さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

序卦伝(15)坎為水と離為火

2024-07-01 | さわやか易・講座

「沢風大過」は大いに過ぎるだった。過ぎることが続けば、必ず弊害が出てくるだろう。

「物は以て過ぐるに終る可からず、故に之を受くるに坎(かん)を以てす。坎とは陥るなり。」
過ぎるほど、何かに夢中になっていると、正常ではなくなる。坎(かん)とは、陥ることである。深い穴に落ちてしまうのである。一般的には良いことよりも悪いことのケースが多いだろう。酒、ギャンブル、薬物依存、様々な落とし穴がある。社会で言えば、日本経済もバブルが崩壊し、深刻なデフレスパイラルに落ち込んでしまった。しかも、たっぷりと長期間に渡って抜け出せないほどに。
 
坎(水)は問題、艱難、悩みの種、陥るなどの意味がある。その坎(水)が上下に重なっているので、一難去ってまた一難という意味にもとれる。陥るは何かに溺れるでもある。以前、「笑点」で聴いたことがある話だが、「18歳と81歳の違い」という題で、誰かが言った。「18歳は恋に溺れる。81歳は自宅のふろ場で溺れる。」
 
「陥れば必ず麗(つ)く所有り、故に之を受くるに離を以てす。離とは麗(つ)くなり。」
離(火)が上下に重なっている。離(火)であるが、火は太陽、文化、文明を表すというのは、納得しても、どうして火が離なのか納得できない方もあるだろう。私も納得出来なかった一人であるのだが、離の字を辞書を開いてみて納得した。離とは離れるという意味もあるのだが、くっつくという意味もあるのだ。麗(れい)が「つく」でもある。そこで、易では離は付くとして使われている。
 
火とは物に付いて燃えるからだという。確かに何も燃えるものが無く、火だけでは直ぐに消えてしまう。燃える物に付くことから、何かに付くということが重要になる。「気が付く」というのも、大事な付くである。「坎為水」の次に「離為火」が置いてあるのは、何かに陥り、自分を見失った者は、何か付く物を見つけることが重要ということである。失われた30年と言われた日本経済も、どん底から何か次の柱を見つけ、再び成長軌道に進んでもらいたい。
 
序卦伝の上経30卦はここまでである。次は下経34卦に入ります。

 

 


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