昭和36年(1961)(66才)
結局、人間は神の意志によって生き、神の意志によって死ぬということやろな。
人間の意志によって生き、人間の意志によって死ぬということじゃないな。
人間の、つまり人類の恒久性ということも、神の意志によって保たれ、神の意志によって発展するということがいえるのやな、基本的には。
だから、その神の意志の範囲においてわれわれが最善を尽くすということだけが認められている。
われわれもそれを信じてやるべきである、というようになるな。
人間の生死観というものは、そういうものやな。
人間の性質というものも、人間の意志以外が決めている。
まあいちばん考えなければならんのが、やっぱり神の意志によってこの世に生まれてきて、
神の意志によってこの世から去っていくということやろな。
その生きているあいだに、神の意志は一人一人に一つの使命を与えている。
それが、われわれには分からんからね。
手探りで、それを察知する、
あるいは経験によって、あるいは経験した人々の数えによって察知して、
その与えられた運命に近い生活をしていくということが、いちばん幸せということやろな。
そういうことを察知すれば、自分はどういうような運命で、どのような神の思召によってここに生まれてきているのか。
たぶんこうだろう、
じゃあ自分はそのとおり誠実にやっていこう。
適当な時が来れば、神が死を宣告してくれるだろう。
それまでは神によって得た命やから大切にせああかん、
こういう生活態度がそこに生まれてくるのではないか。
基本の生死観だけそういうように考えたらいいのやね。
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