刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

卑弥呼の墓はどこなんだ?(*^▽^*)

2020-06-10 19:55:00 | 古代史
いつも応援ありがとうございます。
よろしければポチっとお願いします( ^)o(^ )
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村
原始・古墳時代ランキング


【邪馬台国】古代史最大の謎の一つ。卑弥呼の眠る地はどこなのか、候補地を比べてみました。
2019/06/27 まあちゃん@YouTube


活発に邪馬台国関連の動画をアップしていただいているまあちゃんに以下のようなコメントしました。

刮目天一 15 分前(編集済み)
ひさびさにお邪魔します。盛り上がってますね!これだから止められない(^_-)-☆

でも皆さん、最新の考古学成果から今までの学説、
邪馬台国畿内説、九州に在った邪馬台国東遷説、最近復活してきた神武東征説、九州の方に人気の九州王朝説は全て古臭い説になっていることに気付いていないようですよ。

纏向の外来系土器を調べると当時の大陸・半島の玄関口の伊都国などを含む九州の外来系土器がほとんど見つかりません。あっても1%以下!伊都国に一大率を置いて女王への貢物を間違いなく届けた痕跡がない纏向は邪馬台国ではない決定的な証拠ですよ。他にも根拠はありますが、とっくに畿内説はアウトでした(;一_一)

また、北部九州に畿内系の土器が数多く集まっています。つまり九州の人々が畿内に来てヤマト王権を作ってはいないのです。九州王朝とヤマト王朝の二元論も成り立ちません。

でも単純に纏向のヤマトが北部九州を攻めてヤマト王権が成立したのではないことは、北部九州で見つかる畿内系・山陰・近江・尾張などの土器や楽浪土器や三韓土器が時期によって微妙に変わってくるので分かります。

また現存する日本最古の正史「日本書紀」はこのややこしい征服劇をどうやって隠して、完成当時の権力者藤原不比等に都合の良い歴史に改ざんしたのかという視点で推理するとすべての謎が解けてきます。

勿論「魏志倭人伝」の邪馬台国への行程記事も、当時の魏の朝廷の権力者司馬懿が邪馬台国を置きたい位置に置くために、倭国のことを全く知らない魏の朝廷の人々を納得させるための単なるつじつま合わせで作られたものですので、いまだに行程記事を正しく解釈すれば邪馬台国にたどり着くと考えるのは幻想にすぎません。「三国志」は西晋宣帝司馬懿の功績を最大限に持ち上げるために西晋の史官陳寿によって書かれた政治文書だったということです。

ですからむしろ女王国に政治的な思惑の無い范曄「後漢書」の記述が正解でした。陳寿は史官として権力者に不都合な真相を書けなかったのですが、歴史家のプライドから真相解明のヒントを残していました。この魏志の筆法を正確に読み取り、筆法には筆法で応えたために「魏志倭人伝」の話と違うので、相手にされませんでしたが、これが当時の文化なのです。「春秋の筆法」を解説されている孫栄健「邪馬台国の全解決」を参照してください(^_-)-☆



詳しくは刮目天の古代史ブログにあります。

「古代史の謎を推理する」

ちなみに、卑弥呼の墓も見つかっていますよ(^◇^)

卑弥呼の墓は見つかってるよ(^◇^)

この動画でまあちゃんにあげていただいた宇佐説だけですよ。ちゃんと卑弥呼の墓の伝承が残っているのはここだけです!他は全て後付けですから宇佐で間違いないですよ(^_-)-☆




最後までお付き合いありがとうございました。
よろしければポチ、ポチ、ポチっとお願いします( ^)o(^ )
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へにほんブログ村
原始・古墳時代ランキング



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。