花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

理屈と道徳 天使と悪魔 こちらも最後の決戦

2016年07月19日 04時45分48秒 | 反省の心柱

昨日,観音様の記事で挨拶をするのを忘れてしまいました。昨日の分もいっしょに,こんにちは!                                                 来年は不動明王が復活すると勝手に思っているあさひです。京都の東寺も是非,参拝してみて下さい。あっ!それと大事なことを御伝えせねばなりませぬ。(なっ!なんだ?と思われたおじいちゃん。おばあちゃん。いきますよ!)これからは時間をとにかく意識して行動してみて下さい。これまでの時間間隔ですとデートに遅れてしまったり,会社に遅刻してしまったりしてしまいます。

それはそれとして,今日は,理屈と道徳をテーマに書きたいと思います。又,天使の働きと悪魔の働き少し書ければと思います。                                                      どのような人であっても心で想うことにあまり変わりはありません。しかし,人それぞれが今現在,おかれている環境などを考慮し,頭で自分と他人を比較することで違いが生じ,人それぞれ違う問題や課題が出てきます。この頭で考えた違いを言葉にすると理屈と云うものに化けるのではなでしょうか。人は,だれでも幸せになりたいですし,豊かに暮らしたいと心より想うものです。この感覚と云いますか感情が道徳の持つ神性であると考えます。つまり,不幸になろうと思って生きている人はいないと云うことです。

しかし,誰でも豊かに幸せに暮らしたいと想うのに人と争い,人と比較し,人を羨み,妬み嫉みを繰り返すのでしょうか。そんなことは「自由主義社会なのだから当然じゃないか」「資本主義社会と云うのはそういう社会なんだ」と父上や母上の方々に怒られそうですが,確かに,自由主義社会や資本主義社会では,他人よりもより自由で,より多く,より大きく財を取得した者が優越する社会であります。理屈を用いると説得力があるのかもしれません。しかしながら,本当にそうなのか?他人よりもより自由でより財を得ることで豊かに暮らすことができ,幸せを実感することが出来るのか考え込んでいた時期がありました。

私なりに考え,結論付けたものは,先ほど申し上げたこととは別にありました。つまり,理屈を理屈で解釈した場合,統制社会や計画経済ならば豊かで幸せを実感でき,また享受できるのかと云うとそうでもない気がします。そうなると,自由主義や資本主義が豊かで幸せな人や社会を創り上げるのだと云う考えや理屈は破綻します。それは根本ではないと結論付けました。そんな綺麗ごとなどと言われてしまうかもしれませんが,やはりどこまで考えても理屈ではなくて道徳が必要だと結論付けしたのです。この理屈と道徳の区分けが自分の中で出来るまでは正直,悩みました。理屈と道徳が交り合って頭の中で整理が付かずにおりました。

理屈は相手や自分を説得するために使うものです。道徳は相手や自分に納得してもらうために使われるものです。理屈の特徴は理論ですから説得する時間は短時間で済みます。つまり,相手が自分の理屈に弁論出来なければ,その時点で説得したと云う形式が整います。しかしながら,道徳は相手に納得して頂かないと為りませんので時間がとてもかかるのが特徴であると思います。私の仕事上で知り合う人の中にも絶えず争いを繰り返している方が稀におられます。よくここまで争いができるなと,ある意味感心してしまうのですが,争いをする人には,ある共通点があります。それは「自分は正しい」「自分は正義だ」と考えていることです。

そのように考えますと,他人と自分を比較することをしなければ,きっと,心に余裕が生まれ,道徳観を培うことができ,他人を祝福することが出来る様に思います。争うことだけはせずに暮らして行けたら,それぞれ人に見合った幸福感は得られるように思うのです。争いは本当に無駄な時間とお金を捨てます。私は争いをして裕福になった人を見たことがありません。テレビ電波を受信できない砂嵐のような波動をいつも放出しています。言葉も態度も周りに与える環境はよくありません。ですが,当の本人は気が付いていません。顔は正直と申しますので,顔と眼を見ると良く解ります。理屈と云う悪魔に完全に思考を支配されてしまっています。

今日は,自分自身の心に潜む理屈と云う悪魔の働きと道徳と云う天使の働きを書かせて頂きました。                                                           しかしながら,考えることは人それぞれ違うと言うことは記事の前提にしたいと思います。より豊かに幸せを実感するためには高天原と云う心に宮柱を太如き立て,五つの「感謝」「反省」「謙虚」「奉仕」「素直」の心柱での中のることが生きて行く上で,とても大切であると私はその様に考えます。理屈と云うロジックに騙されてはなりませぬ。

花咲 あさひ 拝


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宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて                                                                            感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                              ブログ開設37日目 記事数第45記 反省の心柱 編 


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