今日は お盆の終わり 送り盆です
幼いころ 15日の夕暮れ時になると
祖母の手に引かれ お墓参りに行ったものです
仏壇にお供えした 供花 お素麺 果物 お団子 など
お墓の近くを流れる川に流します
お墓に着くと あちらこちらから 花火のパチパチという音と
火薬の匂いと共に 子供たちの歓声が聞こえてきていました
私も 合流した兄達と 花火をあげるのが楽しみで ワクワクしたものです
帰り際には 祖母が私に送ってくれる うちわの風が 何となく
ひんやりとして 涼やかで 夏の終わりを子供ながらに さみしく 感じたことを覚えています
今では 川にお供え物を流すことは もちろん禁じられ
花火も 見られなくなりました
私の生まれ育ったところは 300戸ほどの集落で
10軒くらいの窯元があり 最盛期には
周りの集落の農家から働きに通う工員の人がたくさんいて
お昼休みになると 数件ある食料品店には
買い物をする工員の人であふれかえっていました
通りにある商店街には 床屋さん 八百屋さん お米屋さん 呉服屋さん
お魚屋さん 銀行 郵便局 酒屋さん 薬局 うどん屋さん お饅頭屋さん 病院 旅館 などなど
軒並みお店が並んで 多くの人が賑わい 活気があったのです
夏になると お店の軒下には 「ばんこ」と言って 縁台が出されて
浴衣をゆったりと羽織ったおばさんたちが 蚊取り線香を焚いて 夕涼みをしていました
あの頃は 余裕があったのでしょうか
時がゆっくり流れていたように思います
その並んだ「ばんこ」の中でも ひときわ大きい縁台が出ていたのは
我が家のはす向かいにある
N呉服店でした
大きな間口の 広いお店には 色とりどりの洋服や
着物や 帯が 棚に 重ねて置かれていて
若くて 明るくて 笑顔のお姉さんたちが
住み込みで 10人ほど 働いていました
お店の手伝いをしたり お掃除や まかないなど
いつも 忙しそうでした
子供の頃 よく遊びに行っていました
夜は お姉さんたちのお布団に入れてもらって
泊まりにもいっていました
そのお姉さんたちも 数年経つと
結婚や 都会に出て行ったりして 辞めて去っていく人もいたのです
私がまだ小学校に上がる前だったでしょうか
その中のひとり 都会に出ていた T子姉さんと
私の従兄が縁があって 結婚することが決まりました
従兄は 伯母さんと共に
薬局や 食料品を売るお店を営んでいました
その頃は まだ新幹線も通っていなかったので
T子姉さんは 遠く 夜汽車に乗って
故郷に帰ってくることになったのです
従兄の家では
「お嫁さんがやって来る」というので
朝から 親戚中が 集まって大騒ぎです
間もなく
迎えの車に乗った T子姉さんは
襟元にブローチを付けた モスグリーンの素敵なツーピースを身に付けて
スッと 店先に下り立ちました
あんなに騒がしかった 親戚のおじさんも おばさんも
一瞬 息をのんで時が止まったようでした
T子姉さんは
色白で きらきらと 美しく輝いていました
私は なんだか 恥ずかしくて 母の後ろに隠れていたのですが
T子姉さんは すぐに 私を見つけて
「あっ! 〇〇ちゃんね」と 私の名前を呼んで
駆け寄って 私を グッと抱きしめてくれたのです
ほっぺを すりすり してくれている時に
あま~い チューインガムの香りがしたことを
いまでも 覚えています
あれから 60数年にわたって お店を切り盛りしながら
3人の子供を育て上げ T子姉さんは この春旅立ちました
実家に行くたびに 私の子供たちにも お菓子やアイスを持たせてくれて
可愛がってくれ ずいぶんお世話になったのです
今年は 初盆を迎え 主人と共に お参りさせてもらいました
飾られた遺影のT子姉さんは やさしく 微笑んでくれていました
佳秀窯HP ↓
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