有田焼で白磁・青磁を作っています。
佳秀窯日記



 

今朝も 町から 「熱中症警戒警報」のメールが届きました

相変わらず 連日残暑がきびしい日々です

 

夫は 春からのご注文に加え 先日の個展の追作 など

秋までには お納めしなければならない 作品を

造ったり 削ったり 

暑さと闘いながら 制作しています

 

 

削りが仕上がると 今度は 私の水拭きが待っています

作業を始めたものの 額から 汗がしたたり落ちて 

汗が止まりません

額にタオルを巻きつけて お寿司屋さんみたいな恰好で

夫は 笑っています

 

 

 

今日

関東にお住いのM様から

「奈良を旅してきました」と 

胡麻豆腐 や 葛ゼリー など 

美味しい奈良名物が いっぱい届きました

さっそく 吉野の本葛を使った「葛もち」を

おやつに頂いて ホッと ひと息

美味しく頂戴しました

 

小腹を満たしたところで

髪のカットに出かけました

同年配くらいの美容師さんが対応してくれました

カット、シャンプーと段取りよく進んで

台に横たわる 私の首に 熱く蒸したタオルを

敷いてくださって

目の上にも 蒸しタオルをそっと やさしく 当てて下さいました

「熱くないですか?」

「いいえ とっても気持ちがいいです」と

本当に ぽかぽかと 陽だまりに居るような

やさしい 温もりに包まれます

「あ~あ 幸せです」とお礼を言いますと

「よく子供たちを起こすときに 温めたタオルを目に当ててやっていたんです」と

 

「早く起きなさい」と 急き立てるのではなくて 

あったかいタオルを乗せてあげて

子供たちを起こしていたのだと言われました

一瞬耳を疑いました

「ええ~っ!」

自分は人生であまり怒るという事がないのだとも

「気まずくなりそうになったら 早めに ごめんなさいねと

言っておくとあとが楽で・・」と

穏やかな人柄だとお話をしているとすぐにわかります

 

首や目を温めてもらいながら 

心の隅々まで温まるような時間でした

 

「はやく はやく・・」と子供たちを急かせたり

しつけのつもりで 感情もあらわにきつく叱ったり・・

私がやってきたことは 何だったのだろう・・

 

こんな風に 温かく包まれたほうが ずっと ずっと

幸せだったはずなのに・・

目の奥がジ~~ンとして タオルが乗ってなかったら

涙がこぼれ落ちそうでした

 

 

若いころは 忙しなく バタバタと 必死で生きてきて

 余裕もなく

家族にも やさしく接して来られなかった

いや 生活のせいではなく

私自身の心の余裕がなかったのです

 

これからでも遅くないのでしょうか?

心も 目も 耳も 澄ませてみよう・・と

ひそかに 思ったのです

 

佳秀窯HP ↓

 https://www.nishiyama-tadashi.c

 



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今日は お盆の終わり 送り盆です

幼いころ 15日の夕暮れ時になると

祖母の手に引かれ お墓参りに行ったものです

仏壇にお供えした 供花 お素麺 果物 お団子 など

お墓の近くを流れる川に流します

お墓に着くと あちらこちらから 花火のパチパチという音と

火薬の匂いと共に 子供たちの歓声が聞こえてきていました

私も 合流した兄達と 花火をあげるのが楽しみで ワクワクしたものです

帰り際には 祖母が私に送ってくれる うちわの風が 何となく

ひんやりとして 涼やかで 夏の終わりを子供ながらに さみしく 感じたことを覚えています

今では 川にお供え物を流すことは もちろん禁じられ 

花火も 見られなくなりました

 

 

私の生まれ育ったところは 300戸ほどの集落で

10軒くらいの窯元があり 最盛期には 

周りの集落の農家から働きに通う工員の人がたくさんいて

お昼休みになると 数件ある食料品店には

買い物をする工員の人であふれかえっていました

 

通りにある商店街には 床屋さん 八百屋さん お米屋さん 呉服屋さん

お魚屋さん 銀行 郵便局 酒屋さん 薬局 うどん屋さん お饅頭屋さん 病院 旅館 などなど

軒並みお店が並んで 多くの人が賑わい 活気があったのです

 

夏になると お店の軒下には 「ばんこ」と言って 縁台が出されて

浴衣をゆったりと羽織ったおばさんたちが 蚊取り線香を焚いて 夕涼みをしていました

あの頃は 余裕があったのでしょうか 

時がゆっくり流れていたように思います

その並んだ「ばんこ」の中でも ひときわ大きい縁台が出ていたのは 

我が家のはす向かいにある 

N呉服店でした

 

 

大きな間口の 広いお店には 色とりどりの洋服や

着物や 帯が 棚に 重ねて置かれていて

若くて 明るくて 笑顔のお姉さんたちが 

住み込みで 10人ほど 働いていました

お店の手伝いをしたり お掃除や まかないなど 

いつも 忙しそうでした

子供の頃 よく遊びに行っていました

夜は お姉さんたちのお布団に入れてもらって 

泊まりにもいっていました

そのお姉さんたちも 数年経つと

 結婚や 都会に出て行ったりして 辞めて去っていく人もいたのです

 

私がまだ小学校に上がる前だったでしょうか

その中のひとり 都会に出ていた T子姉さんと 

私の従兄が縁があって 結婚することが決まりました

従兄は 伯母さんと共に

薬局や 食料品を売るお店を営んでいました

 

その頃は まだ新幹線も通っていなかったので

T子姉さんは 遠く 夜汽車に乗って

故郷に帰ってくることになったのです

 

従兄の家では 

「お嫁さんがやって来る」というので 

朝から 親戚中が 集まって大騒ぎです

 

間もなく

迎えの車に乗った T子姉さんは 

襟元にブローチを付けた モスグリーンの素敵なツーピースを身に付けて

スッと 店先に下り立ちました

あんなに騒がしかった 親戚のおじさんも おばさんも

一瞬 息をのんで時が止まったようでした

T子姉さん

色白で きらきらと 美しく輝いていました

 

私は なんだか 恥ずかしくて 母の後ろに隠れていたのですが

T子姉さんは すぐに 私を見つけて

「あっ! 〇〇ちゃんね」と 私の名前を呼んで

駆け寄って 私を グッと抱きしめてくれたのです

ほっぺを すりすり してくれている時に

あま~い チューインガムの香りがしたことを

いまでも 覚えています

 

 

あれから 60数年にわたって お店を切り盛りしながら

3人の子供を育て上げ T子姉さんは この春旅立ちました 

実家に行くたびに 私の子供たちにも お菓子やアイスを持たせてくれて

可愛がってくれ ずいぶんお世話になったのです

 

今年は 初盆を迎え 主人と共に お参りさせてもらいました

飾られた遺影のT子姉さんは やさしく 微笑んでくれていました

 

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