刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

赤坂今井墳丘墓の被葬者は?(^_-)-☆

2024-02-20 03:10:35 | 古代史
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時々チェックしている動画が出ましたので、早速コメントしました。よろしければお付き合いください(#^.^#)

復活の富王!富雄丸山古墳ガチ予想
大丹波チャンネル 2024/02/18

蛇行剣と盾型銅鏡の下に眠る真の被葬者は誰だ?富王の復活に日本中が注目!世紀の瞬間を皆さんと共に!

おっしゃるとおり歴史仮説でしかないのです。

でも、なんで日本の古代史に謎が多いかを考えると、文献と事実、つまり考古学や民俗学などの成果との不整合が原因なのです。多くの学者は文献が正しいという前提で何とか解釈して乗り切ろうとしているのですが、謎は消えません。

仮説は事実に基づく検証が必要なので、科学的な解明方法ではないのですよ。

それは多分、記紀が天皇の歴史書と洗脳されているので思いつかないのでしょう!

現存する最古の正史の日本書紀は壬申の乱を制した天武天皇が編纂を命じましたが、完成したのは崩御後34年なのです。当時の権力者は藤原不比等ですから、藤原氏が権力を維持するために不都合な史実を隠し、都合の好いように歴史を改ざんしたのです。

日本書紀よりも先に完成したとされる古事記は、9世紀に突然表に出てきたもので、正史に記録はないですし、日本書紀が古事記を引用したり参照した形跡もないのです。日本書紀が隠した史実を藤原氏に悟られないように暴露する目的の暗号書だったのです(詳細は「刮目天の古代史」参照)。

これを解読すれば富雄丸山古墳の被葬者も吉野ヶ里遺跡の謎のエリアの石棺の被葬者も判明しました。詳しくは「【刮目天の古代史】今年の大発見第1位!(^_-)-☆」「【刮目天の古代史】今年の大発見第2位!(^_-)-☆」をご参照ください。一番ご興味のある大丹波の歴史も分かっています(詳細は「丹波はスサノヲ・大国主の故郷だった(^_-)-☆」「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!(^_-)-☆」参照)。お邪魔しました(^_-)-☆


【おまけ】というかこちらがメインです。傑出した副葬品が出土した赤坂今井墳丘墓の被葬者を推定しました。


弥生王墓の重要性について(書籍紹介もかねて)

大丹波チャンネル@YouTube


丹波はスサノヲ・大国主の故郷だった(^_-)-☆
GoogleMapより


ヒントは赤坂今井墳丘墓の南東約400mにある祭神が菅原道真だった咋岡神社です。中世までは天満宮とされていたのですが、明治になって主祭神をウカノミタマ(豊受大神、正体は天照皇大神大国主の妃台与)として誤魔化しています。あまり種を明かすと嫌がられますが、丹後半島では藤原氏によって特に念入りにウカノミタマを使って誤魔化していますから地元では何のために誤魔化すのか分かっていたはずですよ(^_-)-☆

道真は国譲り神話に登場する天穂日命を祖神とするので怖ろしい怨霊とみなされたのです。天穂日命は天日高日子穂穂出見命(山幸彦)のことで魏志倭人伝の狗古智卑狗(久々遅彦は王の襲名、豊岡市久久比神社の祭神)と突き止めています(「あの諏訪大社の神様も?(@_@)」参照。以下、日高日子)。出雲国風土記の国引き神話に登場する八束水臣津野命(以下、八束命)の御子で、大国主命久々遅彦の父です(「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!(^_-)-☆」参照)。すでに「【検証18】倭国大乱の痕跡だ!」で述べたように、二世紀末の倭国大乱の英雄で、佐賀平野や筑紫平野の倭国の集落を襲い、恐らく福岡平野や糸島平野まで侵入し、倭国王難升米(師升の子孫)を相当苦しめて、倭国は滅亡寸前だったようです。しかし、204年公孫氏が混乱していた半島を平定して帯方郡を設置しましたので、倭国は息を吹き返したようです。狗奴国の前線基地の山鹿市方保田東原遺跡や日高日子が居城とした菊池市うてな遺跡が難升米軍に急襲されて、油断していた日高日子が討たれた事件があったと推理しています。

父の八束命の戦略で大分県大野川流域から熊本県阿蘇山麓にかけて半島南部の鉄素材(板状鉄斧)を持ち込み、大量の鉄製武器を製作する多数の鍛冶集落を造りました。そこから供給された武器と山陰および畿内から呼び寄せた兵士を指揮して大活躍していました。その日高日子を喪って途方に暮れていた玄界灘を主な活動域とするムナカタ族の先代赤坂比古(和邇氏の祖)が難升米に懐柔され、宇佐市安心院町三女神社に宮室を置いていた卑弥呼(赤坂比古の娘、宗像女神イチキシマヒメ)による太陽神のお告げに従って政治を行う条件で狗奴国を裏切り、倭国側についたと推理しています。太陽神はすでに対馬市豊玉町で亡くなった八束命(海神豊玉彦、出雲市西谷9号墳の被葬者と推定)のことではないかと思います(詳細は「国引き神話は史実だった?(その5)西谷墳墓群の被葬者は?(^_-)-☆」参照)。

その直前に、赤坂比古は日高日子の遺骸を京丹後市峰山町赤坂まで運び赤坂今井墳丘墓を造り弔ったのではないかと考えています。赤坂比古は八束命の娘で日高日子の姉を娶っており(卑弥呼の母と推理、名前は不詳)、後で述べますが、義理の兄にあたると推理しています。日高日子の王位を継ぐ大国主命久々遅彦はまだ十歳くらいの子供だったので、赤坂比古が葬儀を仕切り、大国主少年やその母などの王族が葬儀に参列したと考えられます。赤坂今井墳丘墓の第一主体はまだしっかりと調査されていないとのことなので、もしも遺骸の痕跡が全くないのならば代わりに遺品が納められていると思われます。

赤坂比古は日高日子の右腕として赤坂今井墳丘墓の南西200mの山頂部(標高133m)にある現在の赤坂城跡を居城としていたので赤坂という地名が残っていると考えられます。赤坂城から西約300mに愛宕神社がありますが、赤坂比古と卑弥呼の弟赤坂比古を愛宕権現として祀っていると考えられます。全国の愛宕神社の中には、時々誤魔化しでカグツチが祀られることもあるようです(;´Д`)

赤坂比古は日高日子の遺族を置いて、先ほどのとおり九州で居城のひとつにしていた宇佐市安心院町の要害堅固な山城(邪馬台国、宮ノ原遺跡)に帰還したところ難升米の使者が訪れて和解を決断したと考えられます(詳細は「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!(^_-)-☆」参照)。山幸彦・海幸彦神話の山幸彦が日高日子(穂穂出見命)なので赤坂比古がムナカタ海神族の海幸彦であり、兄という設定から、日高日子の義理の兄と思われます。卑弥呼の墓の遥拝所の摂社が八束神社となっていますので卑弥呼の祖父と分かりました。神話では山幸彦が兄の釣り針を返したにもかかわらず、嫌がらせをするので海神豊玉彦から貰った魔法の珠を使って屈服させたとされています。しかし、これは卑弥呼の死後に卑弥呼の弟赤坂比古(日触使主)が戦意を喪失したので、難升米が逃亡したと推理しました。なので、父と共に狗奴国を裏切った弟赤坂比古が大国主に味方した史実に基づいて創られた話ではないかと考えています。

また、大国主神話の因幡の白兎の話は、赤坂比古が裏切り、邪魔者の大国主少年を身一つで、北九州市八束鬚神社にあった赤坂比古の陣屋から丹後半島に追放した史実に基づくと考えています(詳細は「新説「因幡の白兎」だ!(^_-)-☆」参照)。



そして、上の写真の赤坂今井墳丘墓の豪華な宝石の頭飾りの女性が4号墳に葬られていますが、日高日子の正妃で大国主の母刺国若比売ではないかと考えられます。その父刺国大神は和歌山市刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)の祭神で道臣命 (みちおみのみこと、大伴氏の祖神)と本居宣長が考えたようです。大国主の死後、大国主と女王台与の子ホムダワケ(応神天皇)が狗奴国卑弥弓呼大王(崇神天皇)によって纏向遺跡に呼ばれ祭祀王とされますが、応神天皇を警護したのが出自が謎だった大伴氏ですので、このような繋がりだったのでしょう。恐らく、日高日子の祖父のイタケル(スサノヲの王子)から関係があったのでしょう。アズミ族かも知れません。そして大国主が成人して母の遺体を亡き父の傍に葬ったと考えられます。

日高日子は丹後町宮の竹野川河口付近の竹野神社(たかのじんじゃ)を居城としていたと考えています。本当は日高日子神社ということなのでしょうが、藤原氏によって竹野と変更させられたと推理しています。地元ではあえて「たかの」と呼んでいます。「伊勢神宮はいつ誰が創建した?(その2)」で述べたように竹野神社は江戸時代まで斎宮神社と呼ばれていましたが、天武天皇がこの地に皇女を送って最初の斎王にしたと推理しています。

すでに「【大発見!】大国主命の生誕地か?」で述べたように、隣の豊岡市竹野町鷹野神社も天穂日命と菅原道真が祀られており、社伝によれば元宮が猫崎半島の付け根の小山にあったと思われる五社大明神とあり、その主祭神天照皇大神が大国主あるいは日高日子ということになります。丹後の竹野神社の東約1kmの海辺の城島まで行くと、竹野神社の南西約30kmの位置の大国主の生誕地のある猫埼半島が晴れた日には見えるかもしれません。

大国主は高野御子(たかのみこ)と呼ばれていたことを突き止めています。弘法大師空海が高野山を開いたときの有名な縁起譚に登場する神とされています(詳細は「高野山の秘密?」参照)。これも大国主の正体を隠すための隠語だったようです。

以上で、藤原氏によって徹底的に隠された、いわゆる丹後王国あるいは大丹波王国の正体が解明できました。あらたに日本建国に関わる実在人物と記紀などの登場人物の系図を改訂しましたのでご確認ください(;^ω^)



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