覚書

イラストレーター進士遙のブログです。
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クラコフ旅行記4 アウシュビッツ。

2006-04-15 06:12:15 | クラコフ旅行記
クラコフからバスで郊外へ。ナチスのユダヤ人収容所があった
オシフィエンチム、アウシュビッツへいってきました。



まだ雪も残ってて、雨も降ってた。線路がながく、収容所の中にしかれていて、
街の外にも(使われてないけれど、)アスファルトのなかから覗いていた。

 

収容所のユダヤ人たちが泊まっていたところ。

そのほかにもガス室とか、遺体を焼く釜とか、全て見せてもらった。
犠牲者たちの写真や、靴、かばん、服、毒薬とかも。

ガス室で、ココで、何万もの人が殺されて、って言われても
実感は全然湧かなかった。でも、帰ってきてからそのことを
話したときに、一瞬だったけど、「あの立ったゆかの上にばたばたと
たおれていったんだなぁ」とリアルに感じた。
壁にはガスで倒れながら苦しくて立てた爪の引っかき傷が無数にあった。


戦争犯罪のけりのつけ方を思った。
あんまりここで沢山書かないけど、
日本の戦争犯罪のこととか。
南京大虐殺記念館や韓国の独立記念館はあるけれど、
その運営や、展示に加害者である日本はオフィシャルにかかわっていない。
残念ながら。そしてまだ、分かってない事実が沢山あって、
それもうやむやにされている。
わたしもわからないし、たぶん大多数の日本人もわからない。

うちの学校のドイツ人の先生は、自分はやっぱり行けない、と
今回の旅を辞退した。
クラコフにいって、アウシュビッツに行って、
ああ、やっぱりこれは、彼女、来れないだろうな。と思ったけど、
そのドイツと日本は同盟を組んでたわけで、
そして同じように人体実験やらナンやらを沢山してたわけで、
でも、そのことは、自分にとって彼女が感じるほどには
「じぶんのこと」として全然感じてない、やっぱり感じれないんだな。
とかおもった。


そんなかんじでした。


クラコフ旅行記3 落書き。

2006-04-15 05:44:55 | クラコフ旅行記
今回の旅行、何が良かったって、人がすばらしかったってこと!
描きたいなぁ!!って思わせるばあちゃんやじいちゃんたちが
大勢居て、そして、描いてるとよってきてくれる!!
なので、人沢山かけて、ほんとうれしかった!


このばあちゃんたちなんか、ほんとにすてきで、描いてたら、次はこいつ書け、
あいつ描け、ってポーズまでとってくれた!
英語が通じないんだけど、何とか身振り手振りと絵かいたりで、
私が日本人で、絵描いてて、イギリスで勉強してて、とか伝えたり、
名前聞いたり、住所聞いたりできた!(←あとで写真と絵を送るのだ☆)
とってもとっても楽しかった!!(あとでまた絵アップしよう。うん)


この人も上のばぁたちと一緒に居たひと。どうもウクライナとか、
ロシアとか、クロアチアとか、スペインとか行って写真を撮っている、らしい、
ってことがわかった。ばっちしポーズとってくれた。


プレッツェル売りのおじいちゃん。書いてもいい?ってきいたらいいよ、
といいつつ、新聞から目を離さないところがまたにくい。
名前を聞いたらうまくかけなかったので、もしかしたらかけないのかも、
と思いつつ。かわいかった。周りの八百屋さんとかも、見にきたりした。


電池売ってたおじさん。はなしかけなかったけど。。。ちいさくって
顔が赤かった。お酒のみながら店やってるひとも結構居た。


花屋の夫婦。閉店間際でちょっと暇そうだった。


あとは、八百屋の家族に描いてもいい?ってきいたら、いいよ、といって、
書き終わった後に、りんごくれたり、
「サムライ―!!スズキー(車)!スーパー(かっこいいってことららしい)」
っていって、泊まりにおいで、っていってくれた夫婦が居たり、
もー涙が出るほどステキなお絵かきになった。
でも、やっぱり、酔ってる爺ちゃんに怒られて絵取られそうになったり、
道端で物売ってるおばあちゃんの集団のうちの一人に剥ぎ取られて、
その場でびりびりにされたりとかもあった。
まあ、それはしょうがないよね。

今までも人は書いてたけど、描いていい?って
描く前に聞いて、名前も聞いて、しゃべりながら(通じないなりにね)
描いてって、つまり、そういう風に実際コミュニケーションとりながら
描いたのって初めてだった。描いた絵相手に見せなきゃいけないし、
だから似てなきゃいけないし、緊張するんだけど、
それがすごく新鮮で、よくわかんないけど、
一歩次にいけたかな、って感じがしてとても嬉しかった。

うん。うれしかった。

クラコフ旅行記2 カフェ。

2006-04-15 05:25:51 | クラコフ旅行記
クラコフで気に入ったものの一つがカフェ。
どうもカフェ文化があるらしく、どの店もほとんど個人経営で、
そして雰囲気が良かった。
なので、スターバックスとか、見なかったのよ!
市内にもマックは1つだったし。
で、気に入って3回位居座ったカフェ↓

ポーランドの有名なアーティストが開いたカフェらしいんだけど、
別に高くもなく、入り口は小さいくせに、中は広くって、
ソファーも沢山あって、ちょっと照明はおとしぎみで、
かといってヨーロッパによくあるような大麻のにおいがするカフェとは
無縁で、私たちが何時間居座って絵描いても見逃してくれる
ステキなカフェ。大好き。2回目にいったときは顔も覚えてくれていた。
アイスクリームも特大。おいしい。

ご飯は全体的にちょっと胃に重かったけど、
結構野菜も食べれて満足。何より安いし。
ただ、何でもシチューっぽくしちゃうみたいで、
一回食べた中華の酢豚はすっぱ甘い豚肉の入った
シチューがご飯に乗っかってきた。
それはそれで結構美味しいんだけど、
すぶたじゃねぇなぁ・・・。

残念だったのは友達が風邪弾いちゃって
ユダヤ料理を食べにいけなかったこと。
でもそのぶんポーランド料理を満喫したからいいんだけど(笑)。

クラコフ旅行記1 もと共産圏。

2006-04-15 05:10:54 | クラコフ旅行記
やっとこさクラコフ旅行記。

クラコフ、ポーランドははじめての中欧(←と、いうらしい。
ほとんどの人は東欧っていうけど。。。
政治的には東、地理的には中欧というふうに分けるって
ポーランドの人はいってた。)
イギリス人の子もほとんどいったことがなくって、
「東欧って、、、一体どーなのかしら。。。
お金どのくらい持ってけばいいの。。。?
なんか、まずしい、、、の?共産圏だったんでしょ・・・?」
って私に聞かれても。笑。
モロ冷戦時代西側に居た彼らにとって東って
やっぱり未知なのかなぁとおもったり。

とにかく、旅はほんと良かった!
クラコフはポーランドの昔の首都で、
大きすぎず、歩くのに、絵を描くのにとっても
ちょうど良い大きさだった。
ご飯も安いし、学生の財布にとても優しい。

トラムも走っててとてもかわいい。
クラコフは共産圏の匂いがまだぷんぷんするのに
町並みは中世そのもので、(ユネスコにも登録されてる!)
その2つの感じがすごく不思議だった。
モスクワに行ったときは、それこそ
社会主義の四角くて大きい国営住宅とかが目立ってたし、
ベルリンももっともっと新しいかんじだった。
(↑このことはまたベルリン記にて)
私は個人的にすごく昔の上海を感じたんだけど、
(まだ共産主義ぷんぷんの上海にきたばっかりのとき、
新夜ホテルっていうところに時々ご飯を食べに行った。
そのホテルがあった租界地区は共産圏の灰色の中にある西洋で、
それがとても似ていたのだよ!!)
韓国のコは、雪が残っていて、木が低くて、郊外にある
60年代、70年代に立てられた集団住宅がソウルの昔に似てるって
懐かしがってた。
(そういえば私のすんでたマンションもそんなんだったなぁ。。。)

市内は中世、郊外は共産主義の色が濃くて、空港の周りは、
こんな積み木みたいな家が並んでた。

あんまり積み木みたいなんで、ほんとに作り物かと思ったくらい。

上海と似てる、といえばこんなマネキン。

ぼろぼろなのに使命をはたして(いるのか?)頑張っていた。
何売ってたんだろ。。。?服。。だよね??

でも、上海と違って(失礼)文化的にすごく豊かだったので、
舞台やグラフィックデザイン、絵本とかの土台がとてもしっかりしてる。
看板もかわいいのが多かった。

とにかく、とても居心地が良い街でした。すっごくおすすめ。