今日は 先日までの底冷えの寒さが うそのように
穏やかで あたたかな お天気になりました
今日の工房は ろくろの回転に合わせて
高台削りの ザッー という音が 静かに響いています
そんな昼下がり 一枚のはがきが届きました
高校の同窓名簿の作成で
住所不明になっている卒業生の名前が 並んでいて
問合せの葉書だった
卒業して 数十年経っているので
名前が変わったり 引っ越したりして 分からなくなっているのかな~
何気なく 開いたら そこに懐かしい M子さんの名前がありました
私の育った小さな村には 高校はなく 町まで出なければりません
私の選んだ 県立K高校は くねくねと曲がりくねった山道を越えた 街にありました
この冬みたいに 積雪になると バスも不通になり 休学になります
そんなこともあってか 同じ中学から その高校に進んだのは 女子は4人だけでした
進学して 数カ月しても 友人とはクラスも別だし
授業も難しく 退屈で さみしくて・・・
その日の 歴史の授業も子守唄みたいに 聞こえていた時でした
私の前の席に座っている人の 背中を何気なく 見ていたら
真っ白い綿の制服を通して 名前が透けて 浮き上がっているのです
可笑しくなって 休み時間 トントン と 肩を叩いて
思い切って 声を掛けてみました
クルッと 振り返った M子ちゃんは 丸顔の愛くるしい顔をして
メガネの奥の やさしい瞳が 私を見ていました
「ふふふ・・・ あのね 私の母は 何でもかんでも 名前を書くのよ
高校生なのに 下着にも 書くのよ・・・」と 恥ずかしそうに 笑ってこたえてくれました
そんな私も 父親が やはり 「記名魔」だった
新学期になると 教科書 辞書 靴 筆箱 かばん すべて
父の前に並べらさせられ 翌朝には
父の 几帳面で がっちりした 毛筆で 名前が 書かれていたのです
そのことがきっかけで
お弁当を一緒に食べたり おしゃべりしたり
友達になっていったのです
卒業してからは 次第に 疎遠になり
看護師をされていた お母様は 卒業間もなく お亡くなりになったことを
風の便りで 聞いてはいました
その後 近所の方が 検査のため F県の大きな病院に入院した折
担当の 看護師さんから 「サトちゃん どうしてます?」と
私のことを 尋ねられたと言われたのです
M子さんは お母様と同じ 看護師になっていました
お母さまと 2人暮らしだったから
もう地元には 帰って来られないのかも・・・
もっと 連絡を取り合っておけばよかったのに
あれから
M子さんは どんな人生を歩いてこられたのだろう・・
明るくて 元気な あのM子さんのことだ
きっと どこかの町で 患者さんに寄り添って
頑張っていることだろう・・・
私も 卒業をして 40年近く さまざまな事があった
振り返ると 楽しいことも 苦しいことも 辛いことも・・・
そして これからも 続いていく道
それぞれの道で みんながそうしているように
いつか会った時に 笑顔で会えるように
私も どんな時も 前を向いて 歩いていきたい
そんなことを ぼんやり 考えた昼下がりでした
佳秀窯
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