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ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

核と原発をめぐる日米韓の動向一断面

2012年09月16日 12時54分24秒 | Weblog
 核を軸に極東を読み解くと、いろいろなことが見えてくる。2030年に脱原発の目標を政府が掲げたが、アメリカが不快感を示している。なぜか。

▼ヨーロッパはフランスの原発依存度の高さは別として、多くの国が原発をもっていない。「限り有る資源」石油に代わり原発がいいのなら、単純に言えば採用すべきだが、ヨーロッパ諸国ではそうではない。一端は保持したが廃棄した国もある。

▼東アジアの韓国と日本はどうか。いずれもアイゼンハワー大統領の「核の平和利用」から原発導入がはじまる。もっとも日韓の差は、日本は核融合研究の科学者がいたが、韓国はまったくゼロのところから始まった。

▼ところが日本はプルトニュウムの保持が認められた非核兵器国で唯一の国だ。韓国はいま韓米原子力協定改訂で核燃料再処理でプルトニウム抽出が可能な規定を入れるべきだと盛んに主張している。朝鮮日報は7月23日からの5回にわたる連載で世論作りをした。

▼日本が脱原発に舵を切ることは、アメリカにとっては従来の戦後戦略の軌道を修正せねばならない。核兵器を作れる能力を日本に担保してきた戦後戦略だ。対共産圏に対する「冷戦的」思考が核戦略を支えているのが、まぎれもなく極東アジアなのだ。

▼脱原発の方向は決して容易なものではない。エネルギー政策だけではないからだ。安保政策と結びついているからだ。どう核廃絶を進めるかは現実の問題に着実に対応することが求められる。実に大きな荷物だが、未来のためだ。
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李承雨の小説2作品

2012年08月27日 08時56分25秒 | Weblog
 6月の新聞書評に紹介され本コーナーではまだ紹介されていない李承雨の小説『植物たちの私生活』(藤原書店、2940円)について書く。


 前作の『生の裏面』(藤原書店)の刊行では、出版の記念して訪日した。東京の行事をあと、作家のインタビューの同行で京都新聞まで行った。この時の記事は京都新聞の文化欄に掲載されたが、東京での新聞記者のインタビューよりの濃密であったと翻訳者の金順姫さんは語ったほどだった。

 韓国の作家の中でヨーロッパで、とりわけフランスで最も知られた人だという。その人気はどこにあるのか。キリスト教神学を学んだ作家は、宗教的という神という中心軸から物事を考えているから、3次元的事実、空間配置に縛られない。人間関係が作家独自の視点で描く。今回の『植物たちの私生活』でも男女の出会いが通俗性をもっているから、最初は通俗小説かと思いきや、以降の展開が見事だ。時間のずれは、作品の大きな仕掛けである。静謐さが作品のモチーフか。根源的な神話的世界に読者を誘う。
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竹島問題について

2012年08月27日 08時53分48秒 | Weblog

 李大統領への叱責が言論では続く。韓国の論調をいくつか読んだが、基本は日本の過去史清算の未解決のところに行き着く。

 これを掘り下げれば天皇の戦争責任に突き当たる。そこから韓国メデイアは発信しているから根源的かもしれない。日本は根本のところは国家無答責で応じず、賠償問題は日本の非を法的に盛り込んだ内容のものは制定しない。制定すると根本のところのに逢着するからだ。オランダ女性被害者への「補償」が出されたと聞いたが、アジア女性基金方式だった。野田さんは韓国からいくら言われても日本軍「慰安婦」問題解決で動かないし、メデイアも「人道上」と主張して深めた議論はしない。

 「竹島」について対立していても日韓は協力して生きねばならない。ロシア艦隊の南下阻止から1905年1月28日に編入した竹島はやはり日本の侵略と関係が深い。結びつく。ただ幕藩政府が領土問題の紛争をよしとしないことから1696年に「無用の小島」としたことは、秀吉の戦争被害に心留めて「善隣友好」を朝鮮王朝と結ぼうとしたからだろう。1952年のイ・スンマンラインで「竹島」問題が生じたが、日本政府はこれまで敢えて力強く抗議しなかったのも幕藩政治と類似している。

 一昨日山本参議院議員が「なぜいままで不法とは明言しなかったのか」「ウオンの急落を阻止できる韓国経済援助作をしたか」と野田さんを批判していたが、どういうつもりかと思った。山本議員のようにしていてどうして日韓が協力して進めようか。紛争をあおっているしか見えない。

 過去史を清算しない日本の現状を粘り強い取り組みで変えていくしかない。金大中さんは「未来志向の韓日関係」と言ったが、そういう過去史清算の弱さも知って未来の歩みで解決して行こうというメッセージなのだ。政権交代で進むかと思ったがとんでもない見込み外れだったものの、根本の問い掛けに対してじっくり取り組むしかない。
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韓米原子力協定改訂交渉が両国で進んでいる

2012年08月17日 21時03分58秒 | Weblog
いま韓米原子力協定改訂交渉が両国で進んでいる。

最近聞いた情報ではアメリカは韓国の核燃料再処理権について全面否定ではない流れがでてきたという。韓国の政党では民主党が再処理権利取得には反対している。脱原発路線からして容認できないという主張だ。


1970年に韓国の核兵器開発疑惑から1974年に韓国がアメリカ同意なしに使用後の核燃料を再処理するとか第3国に移転することができない規定が生まれた。つまり再処理を許容すれば韓国が核武装できるという恐れがあるとみての「不許可」規定だ。

韓米原子力協定は 2014年が改訂時期だ。昨年から改訂交渉が続けられている。2009年に協定改訂での再処理の必要性を申し立てた時にはアメリカの立場は否定的で、1992年発効した「朝鮮半島非核化宣言」が大きな再処理不許可の根拠ともなった。

2010年10月から始まった交渉では、韓米両国での再処理開発が進んでいるとの情報にもふれた。日本は高速増殖炉「もんじゅ」での再処理が実現していないが、韓米との共同開発で再処理を進めるなかで今回の改訂期を迎えたことになる。韓国側は「平和的核主権であり北への抑止力になる」との主張で交渉している。

核廃絶の流れに筆者は賛同する。しかし核拡散がどんどん進んでいる。日本は再処理したプルトニウムを英仏から輸入している。核兵器を保持しない国で唯一だが、これは日米原子力協定での不許可規定がないからだ。韓国側はこの実情を「不平等条約」と主張する。この韓国側に「核不拡散の精神からして容認できない」とわれわれは言えるだろうか。言えない。ただ北も南にもいえるのは核兵器を保持してはならないという態度を示すことだ。
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メデイア・ウオッチング  李明博大統領の8・15発言と8・15の3紙社説

2012年08月15日 22時50分33秒 | Weblog

 李明博大統領の「天皇謝罪発言」に野田民主党政権はこの問題がタブーであることを示した。玄葉外相が「報道は承知しているが私は(李明博発言についての報告を)一切聞いていない」とコメントしたからだ。

 つまり外務大臣はコメントを即座にできないのだ。過去史清算に取り組んできた政治家ならこうした発言もありうる。

「日本軍『慰安婦』問題での未解決は、昨年8月の韓国の憲法裁判所決定で行政の不作為という指弾を大統領に出した。これにまじめに向き合わない日本政府は1965年の2国間条約で解決済みで李大統領の要求をかわしてきたが、しかし、考えてみれば『強制連行の文献資料がない』としてつっぱねてきたのはあやまりだった。被害者は甘言、虚言で慰安所に送られ、そこでは逃亡の自由すらなかった実体そのものが強制された性動員であった。今後この残された問題解決に向き合い努力したい」

これでいいのだ。回答は。

過激な李大統領発言は15日夜、大統領府から訂正が出た。「(天皇陛下が)韓国を訪問したいならば」と仮定の話と述べたものということだが、日本軍「慰安婦」問題解決にいっこうに動かない野田政権へのいらだちが天皇の訪韓という仮定のまでボルテージが上がったものだと思う。

 8・15の今日は大阪日日、毎日、読売の3紙の社説を読んだが、読売が「従軍慰安婦の本当の歴史を世界に向けて説明せよ」(概要)との主張だ。領土問題も述べられ同じトーンだ。

 ところが大阪日日は領土問題も日本軍「慰安婦」問題も戦後積み残してきた問題が一気に噴出している。アメリカに守られた戦後のスタートともで書いている。ようは過去史、戦後補償問題がいまだ未解決で、それに取り組めとの主張だ。

 毎日は両紙の中間というとこか。歴史の継承という主張はわかるが、戦後保障問題では主張が鮮明でない。

 それにしても大阪日日の社説はわたしからすれば8・15の本質と課題を突いたものだった。全国紙はなぜこうしたスパッとした主張を回避にするのか。
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オリンピック3話

2012年08月13日 11時22分01秒 | Weblog
オリンピック3話
8月1日
天理大に用事で行ったら、柔道部のメンバーが「オリンピックはブラジル勢が強い」とのこと。私は、小、高と柔道していたからとりわけ柔道の行方が気になる。2日夜には穴井隆将選手応援のため校内施設で応援するという。男性では体重の軽いクラスが金メダルが予想されたというが、うまくいかない。穴井選手にはさぞかしプレッシャがと推察する。
話が変わるが、女性サッカー予選でのテレビ放送は違和感を感じた。日本と対戦した南アの選手がゴール近くで倒れて手当てを受けているのに、放送するアナウンサー、解説者はほとんど心配したような言辞はなし。これが偏狭なナショナリズムか?日本人ならどうなのか。そうした放送をしたらブーイングの嵐だ。

8月2日
天理大の体育学部の事務局の前には穴井選手の写真が。全学でこの光景が見られる。学校一丸となって応援していた。それがなんともいえない敗戦に。篠原監督がコメントしていたが、「プレッシャーに負けた」と。日本柔道の代表とまで。本当にすごい重圧だ。元来やさしすぎる選手ではないか。しかし残念。敗北も現実だ。そこから立ち上がるのが勝負師だ。時々天理大の柔道場に練習に来る野村選手をみかけたが、3連覇してもあくなき勝負へのこだわり。獲物を狙う野生の動物のような鋭い目つき。穴井選手もやがてそうなるだろう。

8月3日

メデイアウオッチング「産経の穴井選手たたきには驚いた」
 柔道100キロ級の穴井選手は残念な結果に終わったが、各紙どう報じているのかと読み比べてみた。産経のスポーツ面トップの記事は記者の心が透けえ見える冷たく突き放した記事で驚いた。

 穴井選手は強さともろさが同居しているという記述はいいとしても、「日本柔道を代表する」との形容詞についての解説では実力ともなわないし、穴井ならぬ「弱い」と陰口でさ言われたと、こき下ろす。これほど冷淡な酷評があるだろうか。負けて打ちひしがれている選手を崖っぷちに追い込むようなに表現をするものだろうか(ここでは記事の表現を正確には再現していないが)。

 記事は1人の記者だけで書き上げた個人作品ではない。デスクがおり校閲記者がおり編集幹部がいる。それぞれ目を通して世に出る。だからこの記事は記者個人ではない。社の看板を背負った記事だ。

 産経は庶民の声が紙面に反映した大阪の泥臭い、そして人間臭い記事を載せた。寒々として記事はふさわしくない。ましてや敗者を叩く記事は産経の「お家芸」ではなく、真逆だったはずだ。人間の心の襞を映さない寒々とした記事が多くなったのか。世の中がそうなったのか、産経の体制が変質したのか。



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亀の瀬のトンネル

2012年07月16日 22時18分42秒 | Weblog
 16日は亀の瀬の地すべりで埋没したJR関西線の旧トンネルの中に入った。

 120年前に竣工し、80年前の地すべりで姿を消した。そのトンネルが3年前に発見された。レンガづくりのトンネルだが、見事な配列だ。当時の工事の丁寧さがよくわかる。400メートルあったトンネルで押し潰されずに残ったのは100メートルほど。

 古来から続いてきた亀の瀬の地すべりを防ぐ工事はほぼ終えるめどがたったという。万葉集でのこの亀の瀬の恐ろしさを伝える文言があるという。

 やがてこのあたりは市民の広場に生まれ変わるようだ。

 この日の見学者は約80人。亀の瀬の地すべり防止工事の内容も見学会でわかった。鉄道ファンもかなり見学に来て、鋭い質問を浴びせていた。そういえば、旧生駒トンネルの見学会もあると聞く。
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日曜日新聞読書欄簡単レビュー

2012年07月15日 22時38分45秒 | Weblog
 恒例のコーナーは、まず読売の読書欄から。

 みすず書房のルソ・コレクションが紹介されている。ルソーの主者『人間不平等起源論』と『言語起源論』の2冊が合本になった『起源』(2600円)をあげている。

 この合本がなぜ新たなのかは書評を読む限りではわからない。新訳である点が最大の特徴。それがホッブス、ロック、アダム・スミス、ヘーゲル、マルクスと呼応する仕事をしていたことがわかるという。評者橋爪大三郎の評だ。どういう編集がされているのか。実物を手にして読まない限りわからない。

 B・チェイス=リボウ『ホッエントット・ヴィーナス』(法政大学出版、3800円)は1870年にロンドンで檻に入れられて黒人女性がいた。その女性が本書のタイトル。著者はアフリカのコイコイ族に生まれた彼女が奴隷狩りでヨーロッパにやってきて、どのように好奇の眼にさらされるに至ったかを明らかにした歴史小説だ。1970年代半ばまでパリの人類博物館に展示されていたというのだから驚きだ。作者は膨大な資料を駆使してその生涯をたどる。2002年に故郷の南アに帰還して埋葬される。科学者の良心とは何か。人間の尊厳とは何かを読者に迫る。ポストコロニアル文学の記念碑的対策と評者(尾崎真理子)は述べている
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コラム「風」脱法企業はどうしてゾロゾロ出てくるのか

2012年07月14日 23時30分28秒 | Weblog

小泉改革とは何だったのか。市場の自由化により経済を活性化することで国際競争力を高めるーということだった。それで豊かになったのか。



これまで認可が必要だった各種業界の制約を「許可」制に変えることで市場参入を容易にしたことは認める。しかしモラル低下が著しい企業も出てきた。従業員の給料すら支払わないところも出てきて、労働基準監督署の指導ものらりくらりと逃げるというのだ。「許可」制で誕生して生まれた東日本のある運送業界のある会社だ。

市場参入の容易さは過当競争を生み、会社の倒産が増え、就職の幅が狭まった労働者が低賃金、長時間労働を強いられる。もっとも立場の弱い労働者がそこで生計維持を求められる。そうした会社しか仕事が見つからないからだ。

自由競争は公平に写るがとんでもない。既得権益をもつところは安泰である構造がある。「経済成長は国家の優越性と支配階級の権威を高めるものだ」(金東椿『近代のかげ』)とある社会学者が書いた。「国家の優越性と支配階級の権威」は経済成長により守られるものなのだが、ではいまのような長引く不況ではどうか。

自由競争で敗北していく企業を作り出すのは、その企業が悪いのであり、そこで働いてきた労働者は自己責任をもてという論理が盛んに主張される。敗北する側は責任をおえというわけだ。結果、生活保護受給者が増えていくと、またぞろ自己責任で批判が彼らに集中する。

下に下に押し付ける。上に上には押し付けない。世の中は結果として変わらない。アンチノミニーが支配する社会は無秩序だから、法規範が弱まり、脱法行為を別に悪いと思わない人、企業が出てくる。「のらりくらい」と逃げる企業がなぜ出てくるかが明らかだろう。


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急がば回れ

2012年07月11日 08時46分17秒 | Weblog
 植木の柵を乗り越えて駅に向かおうとして転倒。

 ところが小学3年​からしていた柔道の受身で見事右肩から回転して立ち上がってフィニッシュ。前方回転という柔道の受け身が自然と出た。

 「さすが」と自画自賛したが、右肩を強打。昨日は右肩から背面がうずきあまり眠れず。

 昔なら何もなかったようにその場をあとにしたのだが、どうもこの年になるとそうはいかない。

 「頭を打たなかったのは柔道していたから」とへんなほめられ方を友人から受けたが、3ヶ月前に買った時計のバンドは切れるし、なさけない。急がば回れ!!
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リベラル勢力の衰退と反撃

2012年07月04日 09時02分22秒 | Weblog
加齢とはだんだんと抱えもつ物事が整理しにくくなるということか。1日に4、5件はこなしていた異なった用事が持ち越すことが多くなり、それに付随した物品が整理できなくなりがちだ。

 肉体的には贅肉とはコレステロールとかあるが、日常の作業上でも起きる。

 気付いたことだが、疲弊する社会の政治情勢も同じの感じだ。二大政党制は瓦解したはいいがリベラル勢力は育たず、混乱のまま疲弊する。

 この疲弊の出口を求める受け皿が大阪維新の会というのだから。

 どうするか。

 リベラルであることを求めない社会は安定しているかというとそうではない。不安定極まりない。自分を結果的に苦しめる改革にエールを送る。

 リベラルとは代案をもつとことで改革が進む。脱原発は確実に代案をもつ。安保体制はどうか。代案があればすぐやるが、これがなかなかうまくいかない。


 オスプレイ配備などいらない。これに対する安全・安定の観点からの代案は有効だから運動は進む。この安全・安定ということが代案の核心かもしれない。リベラルに背を向けていた人も振り向く可能性をもつらだ。
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日曜日新聞読書欄簡単レビュー

2012年07月01日 11時59分03秒 | Weblog
 日曜日新聞読書欄簡単レビューです。朝日新聞から紹介します。


  服部英雄『河原ノ者、・秀吉』(山川出版社、2940円)の書評は歴史解明で現代人の視点から切り捨てていた事実を浮かび上がらせた点にスポットをあてている。評者は田中優子。本書で紹介された犬追物という歴史の事実は知らなかった。被差別民の河原ノ者が犬を捕獲し、犬の馬場で解き放つ。侍が犬を射る。その犬を食されるのだ。日本人が犬を食うなどありえないなどは、現代人の考え方。秀吉は猿のように栗を食ったと紹介されている。「乞食として生きていた時の大道芸ではなかったか」と著者は推測している。本書の方法はヨーロッパ人宣教師の記録を重要視することで歴史の闇に埋もれていた人間を浮かび上がらせた。

 ニュースの本棚というコーナーで「一から読むオウム」のテーマで北海道大学准教授中島岳志が6冊の本を紹介している。2010年に出版した森達也『A3(エースリー)』(集英社インターナショナル、1995円)、島田裕巳『オウム――なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー、3990円)、井上順孝(のぶたか)責任編集『情報時代のオウム真理教』(春秋社・3780円)、宮台真司『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫・672円)、降幡賢一『オウム裁判と日本人』と同じく井上の裁判傍聴ルポ『オウム法廷』(全15冊、朝日文庫・品切れ)の6冊だ。

 オウムの問題はなお釈然としない。逃走中の男女関係や生活にスポットをあてる報道はいかにもワイドショウ的手法で、では「なぜ信者が殺人という暴力に至ったのか」がわからない。麻原の支配欲、野心、ルサンチマンという麻原個人の問題に還元されている傾向がるが、はたしてそれで解明でrきたのかというと疑問が残る。中島は「オウムは日本社会の戯画である。だから、我々は「あの事件」から目をそむける。裁判の過程で麻原は理性に破綻(はたん)をきたし、まともな会話能力を失っているにもかかわらず、異例のスピードで死刑判決が出た。事件の要因を究明するよりも、オウムを葬り去ることを優先する社会に、森は強い警告を発する」と書いている。この批判は真相の究明は置き去りにされた根源を突く。島田の著作は、中島が提起したなぜ殺人という暴力に突っ走ったかの解明は不明だという。オウム事件は「社会の在り方に違和感を持つ人間の無意識の願望を象徴するものだった」(中島)がなぜ殺人という暴力に行きついたのかなお不明瞭なのだ。 宮台は、パッとしない自己を抱えながら、輝きを失った世界を生きることに生きる知恵を求めるのだが、空虚感を抱いた中でその生きる知恵は有効か。中島が指摘するオウムを求めた若者の心情―原理的構造は変わらずに存在する。
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コラム「風」 大飯原発再稼動と新たな、民主主義の流れ:川瀬俊治

2012年06月30日 20時32分08秒 | Weblog

  韓国の原発は80年代前半までに大方の立地場所が決まった。この特徴は何を意味するかというと、軍事独裁時代に韓国の原発の大枠が決まったことを意味する。それはどういうことか。

  民衆が軍事独裁時代に反抗することは至難の業だ。「第2の光州事件」といわれた忠清南道の安眠島での反核闘争はあったのが1990年のことだ。1987年の労働大争議があり大統領直選制を獲得してからだから、この安眠島の闘争は軍事独裁時代ではない。

  青森県の下北半島に「核燃サイクル」施設が集中している。巨大プロジェクトのむつ小川原総合開発計画が失敗したことが遠因になっていることは事実だ。大規模開発の失敗から「ノー」を言わさない空気が治世者に流れたことと関係が深い。

  当時の新聞の世論調査では反対が圧倒的だったのが青森県政は下北半島を核燃サイクル基地としたのである。韓国との類似した構造がここにないのか。そういう意味では原発はきわめて民主主義の有り様と関係が深い。

  大飯原発再稼動決定はこの国の民主主義の質を改めて示した。野田首相は外国人記者クラブで「精神論では乗り切れない」と切り捨てた。民主主義の声を精神論とする意見の持ち主には驚いた。昨日の首相官邸前に集まった人々はネットの呼びかけで参加した人が多い。動員型の社会運動ではないかたちがあらわれている。新しい流れを感じる。この流れが力をもつだろう。
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日本ペンクラブ退会の弁

2012年06月29日 23時53分22秒 | Weblog
日本ペンクラブ会員を25年以上続けていたが、この6月退会した。

入会当初は韓国の軍事政権時代。言論弾圧がすさまじかっただけにペンクラブの抗議にも何か言論人と、作家、詩人とともに参加しているような感覚を受けたようだった。30代のころだ。

10余年在籍した解放出版社での仕事で重なるのは差別語問題で、作家筒井さんの断筆宣言をしたとき、ペンクラブの動きがあったように覚えている。東京でペンクラブの会員の方とあったような記憶がうっすらとある。

しかし私のような無名の人間にはペンクラブはあまりにも遠い存在であり、入会の意味がないように感じて、今年度からの退会を願い出た。

別段とりたてた活動もしなかったのは、私の言論活動の貧弱さからだろう。

表現の自由を奪う動きは世界中でおきている。どう対するかは、実にペンクラブとしても難しい問題だろうが、時々の具体的に対応する動きこそ真骨頂だろう。国内での言論の不自由さと対峙するか。打ち破るか。これは自身の問題であり、その力の総体が日本ペンクラブの活動を活発にする唯一の方法だろう。

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メディア・ウオッチング 事実報道では納得できないー原子力規正法改正成立で

2012年06月26日 23時56分42秒 | Weblog
原子力開発は実は平和利用というのは、背後に軍事利用であることを今回の原子力基本法の改正で「わが国の安全保障に資する」との文言が含まれていることで明白になった。これに反対することの意味も明確になった。

 その意味とは核問題への原発だけに焦点化することのあやまりだろう。核兵器に守られた安保体制にも反対することだ。その覚悟と視点の反原発運動は持たねばならないし、そのことで広島、長崎の原爆投下の悲劇を後世の人間として乗り越えていく土台骨ができるのだ。

民主党が15日、自民党と公明党の主張を受け入れて原子力規制委員会設置法(原子力規正法)を提出したのだが、同法の付則で原子力基本法の改正も盛り込まれ 、「わが国の安全保障に資する」の文言が現れた。この法案が成立した20日の翌日21日新聞朝刊の報道では、朝日が「文言に懸念」と参議院での質疑を紹介しただけで、毎日も読売も附言にはふれず。はたしてこれでいいのか。

事実参議院の委員会では法案説明で吉野正芳自民党委員が「IAEAの保障措置業務を文部科学省に移管するために付け加えたもの」として軍事転用を否定した。ただ朝日が報じたように将来拡大解釈の可能性もあることは事実だ。

核戦略にかかわる事実は神経を尖らせてチェックする必要がある。原子力規制委員会設置法成立という事実報道ではやはり納得できない。
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