一週間ほど 有田を離れている間に 静かに 季節は 移ろい始めていた。
今朝 窓から入って来る風は涼やかで 外は 秋を告げる トンボが 飛び始めている。
甲子園も そろそろ 決勝戦を 迎えるころになると 夏の終わりが近づいたようで 少し さみしい気持ちになる。
甲子園と言うと いつも思い出すことがある。
長女がまだ1歳ならないころだった。やはり 夏の窯入れで 何時間も 窯を積むのに 子供をそばにおいては 無理と思い
近くに住む 本家の夫の両親のところに 預けて 窯積みを 汗だくで していた時だ。
義父が 烈火のごとく 怒って 「いつまで 子守りをさせる気か!」
突然のことに 私は理由がわからず 只 夫の顔を見て 「???・・・」 状態だった。
夫は しばし 考えた後 にやりとして 「そうだ、今日は 九州勢が出場していたはずだ 負けたのだろう」と 平気な顔をしている。
義父は 熱狂的な 甲子園球児のファンで 九州勢を応援し 負けると 途端に 機嫌が悪くなるという。
いつぞやは 義母が用事で部屋に入ったら 「お前が 部屋に入ってきたから 負けたのだ」と 怒られたと笑っていた。
義父は 我がまま 頑固 したい放題の 今ではあまり見かけない 名物じいちゃんだった。
そんな義父は お風呂に入った後 必ず我が家に来て 「おい、いっぱい入れてくれ」と お酒を飲みに来ては
娘たちを 背中に乗せて「お馬ハイ!ドウドウ・・」と座敷をはって周り そのあと両ひざに娘たちを抱っこして さしみを肴に
美味しそうに お酒を飲みほしていた。 義父は「おい、お墓には うまか 酒を あげてくれよ」それが 私に告げられた
唯一の遺言になった。 私も 娘たちも そんなじいちゃんが 大好きだった。
「群馬の てのしこんにゃく」
そんな義父は 義母の姿が見えないと 子供のように 探し回っていたさみしがり屋でもあった。 わがままな事に 自分の三七日の日に
義母を迎えに来てしまって あっという間もなく 二人とも 旅立ってしまった。
間もなく 二人の三回忌がやってくる。 約束の お酒と 大好きだった義母にお花を持って 家族で お参りしよう。