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大型の弥生墳丘墓の分布からは、日本海側に強力な王族が存在していた事が分かります。邪馬台国の地図とにらめっこする事で、ついに、卑弥呼の場所を突き止めました。
八俣遠呂智@YouTube
興味ある話題をありがとうございます。
卑弥呼の墓と言うことで拝見しましたが、残念ながら丸山古墳は魏志倭人伝にある径百余歩の冢(直径約150mの円形墳墓)よりも小振りなものですね。
また、倭国の地は温暖で冬でも生野菜を食べ、はだしで生活しているとあるので、福井県あたりは該当しません。
さらに女王国の地理的条件は「女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種」とあり、東側が海で千余里先の対岸にまた倭人の国があると明記されています。
これらの条件に該当しないものは、無視する合理的な理由がない限り卑弥呼の墓とは認められません。
ちなみに、ご存じないようですが、卑弥呼の墓の条件を備えたものが発見されています。
宇佐市安心院町下毛「三柱山古墳」です。
なぜ、この地なのかも考古学や民俗学などの成果から推理しています。卑弥呼は倭国を統治する女王ではなく、玄界灘を活動域とする縄文海人ムナカタ族の赤坂比古(和邇氏の祖)の姫巫女市杵島姫と推理しています。政治的な理由で女王とされていますが太陽神の神託を告げる姫巫女です。
宇佐神宮の祭神比売大神、日本全国の厳島神社や弁天宮でも祀られています(詳細は「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」参照)。日本書紀では宗像三女神として誤魔化していますが、主神の市杵島姫が卑弥呼です。4世紀に始まる沖ノ島祭祀は和邇氏が祖神として祀ったものです。
そして、この地には卑弥呼が日食のために殺されたことを示唆する地名が墓の遥拝所(ヒカケ三女神社)にあります。また墓の横の血野という地名は、奴婢百余名が惨殺されて殉葬されたことを示唆しています。さらにこの周辺に卑弥呼に関する伝承や遺構・遺物など多数があります(詳細は「卑弥呼の墓の遥拝所に何がある?」参照)。
卑弥呼の墓よりも少しだけ小さい直径120mの円墳「奥城古墳」も弥生後期の宮ノ原遺跡に在ります。卑弥呼の父の墓で、魏志倭人伝の正始四年の朝貢の途中で亡くなったとみられる大夫伊聲耆と推理しています。
なお、丸山は和邇(丸)氏の円墳を示しているようです。富雄丸山古墳の被葬者は卑弥呼の弟赤坂比古(日本書紀の日触使主)の孫で応神天皇の皇太子ウジノワキノイラツコで、宇治天皇として即位しておりオオサザキに暗殺されたと推理しています。
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滋賀県守山市から10kmほど北東に行くと卑弥呼を祀る日牟禮八幡宮がありますよ!琵琶湖のこのあたりは縄文系海人族の姫巫女で、卑弥呼の宗女の女王台与(神功皇后のモデル)の出身地ですから、台与もこんな感じの美人でしたよ( ^)o(^ )!
後まで読んでいただき、感謝します。通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)