漢字家族BLOG版(漢字の語源)

漢字に関する話題など。漢字の語源・ワードファミリー。 現在、荘子「内篇」を素読しています。

牛・丑・うし・ウシ(1) 鶏口牛後(その1)

2008年11月13日 03時23分32秒 | 故事成語

 [ブログ内検索][牛・丑・うし・ウシ 鶏口牛後]
  ウシ(・牛)にまつわるお話しとして、縦横家 ─ 漢字家族において、

「寧為鶏口、無為牛後(后)」 の解説は・・・(後ほどアップ 必読)

  などとしながら、何年が経過したことだろうか。あまりにも気の長い「後ほど」でした。

  さて、「鶏口牛後」のお話しは、「史記」や「十八史略」にも登場しますが、この「戦国策」の記述、気になりませんか?
  学生時代にこの一節を読んだときは、蘇秦から合従の策を説かれた時の韓王の反応があまりにも尋常ではないので、レトリックがすぎると思っていました。少し不自然にさえ思ったほどです。(なんでここまできばるのだろう???)
  ところが、卒業後、藤堂明保博士の『漢字語源辞典』に巡り逢い、その疑問が氷解したのです。
  そこには、加藤常賢博士の説が紹介されていましたが、これについては、次回の書き込みでご紹介しますので、まずは、「戦国策」の該当箇所をごらんください。
★鶏口牛後/鶏口牛后 『戦国策』卷二十六韓一より

 臣 聞 鄙 語 曰 : 『寧 為 雞 口 , 無 為 牛 後』 今 大 王 西 面 交 臂 而 臣 事 秦 , 何 以 異 於 牛 後 乎 ? 夫 以 大 王 之 賢 , 挾 強 韓 之 兵 ,而 有 牛 後 之 名 , 臣 竊 為 大 王 羞 之 。

 韓 王 忿 然 作 色 , 攘 臂 按 劍 , 仰 天 太 息 曰 : 「 寡 人 雖 死 , 必 不 能 事 秦 。 今 主 君 以 楚 (注:鮑本補曰:字誤,史正作「 趙 」) 王 之 教 詔 之 , 敬 奉 社 稷 以 從 。


  蘇秦は、趙のために合従をはかろうとして、韓の宣恵王に説いた。

 「・・・・・ そもそも、国力強大で賢明な大王をいただく国が、おめおめ秦の属国となりさがる。これ以上の国辱、これ以上のもの笑いはありません。ここは一番、熟考あってしかるべきでしょう。

 大王が秦に仕えるなら、秦は必ず宜陽(ぎよう)と成皐(せいこう)を要求します。今年それを与えれば、来年は、さらに多くの土地を要求してきましょう。毎年、土地を与えれば、ついには、与える土地がなくなってしまいます。与えなければ、それまで与えた土地まで無駄にし、かえって禍をこうむりましょう。大王の領土には限りがあるのに、秦の要求には果てしがありません。果てしのない要求に応ずるのは、怨みを売って禍を買うようなものです。戦わずして領土を削られましょう。

 『むしろ鶏口となるとも、牛後となるなかれ』といいますが、おめおめと秦に仕えれば、まったく牛後と異なりません。強力な兵を擁しながら牛後の汚名を着せられる。大王のために恥ずかしく思います」

 韓王は、さっと顔色を変え、ひじをはって刀の柄に手をかけ、天を仰いで嘆息した。 「死んでも秦には仕えまい。趙王からの教えをお伝えくださったが、国をあげて従いたい」


十干十二支 -- 干支(えと・かんし)


コメントを投稿