平素からのコミュニケーションがなければ、独裁となりやすいし、結果、裸の王様である。こうしてみると、決して組織人ではないことが分かる。つまり雇われマダム的であり、下積みがない世界を歩んできた人に見られる一人親方なのである。

 

 その点は、歴代の多くの知事が組織人としての下積みの道を経験してこなかった作家や、政治畑を歩んできた人が多い。つまり、誰であっても立候補が出来、選挙で選ばれれば、誰でも知事になれるというオープン性は理想であり、良いことに違いないが、続けて3代の都知事が疑惑(石原都知事ははっきりしていない)をもたれての辞職では何とも情けない。

 

 その理由の一つに、過去の組織人トップとしての経験が乏しいからに他ならない。また、公示後の選挙活動は、演説がうまければよいのであって、今の選挙制度では仕事に対する正しい評価が出来ないのである。政治家への道標は決まっていないが、予備段階としての松下政経塾のような、理論と実践を経験できて、それなりの見識を評価することが出来る資格というか、縛りをかける必要があろう。意志決定の仕方から見る知事職については別稿に譲ることとしたい。



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