ブログを操作しているうちに、大晦日に書いた上記の表題の記事を削除してしまった。(^^;
ボーゼンとして浩然の気が湧いてこないが、駑馬にむち打ち、無理矢理にでも気合いを入れて再度入力しよう。
【大丈夫】ダイジョウフ・ダイジョウブ
『孟子・滕文公下』
居天下之廣居,立天下之正位,行天下之大道 得志與民由之,不得志獨行其道
・広大な天下で、仁という住居に住み
・礼という天下の正しい位置に立ち
・義という天下の大道をおこない
・志すところを得て政権をとるときは、民とともにこれを行い
・志を得ない場合は退いて独りでその道を守る
富貴不能淫,貧賤不能移,威武不能屈 此之謂大丈夫
・地位や金で誘惑されても、心を動かされることがない
・貧しい状況に追い込まれても、守っている行いは変えない
・権力や武力で責められても、志が揺らぐことはない
・これこそが「大丈夫」というべき人である
このように、堂々として、りっぱな男こそ「大丈夫(ダイジョウフ)」といえるのだ、と孟子は言いました。
「夫」とは、「成年に達したおとこ」の意で、父(自分より世代が一段上である男子)・伯(長老の男)と同系。そのコトバをあらわす字形は、象形文字で、大の字にたった人の頭に、まげ、または冠のしるしをつけた姿を描いたもの。
日本語の用法では、「もう心配しなくても大丈夫」などという使い方をしますが、これは本来の意味とはかなりズレた使い方。中国人の先生がおもしろがって本国の人に紹介していたほどです。
ではどうしてこのように意味がズレたのかというと、
「大丈夫(りっぱな男)がそばにいてくれたら、もう安心」
ということで、「もう大丈夫(ダイジョウブ)!」というようになったと想像されます。それがさらに用途が広がり、今では「不要緊・没関係 ( bu3 yao4 jin3 ・ mei2 guan1 xi4 かまわない、心配いらない、気にしないで)」の意味で「大丈夫」を使用するようになったので、本来の意味を類推できなくなりました。表題のような疑問が生ずるのもしかたがないことでしょう。
ということで、「なぜ夫という字を使用するか」というよりも、もともと「大丈夫」という熟語なのです。「ダイジョウブ」ということばに当て字をしたわけではありません。
フーっと一息。またまた走り書きをしてしまった。
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