有田焼で白磁・青磁を作っています。
佳秀窯日記



 

今日は こちらも 夏の暑さになりました

ずっと前に 千葉市で個展を開催した折に 

Yさんから頂いた ギボシ

今年も 元気に咲きました

夕方 お水をあげたら キラキラと 宝石のように輝いています

 

 

先日 私たちの いとこ会の会長(長老 御年80歳)の Eちゃんが 

「なんだ ブログはたまにしか更新しなくて どうしているの?」と

心配をして 電話を掛けてくれました

「あのね いろいろ 忙しくてね」と 言ったものの

本当は 仕事にかまけて サボっていました

 

その日 「よし 気合を入れて 頑張ろう!!」と 思って 

パソコンを開いたら

怒っているのか ウンともスンとも 返事がありません

5年ほど経過していて どうも ギブアップの模様です

 

これは 仕方がない お休みです

数日して 新しいパソコンが届き セットアップして

さて 始めましょう・・と 思ったら 再び フリーズ

「これは 私と相性が悪いのか??」

 

専門の方に見てもらったら 「これは 初期不良 でしょうね」と

取り替えてもらうことに

再び お休みになりました

 

再度送られてきた 新しいパソコン

どうも ソフトか アプリか やり方が悪いのかもと

専門の先生のところに持って行って ご指導を受けながら セットアップ

 

ヤレヤレ やっと 繋がった と ほっとして 我が家に

車を駐車して 降りたところで

国道を挟んだ 向こうから 知らない女性が 

おいでおいでと はげしく手を振られています

 

知らない人だし それでも 私のほかに誰もいないし

やっぱり 呼ばれているのは 私のようです

夕方の車の量が増えた 国道を急いで 横切って 行ってみると

老齢の男性が倒れていました

女性二人で声をかけ ようすを伺ってくれています

私は 携帯で 救急車を呼びました

 

仕事帰りの女性が ひとり ふたり と 駆け寄ってきてくれて

立ち上がろうとする 男性の両脇を抱えてくれています

 

救急隊員から 電話口で  男性の名前と年齢を問われます

「え~と」オロオロするばかりの私に

脇を抱えて支えている 女性が

「そばにある バッグの中をみてください 身分を証明するのが

入っているかも」と 言われ

指示通り お名前と年齢が判明 

そばから

「左の側頭部を打たれているようです かすり傷がありますと伝えてください」と女性

 

まもなく 救急車が来て 病院へと運ばれて行かれました

 

通りすがりの女性たちの 的確で 素早い行動に

すごい!! と 感服です

その男性も意識もあって 大丈夫な様子でした

 

そんなこんなこともあり

パソコンも新調し

こうして ブログを上げることもできました

 

いろいろありましたけど この一か月ほど

仕事も忙しくしておりました

素焼きを入れ 水ぶき 釉薬かけ 仕上げ 窯積み・・・

そして 先日 本窯焼成も 無事に終わり

 

ただいま 窯の中で 新しい作品たちが

生れ出るのを

いまか いまかと 待ち望んでいるところです

 

 

いよいよ 第120回有田陶器市が始まります

 

 

◎有田陶器市

4月29日(月・祝)~5月5日(日・祝)

    8:30~18:00

佳秀窯 自宅工房にて 

 

◎Web有田陶器市

4月27日(土)~5月6日(月)

24時間対応

 

みなさま どうぞ お楽しみくださいませ

ご来店も お待ちしております

 

佳秀窯HP ↓

 https://www.nishiyama-tadashi.com

 

 



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私の生まれたところは 緑の山々に囲まれた 小さな田舎町です

昔は 窯業も盛んで 10数件の窯元の煙突からは  黒い煙が立ち上がり

町は 兼業農家の従業員さんたちで賑わっていました

 

通りには 床屋さん 薬屋さん 雑貨屋さん お米屋さん 酒屋さん 魚屋さん

呉服屋さん お饅頭やさん などなど 小さな商店街が出来ていました

お昼休みになると 並んだお店は買い物をする人たちで ごったがやし

今では想像もつかない程 活気がありました

 

 

 

夕飯のご飯が少し足りない と言っては 近所にもらいに行ったり

ご馳走のある日は みんなにお裾分けしたらり 仲良く 助け合う

親戚同様のお付き合いをする仲でした

 

私の家のお隣のK子ちゃんは4つ年下で よく笑う 可愛い妹のような存在でした

いつも 朝になると 寝坊の私を 「姉ちゃん おきんしゃい‼」と 

布団の上に飛び乗って

よく 私を起こしにきたものです

 

学校を卒業し 勤め始めるようになってからも おしゃべりしたり

お茶を習いに行ったり コンサートに一緒に出かけたり

よく遊んでいたのですが

それぞれに 結婚をし 子供が生まれて だんだんと 疎遠になっていました

 

 

1年半ほど前に F県から ご主人の退職を機に

こちらに戻ってきていると電話があり

時々連絡を取り合うようになりました 

「そのうちに食事でも行こうね」と言ったら

「姉ちゃん 早い方が良い 近いうちに入院するから 早く会いたい」と

 

間もなくして お茶を一緒に習っていた C子さんと三人で会って

おしゃべりをして 楽しく過ごしたのですが

K子ちゃんは 松葉杖をついていたのです

 

その時 はじめて K子ちゃんから「私の病気は治らないの」と 告げられました

 

間もなく N大学病院に入院したと連絡をもらい 

昨年末には 自宅療養に切り替わり

二人の娘さんの為に 「私にできることは これくらいだから」と

美味しい料理を作っては ご主人の車で 料理を運んでいたのですが

 

自分の身体は二の次で 娘さんたちの為に 身も心も 尽くしているような K子ちゃんでした

 

その間 お互いの娘たちが 初めての 「LINE」と言うものを繋げてくれて

メールをやり取りするように

 

暗くならないように 楽しかった昔の事を 話しては

笑いあって おしゃべりして・・・

 

けれど ある日の夜 「姉ちゃん もう これ以上治療の方法がないと言われたよ」と

泣いて電話をしてきて 「しっかりしなさいよ」といいながら 私も一緒に泣いていました

 

自分の無力さを感じながら 私も ずっと 心が重く 苦しくなって

メールも 電話も 辛くなるばかりです

 

苦しくなって「もう続けられない」と 私が つぶやくと

側にいた 娘が 「お母さん 途中で梯子を外すようなことをして 残酷よ

それじゃ 最初からメールをしなければよかったじゃない」と 言われました

 

 

緩和病棟に移ったという連絡をもらい 面会は家族だけと限られていたのだけれど

会えないかもわからないと思いながらも 訪ねました

「今日は 外が暖かいので 散歩に行きます」と ご主人から言われ

私の同行もうなずいてくれました

 

ストレッチャーに横になったK子ちゃんは 思ったより元気そうで

笑顔で迎えてくれました

「忙しいのにありがとう 姉ちゃんから贈ってもらった 帽子を被っているよ」と

ブルーの毛糸の帽子が 似合っています

「元気そうでよかった もうすぐ 桜が咲くね」と私

 

「うん 近くのM神社がすごくきれいよ お花見にお出でね」と K子ちゃん 

やさしく 車を押すご主人と その隣には 長女の娘さんが

寄り添って ゆっくりと 病院の扉を押して 外へ

 

長い闘病を支え続けてくれた ご主人と

寒さを気遣って そっと 上着をかけなおす 娘さんの様子を そばで見ながら

K子ちゃんは 幸せなのだ と 感じました

 

 

その二日後 おだやかな 春の日に K子ちゃんは 旅立ちました

何もできなかったことが悔やまれ ずっと落ち込んでいたのですが

葬儀の日に 娘さんが 私のそばに来て

「姉ちゃんとのおしゃべりは 楽しい と 嬉しそうにしていました」と

言ってくれました

 

 

また あちらで 楽しいおしゃべりをする日が来るのでしょう

それまで 私も 頑張るよ!

いつの日か また みんなで ワイワイ 騒ごうね!!

 

佳秀窯HP ↓

 https://www.nishiyama-tadashi.com

 



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しばらく雨が続いて 今年の開花は遅いかと思われましたが

急な気温上昇で 蕾が ポッ ポッ と 花開き

一気に 桜が満開になりました

 

近くの九州陶磁文化館の桜も 春爛漫の景色です

 

 

いつもの坂道も見事に咲き誇っています

 

昨年から 友人のM子さんと 「今年は 松浦鉄道に乗って 一緒に お花見をしようね」 と

約束していました

有田から乗車して 伊万里をまわって 平戸口で美味しい海鮮料理を食べる計画です 

美しい桜のアーチの下を 各駅停車の松浦鉄道で ゆっくりと 潜り抜ける 小さな旅 

M子さんとは 久しぶりの再会で ウキウキ 子供の修学旅行みたいに

とても楽しみです

 

 

有田が始発の電車は空いています

私達の前には スイスから来たという 笑顔の素敵な若いカップルのお二人

日系の女性は 日本語がペラペラで おしゃべりが弾みます

途中下車したお二人に 手を振って お別れをした後は

 

「元気でしたね お天気で良かった」

M子さんと 二人で会う時は 

お天気が良くて お互い体調がまずまずで 家族の都合がつくとき

決して お互い 無理をしない事 が 暗黙の了解

都合がつかないときは 「アッ そうね じゃあ また次にしようね」で終わる

今回は たまたま 都合がついたのです

 

まだ 少し 桜の開花には 早いのかな~といいながらも

車窓からの景色は 春の陽射しを浴びた  

ピンクや 赤や 黄色の草花が 沿道に 咲き誇っています

山桜も ところどころに 見られます

そんな風景を 横目で眺めながら

食べ物の事 健康の事 大谷さんのお嫁さんがとっても素敵だったね などなど

おしゃべりは尽きません

 

「海が近づくにしたがって 駅名に 浜 や 浦 や 波 の文字が入ってくるよね」と私

「ホラッ 潜竜ヶ滝‼」

「エッ? センリュウガタキ⁇ 」 そんなとこ前に通ったっけ・・・・

あわてて行き先掲示板を見ていると 次は 

「清峰高校前 ⁇ ⁇」 あの甲子園で活躍する「清峰・・・・」

ナニ ? ナニ? 来たことがない!!

 

大慌てで 運転手さんに 「あの 平戸口は過ぎましたか?」

運転手さん 「ずっと 前に 過ぎましたよ」

なんと おしゃべりに夢中になって 気づかなかったみたいなのです

「次の 佐々駅で降りて 乗り換えてください」とのこと

 

はじめての 佐々駅降車

改札口をくぐって M子さんとふたりで お腹を抱えて 大笑い

目的地の平戸口から 言うに40分乗り越していたのです 

今から 有田に戻るには 2時間20分かかることに

 

夕飯の準備がある 一応 主婦のふたり

駅前のスーパーに駆け込んで お弁当を買って

電車内で 笑いながら 遅い昼食を食べました

 

新鮮なお魚がたっぷりの 海鮮料理のはずが・・お弁当に・・・トホホ

 

 

「今日は 楽しかった~ 忘れられない旅になったね~」と M子さん

私の周りには なにやら こんなハプニングが多い

それでも 笑って 笑って 涙だ出るくらい 笑いあって

思い出を 一つずつ 残してゆきたい

 

嬉野市に咲く 100年桜 こちらも満開でした!!

 

佳秀窯HP ↓

 https://www.nishiyama-tadashi.com

 



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