照る日曇る日 第2085回
「叶えられなかった祈りよりも、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される」という聖テレサの言葉が、「冷血」の著者がこの世に遺した最後の小説集の題名になっているが、私にはてんでその意味が分からなかった。
「ティファニーで朝食を」、「冷血」で有名作家に成り上がったカポーティが、おのが文芸活動の集大成として取り組んできた本作は、全部で12の短編が緩やかにつながる長編小説として構想されていたようだが、結局のこされたのは「まだ汚れていない怪獣」「ケイト・マクロード」「ラ・コート・バスク」の3本のみ。
カポーティを思わせる主人公P.B.ジョーンズの半生を、金持ち階級の腐敗堕ぶりを剔出しながら米帝のハイソの虚飾を、かのプルーストの向こうを張って描破しようとしたものらしいが、3本目は先行する2作品とはまったく連動していない。
それ以上の大問題は、これが当時の上流階級夫人の事実を上塗りした「超」がつくゴシップ&ポルノ・スキャンダルのオンパレードだったことで、「冷血」を遥かに凌ぐそのスーパーリアリズムは「事実は小説よりも奇なり」を地で行く様相を呈したのであったあ。
ハイソでは可愛がられていた「小説も書く男娼」は、飼い犬に噛まれた有閑階級のマダムと権力者のその夫たちによって、完全に社会と文芸の世界から葬り去られ、衝撃の余り無垢な魂の持ち主は、「無残に汚れた敗残者」として、60歳直前で急逝したのである。
さはさりながら「まだ汚れていない怪獣」の冒頭のある少女の作文に共感するカポーティの純情には、いたくほだされる。そこには「汚れても終生汚れることのない一匹の怪獣」がいたのだ。
「もし何でも出来るなら私は、私たちの惑星、地球の中心に出かけていって、ウラニウムやルビーや金を探したいです。まだ汚れていない怪獣を探したいです。それから田舎に引越したいです。フロリー・ロトンド。八歳」
勝った負けたと大騒ぎ されどあんたの人世じゃなし 蝶人