覚書

イラストレーター進士遙のブログです。
随時更新。お仕事も随時ウエルカム。

感謝ながら頭パンク。+マカオ記1

2006-09-27 00:18:22 | 日記
マカオから帰ってきて、幾日かたちました。

マカオではIBBY(international board on books for young people)
国際児童図書評議会の世界大会に、はいつくばって出席してきました。
IBBYというのは世界の子どもに本を普及させ
子どもへの本の質を高める活動をしている機関で、
世界中に支部があり、その国間の交流もになっているようです。
今回、論文のために(!)その大会に場違いながら出席してきました。
というのも世界大会ですから、出席者400人のほとんどは
学者、研究者、教授など、偉い人ばかり。しかもみんな顔見知りっぽい。
かつてないくらいに緊張して怖気づいた3日間だったんですが、
それでもたくさんの人に話を伺うことができました。感謝感激。
当の私は頓珍漢なことばかり(当たり前ですが。。。)せっかく
いろいろ教わっても自分の情報処理能力には相当の限界が。ああ。
でも、ほんと、すげー、社会勉強でした。社会勉強なんて軽い言葉で
片付けられないんだけれど、えっと、なんと言えばいいのやら。
普段絶対見ることないであろうアカデミックな世界の雰囲気を感じてきたり、
新しい論文をリアルタイムで聞いたり、
実際その方面の教授さんから指導していただいたり、
とにかくすごーく勉強になりました。
むう。

今日もずっとお話を伺いたかった人から電話でだけど、
インタビューすることができて、感謝感謝。
明日も急に出版社の人とか、大学の先生とかにインタビューする機会が
やってきて、あら!まあ!もしかして!すごい!!!!
と、周りの速さ、御好意の厚さについていけないフツツカ者ですが、
すげー感謝。でも頭パンクしそう。。。(もうしてるか)
しかも、めちゃめちゃ緊張する。。。。あああああああ。。。。
明日午後だから、ちゃんと準備しなきゃ。。。
中国語だし。。あああ。。。。
マカオに行く前も中国語でインタビューする機会があったんだけど、
もお、それはそれは、緊張して手が震える震える。(といいつつ、
行き車の中で爆睡したけど)何とか乗り切ったけど、もー。せっかくの機会を
私はちゃんと100パーセント使ってんのかしらねーぇ。。
でもわたしのオツムじゃこれがいっぱいいっぱいなのよー。おー。

ぐちぐちいっててもショーがないので、駆け足でマカオ記。
ほんとはまたぐちょぐちょ描きたいけど、時間がないのでスキップ。
(てか、宿題やってないし、、、学校始まってるから課題あるし。。。ああ)

マカオはめちゃめちゃ小さくって、香港のサイバーなかんじを
抜かした、中国風な無国籍都市でした。
早くに発展したから、町の広告とか毛筆字体で繁体字だし、
高層ビルや、高層アパートががんがん建ってるのに、古くなっちゃって、
しかも海沿いだからサビも汚れも老朽化もひどくって、電線とか
ビヨンビヨンになってて、ビルとビルの間なんて人が一人通れる位しか
離れてない。電機屋とか、昔の日本みたいにちぃっちゃい専門店が
街中にぽつぽつあって、それがなんともノスタルジック。
そんな一世代前風なのに、インフラはしっかりしてるから、
変に先進国な部分もあって変な感じ。人は優しいし。笑。
町の飯屋が、上海でいう5元弁当屋みたいな感じなのに、20元30元するし。
変変。でも、あのぼろぼろの人がひしめき合ってるアパートの中って、
下水とかいったいどうなってるんだろ、あの猫の額みたいなマカオで
どこで排水処理してるんだろ?と無駄な心配してみたり。
ポルトガル風な感じのところもきれいで良かったけど、
やっぱりこのぐちゃぐちゃなのがとてもとても面白かった!
(でも、住みたいとはぜんぜん思えない。「大通り」がたった2車線!
息が詰まりそうな狭さ、、、)

電線ぐちゃぐちゃべろんべろん!


丘の上から見たマカオ市内。ある意味圧巻。
イギリスのカウンシルフラットなんてへでもない。


最後の日は離島、タイパ島に行ってきた。夜だったけど、とても素敵。
南国風味満点。今度来るんだったらここにとまってテロテロしたい。


ご飯はおいしかったなあ!ポルトガル料理なんだけど、マカオ風。
つまりマカオ料理か!

そんなこんなで楽しんできたけど、めっちゃ疲れた旅でした。
明日もがんばってきまっす!

最大公約数。

2006-09-18 23:27:03 | 思ったこと
続いてアップ。

夏も終わりに近づきましたが、なんか、
たくさん人が来て面白い夏だったな、と思う。
友達が来て、おじいちゃんおばあちゃんがきて、
いとこが来て、友達がきてきてきてきて。
忙しかったけど、久しぶりの人が変わってたり変わってなかったり、
逆に久しぶりの人に会って自分も変わったなとか、
変わってないな、とか思ったり。むふ。楽しい。
あと、上海にいる間はやっぱり上海は自分のいわば分母みたいなもんで、
何事も上海と照らし合わせて○○っていうのはあるな。
すげえ、根強く。そんなのを再確認したり。
でも思ったこととか考えたこととか、すぐには口に出てくるタイプじゃないから、
たぶん思い出したときにぽろぽろ言ったり書いたりするんだろうけど。
むふ。楽しい。

今日イラストレーションってなんだ、みたいな話をしてて
思い出したんだけれど、自分、絵本を作るときってなんだか俳句に
似てるなって思う。私は俳句作る人じゃないけど、
あの短い文の中で淡々と、でもその中からの
連想の連想の連想の向こうにあるしなやかな趣や、
短歌のように感情的でも、唐詩のように煌びやかでもないけれど、
竹のように端正な、あの直線的な潔さというか、誠実さというか、
そういう姿勢がとてもいいな、と思う。
如何に少ない文字で如何に多くを伝えるか、が唐詩であれば、
如何に少ない文字で如何にまっすぐ伝えるか、言い換えればわかりやすく、
(言葉が簡単な、という意味ではなくて、)その情景=雰囲気までも、
つまり体感的なものを伴って伝えるのが、私の中での俳句の定義。
その、そぎ落としすぎたら伝わらないし、贅肉つけたまんまじゃぼやけちゃう、
つまりぎりぎりまでそぎ落として意味を伝える、その最大公約数が
絵本作るときの条件というか、プライオリティというか。

俳句と似てる、なんて大それたこと言っちゃったけど、
そういう風に作れたらいいなあ、っていう理想ははっきりとある。

学生、残り、一年です。

上海覚書

2006-09-18 23:25:06 | 上海
友達Sと連れ立って歩いた上海。遊んだあそんだ!
遊びすぎて次の週風邪引いたけど笑。

ショッキングな場面に出くわせば出くわすほど楽しい。


七浦路のchaosっぷりは素敵で素敵で。


ロンドンでできなかった(←一時間2400円!)スケートをなぜか真夏の上海で。


上海で絵描くって、楽しいけど大変。


食った食った!楽しかった!

針風邪雑誌、旅行熱。

2006-09-08 23:16:14 | 上海
今週は上海じゃないようなくらい、涼しい日が続いているんですが、
私自身風邪を引いて、部屋にこもりっきりでした。
あーもったいない。。。
あんまり身体がだるいんで、病院にいって、風邪を見てもらうついでに
左の腿の間接がちょっと痛かったので、それも見てもらいました。
風邪の方は大分回復。脚も、二回針をうってもらいました。

怖いけど、ききますよ、針。
結構長めの針を耳の後ろにぷすーっと。
あと、腰に3,4本ぷすぷすっと。これはちょっと痛かった。
もぞもぞ動くと刺さってる感じがもろわかります。

でもね、腿完全になおった、まではいえないまでも、
まげても痛くないくらいにはなりました!わーい。
これでもうちょっと運動できるかしら??(する気があるかは別として)

今回上海に来ておどろいたのが、書籍の装丁が昔よりずいぶんと
良くなったこと。比例して値段も上がっているんだけれど、
日本にあるハードカバーとか、ああいうのも売り出してるって
すごい変化だな。
更にびっくりしたのが雑誌の数。
ちょっと昔、(っていっても上海には大昔か。6,7年くらい前)
ファッション雑誌なんかはぺらぺらの3ミリ厚。
紙はわら半紙、印刷はもちろん白黒、手で触ると、粉っぽい感じ。
写真は80年代の、どっからか切り取ってきた(ほんとにはさみで
切り取ったあとがある!)肩パットの入ったジャケット着てる
西洋人とかの写真。それが、気がつけば、
VIVIとか、OGGIとか、VOGUEもでたし、FIGAROもでてる。
最近は旅行雑誌が大流行みたいで、裕福な、旅行にいけるかも?層を
ターゲットに(でも時間とお金の都合でなかなかいけない)大分売れている
模様。ナショナルジオグラフィックだって、トラベラー版とあわせて
2つを簡体字で売り出してるし、ほかの旅行雑誌で組んでる特集も
インドだったり、モロッコだったりと、一昔前(注。。。って一年前くらい?)
の欧州熱から早くも衣替えの様子。
旅行書といえば、はやりまくってるのが中国辺境へいく「自助遊」。
いわゆる、ツアーには参加せず(中国の旅行は大体がツアーになってた。
もともとツアーとか、正式な団体や申し出がないと入れない地区が
沢山あったためと思われる。)自分でチケットやホテルを手配して、
車を運転したり、安宿に泊まって長期にわたって長距離を移動するような、
バックパックまでは行かないけど、まあ、それに近い感じ。
その自助遊にいってきました!っていって書いた本の多いこと多いこと!
大体が色濃い目に印刷された写真、使った四輪駆動に、
ローカルな人々の写真。行き先はチベット、ウイグル、モンゴル、雲南
などなど。とくにチベットは今年から青蔵鉄道もできて、ほんと、
すごい人気。
なんか、日本とかで90年代初頭(だったかな?)はやった
(そして今もはやってるけど)アジア放浪、のあの流行さえ、
この1年かで、一気に飲み込んでしまうんだから、これまたすごい。
海外に自由に旅行できるようになったのだってここ何年かのことなのに。
十何年前までさかのぼると国内旅行だって限られてたのに。

すげえなぁー、もぉ。

胸ぐら掴まれた。

2006-09-05 21:11:45 | 思ったこと
助走してたら一週間たっちゃった。

日本から上海への帰りの飛行機でのこと。
荷物が重かったので手荷物の中は本だらけ。
その中に母親がネットで頼んだ「大地の咆哮」という、
元上海総領事が書かれた本も入っていた。離陸までの間、
取り合えず読んでみたらこれがまた面白い。
今年8月になくなった著者杉本信行氏が70年代に外務省から
派遣されたころの話にはじまり、文革が中国に及ぼした影響や、
靖国問題、環境問題、そして農村の実態などに対する彼の視点が
かなり正直に書かれているもので、結構飛行機の中でどきどきしながら読んだ。
全部は読んでないけど、でも、だんだんやるせなくなってきた。
というのも、例えば環境問題。国が大きくて、人もおおくて、
それでいて世界の工場なんて呼ばれていれば問題の規模だって
半端じゃない。それにどうやって取り組むか、気が遠くなる。
それに金銭的手助けをしている日本、でもそれを知らない日本人や中国人。
でもそれを「日本がやったんだよ、」といいまくる
(又は言いまくらなきゃいけない)状態とはなんだろう。
そう主張しまくらなきゃ何も援助していないことになる、
それは困る、別に、恩着せがましくしてるわけじゃないけど、でも
知らせる必要はあるし、そうするためにはわめかないといけない、
なんでだ、だって、その下には戦争がある。

靖国のことだって、謝罪のことだって、
言われたら言い返せない、それは知らないからだけど、
知ったとしても、勉強しまくったとしても、
それを言ったとしても、お互い多分妥協しなかったら平行線のままだろう。
でも、妥協点を見つけられないから、(だってお互い自分が正しいと
思ってるんだもんね。どう、妥協していいかわからないよ)
平行線なわけであって、それがもう困ったことに歴史になっているから、
どう歴史を解釈しても(これは教科書問題とかも入ってくるけど)
それは解釈、という時点で個人の視点が入ってしまうから、公平に見る、なんて
不可能だ。

その、不毛な言い争いはずっと続いてくのかな、とか。


その後気分が沈んだので、
卒論用の資料に目を通す。



卒論の勉強で中国の文献(ってほどでもないけど、例えばまあ、
ネットとかの文を)読むわけだけど、
どこまで信用していいのか正直困る。
斜めをむいて読んでしまう自分にもちょっとあきれたりするけど、
なんだかんだで大好きなっていうより、もっと身内な気が(勝手に)
する中国って、そういう誇張や、建前よりもすごい美辞麗句も
その中国の文化なわけで、さらにそれにかかわっていくっていうのは
相当労力っていうか、神経図太く(よい意味でね)ないといけないなぁと、
ちょっと遠い目。


中国と日本の間で児童文学(絵本も含む)交流がここ15年
日中に文化センターが作られたおかげで盛んになってきていて、
そちらの方でも話を伺うことが出来たんだけど、
そのときに頂いた資料を読むと、そのセンターの創設には
やっぱり戦争が密接にかかわってるんだ。
遠い話じゃないんだ、実際に戦争を体験した人たちが
その個々の思いがあってセンターを立てた。
だからこそ友好を作ってかなきゃってそれが始まり。

考えてみたらそういう思いが設立にいたるって、別に不思議なことじゃ
ないんだけれど、思いもよらなかったから、ここでも
戦争、の2文字が出てきてちょっと呆然。

そのあとチラッと飛行機の見ると7月1日に開通した
北京からチベット自治区までを結ぶ青蔵鉄道の記事。
頂いた資料に目を戻すと中国田舎の子どもたちのルポ。
青海省にいったときのことがばぁっと頭の中をよぎる。

が、前の席のおじさんの話が耳に入ってくる。
隣の席の若い日本人の女の子(多分留学生)に
日本が中国を何故侵略をしたか、でも、彼はそれを侵略とは呼ばず、
しょうがなかったことだといっていた。別に極論ではなかったし、
私らがすぐ思い描く、「南京大虐殺はなかった」とかほざく
オジサンではなかった。「悪いことであった」といっていたし、
話の内容も(忘れちゃったけど)理論的ではあった。
でもそのおじさんが「これが正しい歴史観だ」みたいなことを言った時点で
多分私の中でやるせなさがまた顔をだした。
しゃべらないことがよいこと、ではないのは知ってるよ。
多分自分もどうしてよいかわかんないからやるせなくなったのか。

でも、このことを中国の人の前でいったら彼らは腹が立つだろう。

むぅ。平行線。


でもね、なににしろね、そのやるせない気分ってのは
結局は胸ぐらつかまれてるからなんだ。
気が入るから、気になる。気になるんだよ、もう
つばつけられちゃったアンパン。

交流センター設立した方々だって色んな理由で胸ぐらつかまれてるんだ。

10年いた上海だろうと、昔あった家のうらの肥溜だろうと、
裸電球の下がった校舎だろうと、遊び場の工事現場だろうと、
バカみたいにぼこぼこ建つビルだろうと
あの、青海省の子達とか、砂漠とか、青い空とか緑の土地とか、
なんか、もう胸ぐらつかまれちまったなぁ。


日本の10日間で、むにゃむにゃ思ってたこと。
よくわかんないままだけど、よくわかんないまま、こんな感じ。
これから、長いんじゃね?