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ヤマトタケルの正体は誰?(^_-)-☆

2022-11-19 11:17:54 | 古代史
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2022-01-28 17:15:30にこの記事を掲載しましたが、その後ヤマトタケルの正体が判明していますので、末尾にそれに関する内容を追加しました。お付き合いください(#^.^#)

井上章一「なぜ9世紀初頭の伊勢神宮はヤマトタケル伝説を黙殺したのか? その記述の変遷から見えたもの」1/26(水) 12:01配信 婦人公論.jpといういい記事を見つけました。
 かいつまんで言うと、延暦二十三年(804年)に伊勢神宮が神祇官に提出した伊勢内外宮の儀式帳の中にヤマトタケルの記事がないので、記紀のヤマトタケルの話は創作だと分かるという内容です。現在は内宮で女神アマテラスを皇祖神として祀るとされる伊勢神宮には、三世紀の日本建国時代にヤマト王権との繫がりを示す考古学上の遺物がなく、伊勢湾西岸地域では六世紀以降にようやくヤマト王権の支配が及ぶようになるようです(山中章「考古学からみた古代王権の伊勢神宮奉祭試論」参照)。ですから、伊勢神宮内宮の創建が、 垂仁天皇二十六年という話も創作だと分かりますし、ヤマトタケルが東征にあたり立ち寄った伊勢神宮の斎宮の起源とされる、叔母のヤマトヒメの話も創作だと分かります。だいたい皇祖神を宮中から追い出す話など、とても考えられない話ですからね。卑弥呼がヤマトヒメだという説もありますし、卑弥呼が天照大御神だという説なども学説になっているようですが、共に実在人物ではないですから、学説として扱うなど噴飯ものですよね(【日本人必見】女神アマテラスは血塗られた皇祖神!」参照)。

いずれにしても井上章一氏の記事に目を通して頂くと、最初(2020-08-11 18:16:48)に掲載した本記事の内容がご理解しやすくなるかもしれません。どうぞ、お付き合いください(*^▽^*)

神功皇后のご実家 坂田郡 伊吹山麓
2020-08-10 【九里】を探して三千里

kunorikunori様
いつもいいヒントを頂き、大変有難うございます。
早速、伊吹山の山頂に行って参りました(*^▽^*)
そこで発見したもので、すべての謎が解けたようですよ(@_@)。

まずは、高島市の長田神社ですが、ご祭神が事代主!ご存知のとおり大国主の長男で、国譲り神話に登場する神です。高天原の命令で大国主に国を譲るように迫ったタケミカズチは鹿島神宮の祭神で藤原氏の遠祖ですが、大国主は事代主に聞いてくれと言いました。Wiki「事代主」によると海で釣りをしていたようですが、「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまったとあります。つまり、呪いの言葉を放ちながら自害したようです。釣りと女性好きのちょっと間抜けで人気者のキャラの事代主ですが、神武天皇の妃媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)の父で、七福神の恵比寿様として商売繁盛の神様としても多くの人々から慕われています。

しかし、神武天皇は創作と分かっていますから、事代主もお話の中だけの人物のようです。「記紀神話」の神武天皇は、神功皇后と仲哀天皇から生まれたとする応神天皇の分身だと突き止めています。仲哀天皇も、モデルは尾張王だと推理していますが、日本書紀が創りだした架空の人物です。ですから、応神天皇の本当の父は大国主狗古智卑狗(久々遅彦)ですので、事代主は大国主のことと考えてもいいでしょう。

この長田神社の相殿に、なんとアメノウズメが祀られています。アメノウズメは記紀神話では天の岩戸の話にも登場しますが、邇邇芸命(ににぎ)の天孫降臨の場面に登場するサルタヒコとアメノウズメとはペアの神なのです。ですから、そのサルタヒコは事代主・大国主と同一神だということも分かります。ということは、何のことはない、アメノウズメはサルタヒコ=大国主の妃、女王台与のことだとわかるのです。サルタヒコ・アメノウズメのペアは大国主・台与のペアの分身と考えていいということです(本当は怖い七福神の謎)。

東大阪市の長田神社の祭神も品陀別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、多紀理毘売命(大国主命と神婚伝承のある宗像女神台与)ですが、摂社の琴平神社には大物主(大国主)が祀られていると思います。

さて、次にkunorikunori様が着目された日撫(ひなで)神社のご祭神は少彦名命、息長宿禰王、應神天皇とあり、息長宿禰王は神功皇后台与の父です。少彦名命ですが、大国主と一緒に国造りした神ですから、娘台与を大国主に嫁がせた息長宿禰王のことではないかと考えています。

そして、日撫をネットで検索すると、ナント・ナント凄いところで見つかりました(*^。^*)

兵庫県豊岡市に日撫(ひなど)という地名があり、その直ぐ横に久々比神社があるじゃないですか!

ご祭神は久々遅命、つまり魏志倭人伝で登場する狗奴国の官狗古智卑狗(久々遅彦)でした。13歳の台与を女王にして、その後娶った大国主のことです。相殿の神が大国主命と多紀理比売命となってますからやっぱり台与のことです。ここでも台与がムナカタ海人族の姫巫女・祝女(はふりめ)だったのだと分かります。

久々比は鵠(くぐい、コウノトリ)ということですが、日本書紀 垂仁紀に口のきけない誉津別(ほむつわけ)皇子がコウノトリを見て声を出したので天皇が喜び、捕まえてくるように指示し、久々比神社まで追いかけ、そこで捕まえたので、その地の産土神を祀ったという話になっています。しかし、例によって後付けの伝承でしょう。元の神社名は恐らく久々遅彦神社ではないかと思います。祭神はスサノヲの子イタケルと同じ木の神で、建前の時に祀る木霊ですから、イタケルの直系の子孫。代々、久々遅彦を襲名したのだと思います。

大国主の先代久々遅彦が、熊本県菊池市に軍事基地を造って度々倭国の筑紫平野を脅かしていたと推理しています。第一次倭国大乱の時期です。204年に公孫氏が半島を平定し、帯方郡を作ったので半島情勢が落ち着き、倭国との交易が再開して、倭国も勢いを取り戻した模様です。倭国王難升米は目障りだった菊池市付近の軍事基地(方保田東原遺跡・うてな遺跡)を攻撃し、先代の久々遅彦が戦死したのではないかと推理しています。

半島南部の鉄素材を沖ノ島経由で旧奴国王族に供給していたムナカタ族が久々遅彦を失い動揺したので、難升米王は、停戦を呼び掛け、ムナカタ族を懐柔したと推理しました。ムナカタの姫巫女卑弥呼が太陽神の神託を倭国王難升米に伝えることにより、政治を行うこととしたと考えています。魏志倭人伝では男弟ということにした、伊都国男王で奴国を滅ぼした師升王の子孫です。

倭国大乱期から、卑弥呼はムナカタ族の根拠地の不弥国(うみこく、宗像大社付近)から、安全な野麻国(やまこく、宇佐市安心院町)へ疎開して、要害堅固な山城に匿われていたので、卑弥呼(院)が安心できたという故事から安心院の地名が生まれたのでしょう。元はアズミ族が開発した土地でしたので、アジムと発音したようです。邪馬台国は野麻国(やまこく)に居る女王(台)のクニを意味しますが、これは239年大夫難升米(伊都国男王)と魏の実力者司馬懿の部下の帯方郡太守劉夏が談合して、魏の朝廷の人々の目を引くように倭国を女王の統治する国としたことに依ると推理しました。ですから、安心院町や周辺に耶馬渓という地名は残っていますが、邪馬台国が野麻国(やまこく)のことと知っているのは当時の教養人だけで(注1)、ほとんどの倭人は邪馬台国と言われてもどこのことなのか分からなかったと思います(*^^)v。

話をもとに戻して、kunorikunori様が指摘された「大阪長田神社 ー 日牟禮八幡宮 ― 日撫神社 ― 伊吹山 が直線だった。」ですが、本当に一本の線で繋がります(^_-)-☆

最初に申し上げたヤマトタケルの正体ですが、伊吹山の山頂で祀られている弥勒菩薩、つまり大国主久々遅彦の本地仏を発見しました。山頂にはヤマトタケル像が有名ですが、弥勒菩薩の祠が何と二か所もありました(*^▽^*)



ヤマトタケルの話と大国主の話は全然違うものですが、ヤマトタケルは記紀神話の登場人物でしかなく、大国主久々遅彦こそ日本建国で活躍した実在人物でした。日本神話のスーパースターのヤマトタケル(日本武尊)を何故登場させたのかですが、本当の建国の主役を隠す目的だと思われます。古事記の方はそうはさせじと大国主の神話をたくさん登場させていますから分かります。そして、ヤマト朝廷から最も畏れられていたのが、出雲大社や宇佐神宮寺の弥勒寺をはじめ日本全国で最も丁重に祀られている人物だから分かります。日本建国の主役でヤマトに国譲りした大国主は祟るのです。勿論、祟るというのは祟られる方に後ろめたい問題があるからですが(;一_一)

関裕二さんの「創られた英雄 ヤマトタケルの正体」(PHP文庫)の中で、ヤマトタケルの御陵が鳴動すると持統天皇が勅使を立てて霊を慰める話や、晩年の持統天皇が天武天皇にゆかりのある東国へ行幸された話など、ヤマトタケルと天武天皇との共通点など数々の興味深い話が紹介されています。その中で印象深いのはヤマトタケルが大国主と関わりがあることに言及されている点でした。

神功皇后台与に常に寄り添って助けた武内宿禰(たけしうちのすくね、古事記では建内宿禰)こそ大国主狗古智卑狗のことなのですが、その武(建)は猛(タケル)でヤマトタケル日本武尊を連想させます。持統天皇は天武天皇が皇太子としていたと思われる大津皇子を謀略で自害させて皇位を奪ったことの後ろめたさから、天武天皇の祟りを畏れたと思われ、表向きはヤマトタケルとしていますが、ヤマトタケルは大国主の分身でもあるので、天武天皇が日本書紀では天智天皇の兄弟となっていますが、実はそれも誤魔化しでしかなく、本当は大国主の末裔であることを示唆しています。

さて、kunorikunori様が発見した直線上の日撫神社の日撫(ひなで、ひなど)という言葉の意味ですが、勿論人間は太陽を直接手で撫でることはできません。それは日触(ひふれ)と共通しています。日は太陽神を表すと見て、神に身を寄せて、手で触れて、撫でて霊を慰めることだと思います。その太陽神が大国主です。大国主を歴史から隠した物部氏や藤原氏の横暴から大国主にゆかりのあるムナカタ一族を護ってほしいという願いが込められているようです。

日食が原因で殺された卑弥呼の霊を祀っていた神社名や祀った先祖の名前を強引に不比等によって変えられたことの反発から日蝕を連想させる日触という言葉を発明したのではないかと想像しました(卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう)。豊岡市日撫(ひなど)を根拠地としていた大国主ゆかりの一族が霊を慰めるために発明した言葉が日撫ではないかと思います(注2)。ですから同様に、日食により殺された卑弥呼の霊を祀るために日蝕を連想させる日触(ひふれ)という言葉を発明したのだと、ヤマトタケルが伊吹山で教えてくれたようです(*^▽^*)

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さて、最初に述べたとおり、ヤマトタケルの正体について分かったことについて述べます。この人物は日本建国のスーパースターとして不比等が真の主役であった大国主久々遅彦を隠す目的で登場させたと推理しました。ヤマトタケルの父の景行天皇は実は、ヤマトタケルの子で、景行天皇の孫の仲哀天皇とされた尾張王乎止与命(ヲトヨノミコト)の仇討ちを成功させた人物の尾張王建稲種命(タケイナダネノミコト)だったのです。その後、ヤマトに戻り、崇神天皇とされた狗奴国王卑弥弓呼の命を受けて大国主の傘下だった列島各地の勢力を討って日本建国を行った英雄です。崇神紀では四道将軍の話を創って誤魔化していますが、古墳時代初頭の鉄鏃・銅鏃の出土状況から景行天皇の九州遠征もヤマトタケルの出雲や東国遠征も尾張勢が参加したことを表す銅鏃が環濠や溝から出土していることから判明し、物語はすべてこの時期の史実を誤魔化すために作られたものと分かりました(【付録】参照)。


(「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」からMyMapで詳細な地図データが分かりますよ(^_-)-☆)

建稲種命は熱田神宮の祭神のひと柱としてヤマトタケルとその妃宮簀媛(みやずひめ、生没年不詳)らとともに祀られています。宮簀媛は建稲種命の妹とされる尾張氏の祖ということですが、物語のみに登場する人物です。建稲種命については神社伝承ではヤマトタケルの東国遠征で副将として参加し、東征の帰路に駿河(伊豆)沖の海で水難事故で死んだという伝承が残っています。ヤマトタケルの物語は建稲種命をモデルとして作られたものだったのです。

熱田神宮のご神体は草薙剣ですが、ヤマトタケルが東征にあたり立ち寄った伊勢神宮でおばの倭姫命(やまとひめのみこと、生没年不詳)から授かった天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という三種の神器のひとつである神剣です。天叢雲剣は高天原を追放されたスサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、オロチの体内(尾)から見つかった剣という話です。どういうわけか女神アマテラスが孫のニニギノミコトに授けて天孫降臨させたという話になっています。しかしこれらの神話も作り話です。史実は宋史 第二代奴国王天村雲尊が孫の第四代王天爾聞尊(あめのににぎのみこと)に剣・鏡・玉を王の印(レガリヤ)として与えて、福岡市吉武・高木遺跡の王宮から王宮を春日市須玖岡本遺跡に新造させ、博多の比恵・那珂遺跡に交易都市を建造させた史実を基にして作られた話だと推理しています(詳細は「【検証21】天孫降臨と草薙剣の謎?」参照)。日本書紀の編纂者は福岡市の奴国が第18代王スサノヲが奴国宮廷楽師師升らのクーデターで殺された史実を知っていたことが、スサノヲが高天原を神やらひ(追放)された乱暴者の神であることを意味する「儺県(なのあがた)」と博多の地名を仲哀天皇紀14年に書いていることから判明しました(注3)。

建国の英雄ヤマトタケルの話などは、史実を誤魔化すためのフィクションだと分かりましたが、一旦盗まれた草薙の剣が返還・奉納されたことに因み熱田神宮に伝わる、酔笑人(えようど)神事という奇妙で愉快な祭りが、真相を暴露しているようですよ( ^)o(^ )。



【付録】日本書紀による第10代崇神天皇即位から第15代応神天皇即位までの年表


【関連記事】
抹殺された尾張氏の謎(その1)~(その3)尾張と言えばカニだ~わ!
サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?

【参考記事】
卑弥呼は日食で殺されたムナカタの姫巫女だろう(@_@)
卑弥呼を不比等から護った人物?(;一_一)
本当は怖い七福神の謎(;一_一)
古代史の謎を推理する(^_-)-☆

(注1)【わかった!】室見川銘板のなぞ(^_-)-☆で見たように、当時の王や大夫の階層は漢字を読めたという証拠がこの銘板です。伊都国男王難升米は孟子も勉強していたと思われます。伊都は殷(商)王朝初期の有名な政治家伊尹(いいん)に因む都だと思います。奴国の司祭・楽師らのリーダーだったと思われる師升がクーデターを起こし、スサノヲ大王を殺害し、奴国を乗っ取った人物だと推理しています。難升米は師升王の一族でしょう。難(儺)升が姓で米(まい)が名ではないかと思います。鬼(スサノヲ大王)を追い出した(儺=おにやらい)楽師升に因み難升を姓にしたのだと思います。難は儺の略字です。漢委奴国王の金印に見られる委が倭の略字と同様にんべんが省略されたものと思います。と書きましたが、米は首長を表す意味もあり、難升米は師升(儺升)一族の頭(かしら)という名前だと思います。(2022.11.19 赤字追加)

(注2)日撫神社の由緒書『山田造火撫直ありて、共に後漢霊帝4世の孫阿知使主の族也と云う、之によれば、ニ氏の俗或は此地に居る者、其の祖先を祀れるか」と、また「神社覈録」でも、「祭神火撫直祖神譽」と記されている。』とありますが、日撫という言葉がいかにも不自然なので、朝廷に神社名変更を強制される前に、由緒書で「日」を「火」に変えたのではないでしょうか。

(注3)女神アマテラスも、クーデターを逃れて吉備で奴国を再興してヤマト王権の基礎を築いた、スサノヲの弟で第19代王天照大神尊ニギハヤヒ大王から連想して創作されたものです。吉備津彦として隠されましたが、今上陛下の祖先です。天照皇大神については昔から男神説がありましたが、明治になるまでは多くの人々は伊勢神宮の御祭神はヘビ、つまり三輪山の大物主大神、大国主久々遅彦だと知っていたのです。

明治政府が、平田篤胤(ひらたあつたね)の記紀神話に基づく復古神道から国家神道を創設して、日本書紀を国史として国民に教育したので、多くの日本人は天皇の歴史書だと勘違いしていますが、正体は藤原氏に都合の良いウソの歴史書だったのです。平安時代後期までに6回、朝廷の中で講義が行われていた記録がありますが、それ以降は、僧侶などによって伝えられているだけで、ほとんど知られてはいませんでした。  
 
また、古事記は江戸時代に本居宣長が発掘するまでほとんど知られていなかったのです。ですから、中世には日本神話の内容は神仏習合の影響もあり、日本書紀とは全く異なるものであったことが知られています。斎藤英喜「読み替えられた日本神話」(講談社現代新書1871、2006年)に詳しく書かれています。ですから、記紀神話を日本民族のアイデンティティーと信じている多くの日本人は藤原不比等の嘘にまんまと騙されているのですよ。女性天皇や女系天皇を待望する日本国民が8割ですから、真相に気づかないと日本はとても危ないですよ(;´Д`)


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通説と違うので、初めての方は「古代史を推理する」をご覧ください。
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