大元神社は、(4)で終わる予定だったが、下書きを見直していると、書き忘れたものがある。そこで、(5)を書くことにした。
もしかしたら、書いて載せているかもしれないが、別の切り口でもう一度書き加えて、載せることにする。重複かもしれない。
伊勢神宮の内宮には、鶴淵毛御彫馬(ツルフチケのオンエリウマ)と言う宝物が御機織機などと共に内宮に安置されている。
宮島の、「大元神社」にも、木彫りの「赤い馬」が安置されている。(写真)
「ネットで見聞広げたい」のtorisanサンが、検索して探してくれたもので、大元神社と、伊勢神宮の共通点を見る思いがした。
大元神社の木彫りの馬。
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水族館からまだ奥へ入ると、ひっそりたたずむ大元神社と大元公園があります。大元神社は飾り気がなく馬舎の雰囲気で中には木馬が2頭います。大元公園の海側には有名な"厳島の合戦"の古戦場がありますので歴史のロマンにひたってみるのもよし。山側はテーブルやいすが置いてあり、静かなところで一休みするにはもってこいの場所です。
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大元神社 | 不思議な木馬 |
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厳島神社
http://kamnavi.jp/ym/akimiya.htm
大元神社「大山祇神、保食神、國常立尊」
伊勢神宮は祭神が、言うまでもないが、「天照御大神」で、木彫りの馬が供えられている。宮島では、大元神社に、赤い馬が供えてある。この馬の説明は、多分この神社の関係者でも、今では説明できないだろう。
伊勢神宮と大元神社に宝物の「馬」が室内に安置される。
この謎を解く鍵は、先に書いたが、宇摩郡の中峰にある大元神社である。祭神が、天照大神。ここに、馬は無いが、ここは、「宇摩郡」である。
1、伊勢神宮は祭神が、天照大神で、馬(ウマ、宇摩をしめす)を供える。
2、宮島の大元神社は祭神が、国常立神(くにのとこたち)で、赤馬(ウマ、宇摩を示す)を供えている。
3、宇摩(ウマ)の中峰の大元神社は、祭神が、天照大神だ。
国常立神は、高天原の神で、天常立神(あまのとこたち)に続いて、生まれた神である。共に古事記の(古事記編)の最初に出てくる神である。次に閉めそう。
古事記の初め、
1段には、天地初発の時、高天原に成る神の名、天之御中主神とある。
2段目に、宇摩志亜斯可備比古遅(ウマしあしかびひこぢ)と、天常立神。
3段目に、国常立神となっている。したがって、「国常立神もウマ」の神と言える。
宮島の大元神社が、馬を供えるのは、実は、語らずとも、馬で「ウマ(宇摩)の神」とかけているのだ。しかも、赤い馬は、トップ、つまり、天照大神(卑弥呼)時代には、天照大神である(赤が卑弥呼と太鼓台で解いている)。
宮島の「赤い馬」のお供えは、「宇摩の神の神社で、国常立神の出身と、神社の大本の地域を示した。また、宮島の大元神社の祭神の国常立神は、この神社が、国常立神の時代に作られた事を教えている。だから、宮島の大元神社は、卑弥呼(天照大神)時代より古くからあった由緒正しい神社を示す事になろう。
先に伊勢神宮の馬も、宇摩を示すものだと解いている。
先に、宇摩郡には、祭神が、天御中主神や、天常立神の大元神社や、国常立神が祭神の大本神社があると説明したが、これは、それぞれの祭祀の時代を示していると見てよいだろう。
宇摩に中心があって、宇摩に作られた神社は地名から、「馬」を備える必要ない。こう判ると、先の3社が、関係する事が良く判るだろう。
先に言ったように、大元神社は、天照大神の首飾りに示される通り、、全国にあった、卑弥呼の支店、(視点でもある。鳥さんが居る。穀倉)であり、地域社会を束ねる組織の一つであった。
こうなると、伊勢神宮は、この例を引き継いで、宇摩を離れた時から、宝物の馬が飾られることになったのだろう、先には、飾り間の名から、同様のことを解いているから、これで重複した、より確かな解明となる。
と言うことは、穀倉とされるが、天照大神の代わりに、鏡を備えた神社の始まりだったことになろう。つまり、穀倉ではなく、神社だった。
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