覚書

イラストレーター進士遙のブログです。
随時更新。お仕事も随時ウエルカム。

心を亡くす。

2005-01-30 08:50:41 | 思ったこと
やっぱり学校が忙しくなると更新が遅くなる。だめねぇ。
今日はその何気なく使っている「忙しい」という言葉について。

  昔連発していた「忙しい」という言葉。何かにつけて、忙しい、忙しいと人に主張していたのだけど、ちょうど一年前ほど前ミラノでデザイナーをやっている方からこんな言葉をきいた。
「実際死ぬほど忙しいんだけど、でもできるだけ忙しいって言わないようにしてるのよ。ほら、忙しい、って心を亡くすって書くでしょう?忙しさの中でも心を無くさないように、常に心に余裕を持って生活できたらなぁ、とおもうのよ。」
素敵な人だった。そのとき私はかなりぼろぼろで、本当に大事なものの優先順位を間違えていて、文字通りココロを亡くしていたわけだけど、その言葉はすごく記憶に残った。

   「忙しい」は言い訳になる。課題で忙しい、仕事で忙しい。実際今も「忙しい」って言葉は使うし、別にそれが悪い言葉だとも思わない。だけど、その忙しいものよりももっと大切なものをないがしろにしないように、常に、ココロに余裕を持ちたいな、と思う。むずかしいけど。

鳩とホームレス。

2005-01-26 07:55:00 | 思ったこと
フラメンコのあと、中華レストランでおかゆを頼んでしゃべって帰ったら、すっかり帰りが遅くなって国鉄の駅に着いたのが12時近くなっていた。(というのも私だけロンドンの田舎に住んでいて、地下鉄がないので乗り換えなければならない。しかも国鉄は本数が極端に少なくて、一時間に2本程度。)この日も次の電車が来るまで30分以上あったのだが、ロンドンにコンビニとか気の効いたものはないので、眠いのも手伝ってそのままベンチに座ってボーっとしていた。この時間になると目に付くのが鳩とホームレス。今日はその鳩とホームレスの話。
  上海に居るときは街中で鳩を見ることはめったになかった。人民公園という市の中心にある広場には放し飼いにされていた鳩が居たけれど、まぁ、そのくらい。むしろ、鳩は食べるものだったのでレストランでご対面が一番多かったとおもう。その鳩がロンドンには腐るほど居る。しかも丸々太っているくせにすっごくまずそう。それはなぜか、汚いからである。鉄橋の下や国鉄のホームは大体鳩の巣窟になっていて、地面はかなり糞だらけ。昔住んでいたkentのプラットホームも鳩の粉塵(糞とか羽とか)が舞っていた。その鳩がその12時ごろになると人がいなくなる分、食べ物にわんさか群がっていた。どうも駅に住み着く鳩は特に脚をどっかに引っ掛けることが多く、つめが足りなかったり、足首(?)から下がなかったりするのだが、それでもお構いなしに食べ物を捜し歩く(しかもあまり飛ばない)。そして体は大体すす汚れている。その群がってる鳩もそんなのばっかりで、でも喉を鳴らして雌にアプローチしたり、追い掛け回したりしている。そして人が通っても退きもせず、ひたすら頭を前後に振りながら食べ物をつつき、繁殖していく。
  そうやって鳩をぼーっと見ていたら隣にどかっとホームレスが座った。ロンドンにはホームレスもたくさん居る。今は日本にもたくさん居るだろうけど、上海に居たときはこういう種類のいわゆるホームレスは居なかったように思う。もちろん物乞いは居るし、ごみをあさって食べたり売ったりして生活している人も居る。ただ、その人たちは、そう、そうやって生活をしている、つまりスタンス的にもうちょっと仕事なかんじがした。掘っ立て小屋でもどっかでも家はあって、休憩中には物乞いを休んで煙草をふかしてたりする。だからこの人たちは別に怖くなかった。ロンドンのホームレスは逆に名前が消されてホームレス、ってなったみたいだ。結構な割合で心が壊れちゃってる人も多いし、見てると行動が鳩にダブる。この前も駅の薬屋でテスターの化粧品を使いまくって化粧してたホームレスが居たけど、その行動は完全におかしいんだよね。人の前にでるための化粧と、その人の前であからさまに周りを無視している矛盾。ただ人間だから、鳩に対するようにあからさまに避けていいのかどうか、いつも少し迷う。その隣に座られたときも、どうしようか迷いながらもその場を去ったのだけど、時間が時間だから、そのあとも電光掲示板の前に立ってると2,3人のホームレスに(上海のようにしつこくはないので無視すればいいんだけど)お金をせがまれる。それは仕方ないにせよ、隣に座られたときって言うのは、あっちからのアプローチが何にもないのにこっちから「避けている」という行動を起こしてるわけだよね。それをするとき、いつも2年半前、夏に英語を勉強しに来たときのことを思いだす。
  そのとき私はとりあえずなにか人の写真をとりたくて、いつもカメラを持ち歩いていたのだけれど、地下鉄の階段を下りているときおじさんに声をかけられた。ただ、何を言ってるかわからなかったので、無視したら、小さく「sorry」という声が聞こえた。いや、あやまるって、こっちが無視したんだし、と思い、振り返って話しかけたらそのおじさんは英語がわからなかった。とりあえずどこから来たの、というのを身振り手振りで聞いたらコロンビアから、ということだった。じゃあ、スパニッシュしゃべるんだね、といったら「わかるのか?!」と目を輝かせて聞いてきた。もちろんわかんないので、そう言ったら残念そうだったので、かわりに写真を撮らせてもらった。カメラを向けると、俺を、撮るの?とびっくりしていたが、照れくさそうにポーズをとってくれた。ちょうど電車が着たのでさよならをいうと、手をとって涙ぐんで礼を言ってくれた。電車に乗った後、国には長いこと帰ってないといってたし、もしかしたらホームレスだったのかなぁ、と思いつつ、帰路についたわけだけど、たぶんそうだとしたら余計、無視されることが日常なのかなぁ、とそのことがぐるぐると頭をまわった。無視される日常。毎日毎日が傷になってゆく。おじちゃんの涙がぐぐっとしみた。

  だからその日ももしかしたら隣のホームレスを傷つけちゃってるのかなぁとも思いつつ、でもどーしようもないよなぁ。だってごめん、やっぱり怖いし。お風呂はいってないし。でもやっぱり一番ツライのはbig issueというホームレスの社会復帰のための雑誌を売ってるホームレスの声。あの人たちは社会に対して前向きなんだもん。でもやっぱり無視は続くのです。

フラメンコ

2005-01-26 06:35:54 | 展覧会
まず日曜の夜のこと。
なんか一緒に行った友達は、さっさとブログにフラメンコのこと書いていて、いまさらですが、せっかく行ったのでやっぱりわたしもフラメンコ。
フラメンコ。わたしは生で見るのはこれがはじめてだった。前に(親がそろって宝塚ファンなので笑)ビデオで宝塚のお姉さん達がカルメンをやってるのを見たことがあるくらいで(これは宝塚を見た、といい、フラメンコを見たことにはなりませんね。ハイ。)実にわくわくして劇場へ突進。学割の効く当日券を握り締め、座った席はなんとステージのほぼ真横!幕が上がって、まずバンドがすごかった。ボーカル二人、パーカッション、バイオリン各一人、ギター2人で、土臭い情緒あふれるまさに私にクリティカルヒット(?)な音を惜しみなく演奏。特にこのボーカル、感情の高ぶりとともに腕を左右に振るんだけど、それがもう、たまらない。声の質も濃く、でもしつこくなく、背中にびびっと来た!フラメンコ自体は私自身はもうちょっと手の指から糸を引くようなつやっぽさとか、ダンサー達の間の情熱の行き来とかを期待してて、それはちょっと違ったんだけど、それでも主役のダンサーの技術には目をはった。彼女の脚さばきは、たぶん(たとえが変だけど)工事現場の電動ドリルより速い。そしてその速さで舞台の端から端へ移動する。すごいんですよ。腕の動きはすごくマットで、彼女の周りだけ空気が濃度を濃くしてとろりとしてる感じ。また変なたとえだけど、低反発枕のような(笑)。インターバル無しの超凝縮1時間半でした!ああ、濃かった!

子供玩具博物館のおばあちゃんたち。

2005-01-22 09:36:01 | 作品・学校
木曜にthe museum of childhood という昔のぬいぐるみやら、ドールハウスやら、ボードゲームやら、ミニカーやらの玩具が展示されている博物館で絵を描く授業があった。そこで長い黒い帽子と、赤いユニフォームを来た小さな小さな米粒みたいなイギリス兵の人形を、これまたちいちゃく描いていたときのこと。隣にある大きな子供用の玩具でわいわい這いつくばったりガチャガチャ投げたりしながら遊んでいた3人の純イギリス人の白髪のおばあちゃん達がいた。本当に楽しそうで、というかむしろエネルギッシュですごいなぁ、と横目で見ていたら、そのおばあちゃん達に取り囲まれてしまった!
「なぁにをかいているのかしらぁ?」
「あ、ほら、あの小ちゃな兵隊を、、」
「あらー、なんてちぃちゃいのかしら?!私にはみえないわぁ!」
「みえないわねぇ」
「みえないわねぇ!」
ごにょごにょごにょ
「この絵を描くのは、専門学校のお勉強?」
「あ、まぁ、いや、大学なんですけどね。。。」
「そう!だいがく!何のお勉強をしてるのかしら??」
「えっと、イラストレーションですが、、」
「うーん、、、(考える)それは、、アートね?」
「まぁ、はい、はぁ。」
「んん~、すばらしいわぁっ」
ごにょごにょごにょ
「まぁ、がんばって頂戴ねぇ」
「がんばってねぇ」
「でわねぇ」

まるで台風がとおっていったようにその3人の周りだけ、おばあちゃんワールドが繰り広げられていた。なんか、おかしくってかわいくってずっとわらっちったよ。

切って貼って。「手紙」のちょい続き。

2005-01-22 09:20:49 | 作品・学校
今やっているプロジェクトのひとつに「モンタージュポートレイト」というのがある。毎週金曜日×4週で、CDのジャケットや、雑誌の表紙とかを作っているイラストレーターが講師として呼ばれていて、モンタージュ、主に写真をコラージュして自画像を作れというもの。自画像といっても実際はかなり自由で、自分に関係しているテーマだったらなんでも良いらしい。私がえらんだのは小さいころの夢の話。バナナになりたかったり、ごみ収集車の運転手になりたかった(なぜか)と摩訶不思議なことをいってたのでそれと児童就労とかインドネシア等でのごみを漁って生活するスカベンジャーの問題をリンクさせて一枚の横長のコラージュをつくろうかなぁ、と思っていた。が、一週間経ってもイメージが湧かず、授業当日になって出たのが何枚かの小さな紙(10cm×12cmくらい)に同じ背景を使い、窓枠を貼り付けてその中や外に少しずつ違うものをコラージュしてそれぞれ違う感情を表そうというもの。で、それをあわせて箱に入れる、または製本しようかなぁと。
それで今日はそのイメージ作りでコラージュの落書き?をしてた。図書室に行ってアホみたいにコピーして、スタジオにもどって、切って置いて動かして貼る。お金はかかるし非効率だし、のりの跡もつけば、サイズの変更もできない。もちろんこのプロジェクト、パソコンを使ってももちろんいい。実際講師もコンピュータベースの人である。ただ、私はやっぱりどんないい作品でもデジタル処理を通すと、それを作ってきた過程が、人の手が、消去されて見えなくなるように感じる。だからどうしても見る相手も作り手が見えなくなってしまうし、作品そのものの時間軸が失われてしまうのではないか。単にテイストの好き嫌いの問題もあるだろうけど、まぁどっちにしろわたしはこういう理由でアナログがすきなのだと思う。
  ただデジタルはデジタルでありえないほど便利なので(このブログもそうだしねぇ)倦厭せずに、でも食われないように、「手紙」のますみさんが書いて下さったコメントそのままなんだけど、デジタル、アナログちゃんと使い分けられるようになれたら良いなとおもう。

 関係ないけど明日は持ち寄りパーティ?なので10人分の豆腐ハンバーグを作った。ちなみにソースも作ってコレはゴマベースの生姜醤油味。なので体がハンバーグくさい。ハンバーグ女。。。

手紙。

2005-01-19 03:40:53 | 日記
田舎のおじいちゃんに年賀状を送ったらついたという返事が来た。
相手もパソコンを使えるのでわざわざ年賀状なんか送らなくていいか、
と思いつつも、手紙だと実際手で触れるし、こちらも作れるし、それに
送った後と届くまでの時間差がなんだかスキで送ってみた。
ところが。
おじいちゃんも喜んでくれたし、いいんだけれど、
まず、あて先の番地が間違っていた。よって、ついたのが2週間ほどあと。
そして、私の住所も間違っていた。
「追伸:君の住所のスペルに誤りがありました。
  surry→surreyのはずです。調べてみてください。」
久しぶりに近況報告もかねて新年の挨拶をしたのに、
やっぱり粗忽で注意散漫なのが丸出しだった。ははは
あーはずかしい。
まだまだ一人前には遠いようです。

常に笑顔。常に喜べ。

2005-01-18 06:21:11 | 思ったこと
  久しぶりに一年半前まで通っていた学校に遊びに(というか、おいてあった作品を取りに)行ってきた。昔おんなじ寮だった友達やら、お世話になった先生やらとあえて結構楽しかった。
  その学校のある町で私はイギリスでの留学生活を始めたのだが、はっきり言ってその場所は好きじゃなかった。イギリスが嫌いだって言ってるんじゃなく、その学校のあるベットタウンが嫌いだったのだ。ロンドンから一時間に2本ある電車で1時間ほどにあるその町は、ロンドンに住みたくても住めない人やロンドンのごみが集まっていて、クレーンやら、テムズの河口のにごったきったない水に排水をそのまま流しているような町だった。メインストリートにはつぶれた店やら、どっかから横流ししてきたようなものばっかり売っていて、確かに物価は安かったけど、映画を見に行くにはキャブを呼ばなきゃならない不便な場所だった。ただ、学校のコース自体はすごくよくって、しかもその一年で大学に入れるか(入学試験を一年後に控えていたので)の瀬戸際だったので私はとにかく課題に没頭した。カフェにも行かず、映画も見に行かず、買い物も冬休みだけ、週一徹夜、とりあえず一年間がんばった。確かに周りの人たちはほとんどが地元の子達で、半分くらいヤンキー上がりみたいのばっかりだったから、はなから友達になる気もせず、自分の仕事のみをやっていた。
  で、去年の9月、あたらしい学校に移って、新しい友達もできて、みんな優しくて感動して、今日その昔の学校に行って来た。確かに一年前と変わらずきったない町とガキンチョからおじいちゃんおばあちゃんまでのヤンキーばっかりだったし、学校も決してクオリティが高いとは言いがたいんだけど、それでも、自分の中にあった印象よりか幾らか良かった。まぁ、今はそこに住んでないし、自分のやりたい分野だけをやらせてもらってるから気持ちに余裕があるからかもしれないけど、やっぱりその環境に不平不満ばっかり言って、周りを遮断してたのは私だったんだなぁと再確認した。だから余計にキライで苦しかったのかなぁとも。確かに作品自体はいい評価もらったし、行きたい大学にもいけた。でも人としゃべるとか、遊びに行くとか、運動するとか、買い物するとか、いろんなことを後回しにして、作品ばっかり作ってる自分なんていやだ~!!っておもって、それまでにたまった毒を抜き、消化するのにひと夏かかった。
 そして、今の学校。はじめはやっぱり怖かったし、また前の学校みたいに自分が作品マシーンになっちゃうようなときもあったけど、やっぱり逆にそのことを覚えてたからこそブレーキがかかったんだと思う。今はちゃんと普通の生活。そして自分も笑うと他人も笑う。もしかしたらそのきったない町にいなかったら、そのことすら気づかなかったかもしれないから、まあ結果的には良かったんだと思う。素敵な友達にも会えたし、人生悔いの残るようなことなんかないし、何より今までのことがあっての自分だし!
 って今日は(いつもだけど)何が言いたいのか良くわからない文ですが、いつも笑って、いつも喜んでいれば、毎日はもっとたのしくなるのだぁ!ということ(笑)。で、今の環境に感謝だなぁと、ほくそ笑みたくなるのでした。はは。

新しいプロジェクトの話。

2005-01-16 20:50:58 | 作品・学校
 水曜に学校のみんなでwhitechapel art galleryのfaces in the croudというエキシビジョンを見に行った。コレはモネの時代から現代までの、個人そして社会を描写している作品を集めて展示したもので、メディアも絵画のほか、フィルム、アニメーション、写真、スカルプチャーと幅広かった。モネ、ピカソ、ムンクもあれば、デュビュフェ、フランシスベーコン、ロトチェンコ、キャパ、ソフィカル、シンディシャーマン、ポールマッカーシーなど普通だったらちぐはぐになってしまうんじゃないかというようなスタイルの違うアーティスト達の作品を、すごく見やすく、面白くまとめてた良い展示だったとおもう。
 学校から出た課題は、この展示のなかからアイデアをもらい、この展示に沿うような作品をひとつ作ること。与えられた時間は毎週木曜×3週間。そのあいだにほかの4つのプロジェクトが同時進行するのでスタジオで如何に凝った作品をつくるかというよりは、リサーチしたものを如何に生かすか、ということに重点が置かれる。なので今回は絵を描くだけとは限らず映像でも写真でも何でも使って良いらしい。ただ、最終的にはちゃんと2次元になること(一応イラストレーションだし)。
 私が気になったのはwalker evansという写真家のsubway portraitというシリーズ。そのなかに地下鉄の中で盲目のおじさんがアコーディオンを引いている写真があるのだけれど、それが冬休み中地下鉄に乗ったとき斜め前に座っていた、ぼろぼろのスカーフとくたびれたバックを持ったインド人のおばあさんを思い起こさせた。でもそのおばあさんの指には、はげはげになった赤紫のマニキュアが塗ってあって、そのマニキュアが、いったい何のため、誰のためなのかがすごく気になった。もしかしたら死んだ夫のためかもしれないし、孫が遊んで塗っただけかもしれないし、近所のおじいさんとの不倫かもしれないし、とにかく連想される物語は尽きない。ということで、たくさんの人の手を地下鉄の中で撮らせてもらって、それをイラストレーション、又はエッチングをしようかと計画中。暗闇の中、たくさんの関係の無い人が隣同士に座って、いくらかの間、無言で過ごす地下鉄の中で、でも一人ひとりにはちゃんと物語があって、それが手だけでもたくさんたくさん伝わってくる。例えば人の手っていうのは、(大体)5本指があって、手の甲があって、平があって、という共通はあるけれど、それが一人ひとりの手をみたときに、只の手じゃなくてもっと個々に違う手、という形でひとつひとつ新しく認識されるんじゃないかなと。
 で、最終的には製本して提出したいなぁ。左ページに職業、又はその人の言葉、右ページに手。たくさんの話の窓が垣間見れる本になる、、、はず。。。って言ってるだけでまだ大したリサーチもして無いんですが、とりあえず今考えてるのはこんな感じ。なんか、二学期に入ってきてたのしいなぁ。がんばりますよ~っ

主張の仕方。

2005-01-12 03:30:05 | 展覧会
昨日は次の日から学校だ、ということでギャラリー巡りで
栄養補給。
最初にいったbloomberg new contemporaries2004は、
若手も若手、去年大学、大学院を卒業した
ファインアーティスト32人のエキシビジョン。
ビデオあり、絵画あり、彫刻ありと、かなりコンセプチュアルだった。

続いていったのが、royal academy of arts という学校のwilliam nicholsonという
イギリスの画家の展覧会。普段は現代美術のほうばかり見に行っているので、
ちょっと嗜好を変えていってみたら、コレがかなり良かった。(写真→)
彼は画家としてキャリアを始める前に、本の装丁や、絵本なんかも手がける
版画家でもあって、その木版画が、木版画とは思えないほど繊細で美しい。
版画を印刷した上に付け足したほんの少しの1,2色のインクの入れ具合も
欲張ってなくってとてもいい。
絵画のほうもまぁ、ぱっと見ればつまらないコップとか風景とかを
描いているんだけど、そのなんでもないものが、きれいに見えるのは、
正しい色を使って居るからなのかな、と思った。色のセンスというか、
ものを見たときに、それがどんな色をしているか、色の選択がすごくうまいんだな。

ここで思った。どっちが良くて悪いって言ってる訳ではないんだけれど、
最初に見に行ったnew contemporaries に限らず、
コンテンポラリーアートと呼ばれるモノはわりかし(全部とはいわないよ!)
汚い色を使ってることが多い。
見る側をうへぇっとさせるというか、とにかく見る側が引っかかる色。
それは相手に衝撃なり、影響なり与えるという意味で成功しているのだし、
そのアピールの仕方はコンセプトを前面にもってきやすい。
確かに悪い気分を与えるほうが簡単だけど、
相手の気分を乱すのではなく、気分を気持ちよくさせる主張の仕方も
もっとあっていいはずなのでは?と思った。

伝える相手を考える、コレはイラストレーションを含む
コミュニケーションアートのもっとも大事な部分だよな。

勉強になった一日でした!ありがとうwilliam!


・・・ていい気分だったのに、今日おきたら9時半でした。。
風呂も入らず学校に飛んでいきましたよ。初日からなにやってんだかぁ~。