覚書

イラストレーター進士遙のブログです。
随時更新。お仕事も随時ウエルカム。

映画その他。

2006-12-17 01:19:46 | 映画
最近見た映画、思うところが多々あり。

まず、
「薔薇の葬列」
知ってる人、ほとんどいないだろうな。上海で買ってきた日本の映画。69年作成。
主演ピーター。私は知らなかったけど、どうも有名な、男でも女でもない人らしいね。
むむ。その、彼のデビュー作。若干17歳。すでに性別超えてる。
69年だから変にいきがってて、でもいきがってても69年だからマリファナとか、
(ヒッピーならぬ)フーテンとか、学生運動とか、クラブもがんばってロンドンとかのまねしてて、
でもそれが逆に超日本っぽくって。そのいきがってる映画自体も69年だから許せる、みたいな。
とにかく不思議な映画だった。出来としては超B級なわけだけど。
ちなみに69年、NY郊外でウッドストックフェスティバルがひらかれてるわけで。憧れだったんだろーなー。
今は情報どこでも入るけど、あのころの日本人はは何とか情報探し出して、研究してたわけだし。
そして70年に大阪万博だろ??そりゃあみんないくさ!
たのしかっただろうな、おうおうおう。なんだか、話がすでにハチャメチャになってきた。次。

「From Hell」
mail itのプロジェクトのとき講師から薦められたのをついに!見ましたよ。
ふふふ。ジョニーデップの出てる切り裂きジャックの話。
なかなかグロいものの、昔のロンドンが出てくるところがとっても楽しかった!!
舞台は下町貧困層がでてくるホワイトチャペル地区。
今も残ってる教会とか、通ったことのある通りとかに娼婦たちが客引きやってたり、こじきがいたり、
ぼろぼろで、じとじとしていて、霧がかった道を通る馬車とか、ほんとぞくぞくする。
そのほか、え、ココ精神病院あったの?とか、びっくりすることも多々。
さらにジョニーのダメ男の似合うこと!
ちなみにいまはホワイトチャペル地区、若手のアーティストをサポートするギャラリーがたくさん。
最近全然遊びに行ってない。良くない。栄養不足だ。

「パッチギ!」
学校が終わった次の日、ハウスメイトと昔の映画館みたいに3本続けて見た内の最初の映画。
舞台は60年代後半の京都。朝鮮高校の高校生と、日本の高校生のケンカからはじまって、
もう、もう。映画として非常に完成度が高かったと思う。
一つ一つ、大きなテーマにも、小さなテーマにも超本気で、
最後がちゃんとハッピーエンドなのも悪くない。キャストはすっげえ良かった。
帰国船の話が出てきたり、転々としている家族がいたり、焼肉屋があって、
葬式があって。家を壊して。川があって、隔たれていて。
むうう、うまくいえないけど、もう一回見たい。

「GO」
その続きでみたのがGOでした。こんどは現代の在日コリアンの話。
「GO」も「パッチギ!」も話題になってたみたいだけど、見たのははじめて。
面白かったし、窪塚君はやっぱし演技うまい。
でもさー、なぜにラストがああなる?!?!
柴咲コウよ!なんでしゃべるとかっこよくないんだ?!?!
で、なんでラストのセリフ、あれでいいの?!?!

は、ともかくとして、思うところ、って言うのは、
血、の話。うまくいえるかどうかわかんないけど。
一つ目。あたしは日本にいないから、そういうある意味、特別じゃなくても、
特別になるその血、の話は、ふしぎであったり、その日本の学校とかでの感覚、ってのはわかんないけど、、、
ああ、でもみんなわかんねぇよな。
在日じゃない子は在日の子の感覚はわからんし、
血を意識する子は、血を意識しない子の感覚はわからんし、
日本の学校におらんかった私はいた子の感覚はわからんし、
そうなれば一人ひとりお互いわからんし。ただ、そのわからん、わかる、の常識が、
偏ってるときに問題が起きるんだろうな。
二つ目。血、を意識するってのはあったかなかったか、っていったら、自分のに関してはなかっただろうな、っておもった。
高校のときなんかはどこの国のひと、っていう定義は非常に難しかったし、
言葉がみんないろいろしゃべれて、むしろ両親日本人で超損だ、とか本気で思った。
でもさ、いきなり、実はあなたはモンゴル人の血が入ってます、とか、
2分の1中国の血です、とか言われたらびっくりすんだろうな。
まえ、そんなことがあった子が「うん、びっくりしたけど、何も変わんないし、どう反応していいかわかんない、」
みたいなことを言ってたけど、要はびっくりすんだとおもう。
何も変わらんけど、じゃあぜーんぶ一緒だぜ、でもないし、
むしろ一人ずつ違うんですけど、みたいな。びっくりして、っていうのは
じぶんがこうだろ?って常識、というか、定義として思ってたことが、
実は違ってましたってことで、びっくりするんだ。
どう、違うって言うのは自分の中でいろいろ定義づけしていくんだろうけど。

逆に、だから、わたしがいちいち「上海で育ったにほんじんです」とか
言うのって、こういうとこからきてるんだろうな。
初対面の人に「韓国いって、上海に行って、いまここにいます」みたいなことを
わざわざ説明すんだぜ。変な感じ。
何が違う、とか別にいえないんだけど。でも説明しちゃう。

↑の場合は血じゃないけど、それでもやっぱり、
これがユダヤ人だったらユダヤの血を彼らはやっぱりすっげえ感じてるわけだし、
うむ、うむ、話がでかくなってきた上に収集つかなくなってきた。
そんなことがぐるぐる頭を駆け巡った2本の映画でした。

って、そうだ、それで勢いついて、3本目の映画みちゃったんだ、えーと、
「タイヨウのうた」
適当に軽くてよかった。女の子のかわいいかんじも、男の子のアホなかんじも。
むー、まあ、軽くてよかった、勢いついちゃって寝れなくなるところでしたもん。


そんな感じ。
みんな結局どっかの馬の骨。
国籍は天にあり!

可可西里 ココシリ

2006-11-11 08:59:11 | 映画
前にも一回書いたかな?青海省旅行記、かね?
可可西里っていう、中国の映画なんだけれど、
中国の西部でとった中でもかなり秀逸な作品。
舞台は可可西里っていう青海省の高原一帯。
保護動物、チベットカモシカが毛皮のため密漁されているのを
地元の義勇団が阻止しようとする話なんだけど、
密猟者も生活かかってるチベット人。
見つかったらつかまるのも、道に迷ったら死が待ってるのもわかってる。
地元の義勇団も、同胞が苦しいのはわかってる。
でもあえて、彼らの正義を突き通す。
だから彼らも命がけで密猟者を追いかける。
高原は広く、高度も高く、走ったら肺が壊れる。
携帯もつながらなければ、ガソリンだって切れたら終わり。
食料も、そこを尽きる。
凍死もありえる。

今のチベットの抱えてる問題とか、
自分の生活と、チベットの文化・環境の保護の折り合いとか、
妥協とか、矛盾とか、そんなのが全部ひっくるめてはいってる。

義勇団がやってることだって限りがあるし、
いたちごっこは終わりがないし、
彼らにだって資金は必要で、
押収した毛皮を売るしかない状態にだって追い込まれる。
常に良心との葛藤。どう転んでも痛い、苦しい。

これは、泣いたよ、ほんと。一人で、PCの前座ってボロ泣き。

えーっと、そうじゃなくって、いいたいのは、(たぶん↑のことって、前も書いた。笑。
もう一回書きたい位燃えてんのよ!私は!)
この映画がイギリスで公開されてたってこと!!
この前普通の映画館が上映終了したやつを上映する映画館の前を
通ったら、「MOUNTAIN PATROL]ってあるじゃん!
あれ、あれ?!可可西里じゃん!!
感動した。がんがん上映してくれ!!

と、おもったら、日本でも6月に公開されてました!!
オフィシャルサイトまである。↓
http://www.sonypictures.jp/movies/mountainpatrol/site/top.html


監督さんも、俳優さんたちもがんばってほしいなあー!
あー興奮した!

そういえば夏、上海の家の近くで道端にアクセサリー売ってる
チベット人のお兄ちゃんたち3人組がいて、少し話をした。
兄ちゃんたちはラサから出てきて3ヶ月くらいっていってたけど、
何が良かったって、道端の物売りなのに、中国語しゃべる日本人を
面白がって、一切モノ売りつけなかったんだ。
もー、大丈夫かね、とか思っちゃったけど、
なんか、他のもの売ってる人たちって、もっとぎらぎらしてたりすさんでたりしてるのに、
彼らはなんか、あっかるかったんだよね、すげえ。
なんかねー。ホカホカしたんだよー。よかったなあ。
あと、中国語がなまっててかわいかった。

もうひとつ余談だけど、夏に朱家角ってとこ行ったと帰りに会った
浙江省から来たカップルも、いいひとだったなあ。日本語しゃべってたら、
二人でこそこそしながら、「ねえ、日本人?」って聞いてきた。
うちらは家に変えるところだったけど、彼らはこれから市内まで遊びに行くところだった。
たぶん川沿いとかぶらぶらするんだろうな、ってかんじ、かわいかったなぁ。

なんかやっぱり、上海の人はホント、いい意味でも
悪い意味でも都会人だなぁ。
上海のそこが、またすきなんだけどさ。
そのつんつんしてるかんじもひっくるめて。

えーっと、何の話してたんだっけ。
明日はブライトン行ってきます。たのしみー。

戦場のピアニスト。

2006-02-12 08:09:48 | 映画
を、フラットメイトと土曜の夜に見てしまったよ。

実は今日は微妙に「風邪来るぞ~」的な予兆があったので、
今日の用事が済んだ後はおとなしくしてようと映画見ることにしたんだけど。。

映画の選択はこの場合正しくなかった。。。


気がつけば2時間半がたち、その間私もルーミーも目ン玉100パーセントで
PCの画面に食い入る。

全神経集中。肩いかってたもん。

はぁ。。。

たった60年前よ。
そして今でも見えないところで続いている。


・・・・ちなみにこの冬があけたイースターに旅行に行くのは
ポーランドのクラコフ。別名アウシュビッツ。

それから一週間ほどしてからいくのがベルリン。ドイツ。

うわぁ~。。。。



えーっと、、、課題しなきゃぁ。。。
てんとうむしてんとうむし。

DEEP BLUE

2006-02-09 08:48:37 | 映画
プロジェクトの参考にと見たBBCのドキュメンタリー映画、DEEP BLUEをみまして。

すっげぇいいの!!
友達から話を聞いて、めっちゃ見たくなって、
地元の図書館、学校の図書館、DVDショップ見て回ったけど
全然なくって、ネットでオーダーしてしまいましたが。。。
(でも正規で買うより75パーセントオフでした!)

世界中の海の生き物のすんごい瞬間をものすごい時間と労力とお金をかけて
フィルムに治めた一品。
大海をさまようマンタやら(このマンタ、2匹の魚を乗せて泳いでる!)
いわしの大群(正にスイミーが大きな魚に化けたように!)、
そしてそれを食べるカジキと信じられないくらい大きなくじら、
海を飛ぶかもめと、深海に潜む怪魚たち、
くらげや珊瑚、全てが美しいんだ!!

中でも感動したのが
くじらの大きさ!
あんなに大きいものが動いて、泳いで、それでいて
あんなに綺麗な形をしていて!生きている!!
生きてるんだよあんな大きなものが!
飛行機みて鉄の塊が飛んでるとか言ってる場合じゃないよ!
あのでっかいものにちゃんと口があって尻尾があって、
その中にちゃんと筋肉と骨と神経があって、しっかり機能していて、
あの巨大な体を支えていて。
そしてそして美しい。(何度も言うけど!!)

は~。感動した!

あと、やはり深海にすむ自己発光する物体。
いったいおまえらはなにものなんだ?!?!?!
っていう不思議さ。綺麗。あんなに海のそこにいるのに
ちゃんと泳げるように体が設計されていて、目があって
鰭があって口があって。生きている。

すっごいお薦め!
是非是非是非。

ちなみにカメラや深海の研究もココ10年ですごく進歩したものだから、
新しい発見や今までに見たことのない映像が沢山。

海の中って空気中の塵がないぶん、画像がすごく鮮明で、
鮮明すぎて「CGなんじゃないか?!」ってうたがってしまうんだけれど、
疑ってしまう自分とその時代ってねぇ。
嘘モノのほうが身近ってどういうことだろう。

Ken Loach * KES* SWEET SIXTEEN

2005-05-07 04:31:18 | 映画
最高記録ぐらい長く書いたのに、、、消えた。
すっごいショック。ショック。。。

まぁ、気を取り直して。
やっとこさエッセイが終わり、久々の更新。
で、今日はエッセイに書いたKEN LOACHという監督の、
KES(邦題少年と鷹)とSWEET SIXTEENという映画のはなし。

このken loachという監督、イギリス映画の中の社会派巨匠で、
フォーカスをいつも労働者階級や、社会的弱者にあてて映画を
撮っている人。
今回扱ったKESは69年に制作された彼の初期の作品で、
イギリス名映画7位にも(多分)ランキングされているもの。
ヨークシャーの労働者階級の15歳の男の子が、
学校でも、家庭でも理不尽な思いをしながらすごしているときに、
修道院の庭からパクってきた鷹の赤ちゃんを育て始める。
ひどい学校(先生は自分勝手で、労働者階級の生徒を見下す。
体罰も続いていて、授業も適当。生徒のケアも会ってないようなもの)
と愛のない家族(すぐ殴る炭鉱で働く兄貴と、
夕飯にフライドポテトのための小銭を渡してパブに繰り出す母親)
の間で唯一自由を感じれるのがその鷹の世話をしているときだった。
ただ、その時間も、怒った兄貴が鷹を殺したことでおわってしまう。
さらに中学校を終えた彼には炭鉱で働くという現実も待っている。
(成績が良くない限り、何か特別なスキルがない限り、
その町ではそれが当たり前となっている。)
映画はその鷹を庭に埋めるシーンでおわり、
見終わった後にはなんともいえないもどかしさが残る。
60年代のイギリスの田舎、労働者階級の生活を
見るのにはうってつけ。興味があったら是非どうぞ。
こんな理不尽でいいのか!?という憤り爆発でしょう。
ちなみに彼らが喋っているのがヨークシャーなまりの英語。
このサイトさん↓にアクセスすると本物のヨークシャー弁が聞けます。
http://www.barnsleylife.com//tonythepitpony.htm

で、もう一つがsweet sixteen。
コレもKESとおなじ15歳の労働者階級の男の子を主人公にした
KEN LOACHの近作(たしか2002年)。
舞台はスコットランドの廃れた港町。
主人公のliamは学校に行かないで9ヶ月がたち、友達の
pinballと安い煙草を売り歩いて小銭を稼ぐ。
母親は彼氏の罪をかぶって刑務所にて服役中、家にはその
薬の売人の彼氏と、実の祖父の3人くらしだが、liam はそこを追い出され、
子供と2人で住む、姉の下へ居候する。彼は母親が出所した後、
家族4人でやり直すべく、そのために川辺にあるキャラバンを買おうと計画し、
pimball といっしょに母親の彼氏から薬を盗んでさばきはじめる。
お金も集まり、キャラバンもとうとう手に入れ、
母親の出所日がきた。しかし、出所祝いパーティの翌日、母親は
彼氏の下へいってしまい、仲たがいをしたpimballはジャンキーがたまる
公営住宅で同じように薬でベロベロに。
我を忘れた彼はその彼氏をナイフで刺してしまう。
最後に逃げた海辺で姉からの電話が入る。警察も捜している。
そこで映画はおわる。

暗い。そしてろくでなしの大人ばかり。
でも今のイギリスの一面をすごく反映している作品。
人口のだいたい25パーセントが
この労働者階級に属しているといわれているんだけど、
舞台となっているスコットランドは、トレインスポッティングを
みてもわかるとおりに、薬と貧困の問題が
特にひどい。エジンバラはヨーロッパの中でHIVの感染率が一番高いし、
80年代以降、薬も南に比べて本当に蔓延している。
発展途上国の貧しさとはまたべつのもの。

ロンドンはこれほどでもないけど、やはり労働者階級って言うのは
もちろん存在していて、それは単に差別だっていうのとはまた違う。
話がややこしくなるし、私自身もまだ全然つかみきれてないので、
日本に帰ったときに(笑)日本語でちゃんと勉強したいと
思います。あはは。

まぁ、とにかく、機会があったら見てみてください。
素顔のイギリス、だと思います。
お茶の時間なんてどこへやら。

george chakiris!

2005-02-19 06:24:16 | 映画
  再び今日もウェストサイドストーリを見つつ、レナードバーンスタインの曲を聴きつつ、リサーチをした。というか前回も書いたけど、ウエストサイドストーリーのベルナルド役、ジョージチャキリス!すごい!この人のダンスがやばい!カメラが彼にフォーカスを置いてなくても、観客は必ず彼に目が行ってしまうほど華がある!今日は4分のシーンを巻き戻したり一時停止したりして(そしてうなづいてため息、はあ☆の繰り返し)、この人のダンスのどこが他のダンサーのと違うのだろうと研究してしまった!(勉強しろやオイ。)
  動作と動作の一瞬の静止状態が最高に美しい。だから遠心力とか、それまでの動作の勢いをカットする切れ味のよさがすばらしく、一つ目の動作をきっちり終えて2つ目の動作に行く。ぐだぐだっと流れず、どこで停止ボタンを押しても綺麗。そしてダンス中の目の表情がもぉ、やられます。特に体育館で大人数で2つのグループに分かれて踊るダンスナンバー"mambo!"の敵対しているグループに向かっての、笑っているけれども挑戦的な目つきがなんかは余裕がないとできないモノ。あと、プエルトリカンたちで踊るAMERICA!でのダンスシーンの後半、男6人くらいで上半身を前後に3回ひねる(振り向く?)早い振り付けのところがあるんだけど、そこでも彼はやたらと光る。なぜだろうなぜだろうとゆっくり再生をして見直したら、、、ハイはいはい!最後の振り向きだけ皆よりか半テンポはやく、しっかり振り終えて一瞬静止してから次の動作に余裕を持って入っていた!全体的に見たら周りが遅れているとも彼が早いとかも気づかないところだけど、これを発見したときは鳥肌たった!この0.3秒?が彼のダンスを決定的に違うものにしているのだな。。。

と。。。今日は一日興奮してました。
明日はブライトンへ日帰り旅行。今日中にレナードバーンスタインの本を読まなければぁ。この人もかなり面白いので読み終わったら作品の展開とともに書くつもり。今のところ面白いだけで何にもイメージでてこないけど。
さてさて、気合入れますか!

talkie and silence

2005-01-09 05:02:34 | 映画
talkie and silence (舟橋淳)という短編映画を見た。
open art というホームページで公開されているもので、
監督の舟橋淳さん自身はNYで活躍されている方。

17分の短いフィルムで、アパートの一室で
男女が口論をしているシーンから始まる。
そのあと女の人がその場を逃げ出し町の食堂にすわり、
隣に居た聾唖のおじいさんと、筆記での会話が始まる。
おじいさんは毎日何かを見つけて、それを記録しているのだけれど、
何回かのやり取りの末、二人は外に出てその何かを探し始める。
たとえば「things that hang down」。彼女は首を傾げるが、
おじいさんは両手の人差し指と親指でカメラのファインダーを作り、
信号機に、ピアスのついた耳に、星条旗にそれを当てる、
と、それらは全部ぶら下がってるものに見える。
そしておじいさんはまたノートにかく。
「you can tell what they are thinking from their faces and action」
やがて彼女は夜また男の居るアパートに戻ってくる。
彼はまた同じ文句を彼女に投げる。
しかし彼女は黙ったまま。
彼女は彼を見つめ、彼に近づいていう。
「why don't you look at me?」

えいがはここでおわり。
かなりはしょって自分の思ったとこだけ書いたので
監督さんに申し訳ないんだけど、
わたしはちゃんと人を見て話してるか?
そして人を見て聞いてるか?
人が見ていることをちゃんと知ってしゃべっているか、
人と接しているか?ってことをいろいろ考えた。
自分の気づいてないところできっといろんなサインがでてて、
それで相手を傷つけてたりとか、困らせてたりとかしてるかもしんないし。

逆に相手のサインを読める才能のある人もいるし、
しゃべってても相手に絶対不快感を与えない人も居るし。
みんなすごいなぁ。私にはなにができるでしょうか。