漢字家族BLOG版(漢字の語源)

漢字に関する話題など。漢字の語源・ワードファミリー。 現在、荘子「内篇」を素読しています。

re^3:「愛」と「恋」の語源、成り立ちを教えてください!!

2006年01月10日 02時38分56秒 | 漢字質問箱ログ


re:「愛」と「恋」(1)re:「愛」と「恋」(2)

re:「愛」と「恋」(3)  投稿者:Nothing 投稿日:2003年 3月24日(月)11時14分24秒

<恋>

■解字
会意兼形声。戀の上部(音レン)は「絲+言(ことばでけじめをつける)」からなり、もつれた糸にけじめをつけようとしても容易に分けられないこと。乱(もつれる)と同系のことば。戀はそれを音符とし、心を加えた字で、心がさまざまに乱れて思いわび、思い切りがつかないこと。
■単語家族
乱・巒(ラン)(きりがなく連なって続く山々)・「戀-心+子」(ラン)・(レン)(もつれ連なってうまれる双生児)などと同系。
■音
レン【呉音・漢音】
■訓
こう, こい, こいしい
■意味
(1)こう(こふ)。こいしい(こひし)。断ち切れずに心が引かれる。思いわびる。いつまでも慕わしく心が乱れるさま。「留恋」「恋桟(レンサン)(職をほしがって執着する)」
「羈鳥恋旧林=羈鳥は旧林を恋ふ」〔陶潜・帰園田居〕
(2)こい(こひ)。男女が慕い合って思い乱れる気持ち。「悲恋」



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re:「愛」と「恋」(4) 投稿者:Nothing 投稿日:2003年 3月24日(月)11時20分45秒

<愛>

■解字
会意兼形声。旡(カイ)・(キ)とは、人が胸を詰まらせて後ろにのけぞったさま。愛は「心+夂(足をひきずる)+音符旡」で、心がせつなく詰まって、足もそぞろに進まないさま。
■単語家族
既(キ)(いっぱいである)・漑(カイ)(水をいっぱいに満たす)と同系。また、哀(アイ)(胸が詰まってせつない)ときわめて近いことば。
■音
アイ【漢音】 オ, アイ【呉音】
■訓
いとおしむ, いとしむ, めでる, おしむ
■意味
(1)いとおしむ(いとほしむ)。いとしむ。かわいくてせつなくなる。「恋愛」「可愛=愛すべし」
「愛厥妃=厥の妃を愛す」〔孟子・梁下〕
(2)めでる(めづ)。好きでたまらなく思う。また、よいと思って、楽しむ。「愛好」
「停車坐愛楓林晩=車を停めて坐に愛す楓林の晩」〔杜牧・山行〕
(3)おしむ(をしむ)。いとおしむ(いとほしむ)。おしくてせつない。もったいないと思う。「愛惜」
「百姓皆以王為愛也=百姓皆王を以て愛めりと為す」〔孟子・梁上〕
(4)かわいがる気持ち。いとしさ。また、キリスト教で、神が人々を救ってくれる恵みの心のこと。



ありがとうございました! 投稿者:菊池 投稿日:2003年 3月26日(水)23時11分02秒

 自分の解釈だけでは、ずいぶんと間違っていることが多かったです。ありがとうございました。





数年前に漢字質問箱に掲載したものを、このブログに再掲載しました。

漢字家族-漢字の語源・ワードファミリー・解説

re^2:「愛」と「恋」の語源、成り立ちを教えてください!!

2006年01月10日 02時23分48秒 | 漢字質問箱ログ


re:「愛」と「恋」(1)re:「愛」と「恋」(3)

re:「愛」と「恋」(2) 投稿者:nothing 投稿日:2003年 3月24日(月)03時29分44秒


つぎに、「愛」。


「胸いっぱいの切なさ」

== 引用はじめ ==

 は「喜び」よりも「悲しみ」を与えるものだそうだ。およそ愛とは、異常な心の高まりだから、愛の心は必ず「切なさ」を伴うものだ。そして「切なさ」は、むしろ悲しみに近い。
 という字は、昔は「旡+心+久」と書いた。今日のという字の下半部は原型のままだが、その上部は旡(カイ・アイ)のひどく変形したものである。このという部分は、アイという発音を示す大切な個所でもある。そこで、旡-既-慨-漑-概など、およそを含むコトバを並べて考えてみる必要があろう。

 とは、人間が腹をいっぱいにつまらせて、ウーンと後ろにのけぞった姿である。の字は、お盆に盛ったごちそうを前にして、たら腹食べ終わった人間が、ウーンとのけぞっているさまを表す会意文字である。の字の左側は付図のように、盆上に盛った丸いオマンジュウである。今日でも「いっぱい」になった状態を既(キ)という。たとえば日食や月食のとき、黒い蝕(ショク)の部分が、太陽や月の表面をいっぱいに食い尽くしたのを「皆既食」という。「し尽くした」のは「すでに終えて余白がない」ことだから、には「すでに」という副詞の意味も生じてくる。
 水をドクドク注いで田の面もいっぱいに満たすのを灌漑という。この漑(ガイ)とは、水を「いっぱい」にすることである。また、四角いマスでお米をすくい上げると、どうしても凹凸が生じてマスの隅々には米が行き渡らない。その時「マス掻き棒」を使ってサッと表面をならすと、お米はマスの隅々まで届いて、マスはいっぱいになる。「いっぱいに」ならす棒のことを概(ガイ)という。ならすという意味に傾くと、「大概」(ならす→おおよそ)とか「概略」(ならしたあらまし)という意味となるが、の字の本義はマスを「いっぱいにする」棒のことである。最後に、心がいっぱいにつまるのを慨(ガイ)という。怒って胸がいっぱいになるのは憤慨、感動して胸いっぱいにつまるのは感慨という。そして、胸いっぱいの切なさ-それをというのである。それは心の姿だから、の字をそえ、また切なさに足を引きずり、歩みも滞(とどこお)りがちとなるので、足ずりの形をそえた。それは憂(ユウ)の字の場合に、「心+夂」をそえたのと同じ意味である。

 もっとも「切ない」のは恋しい場合だけとは限らない。「ああ、もったいない」という場合にも胸がいっぱいにつまる。だから愛情の「おしむ」と訓じるのである。
 斉国は偏小なりといえども、吾なんぞ一牛を(お)しまんや!<孟子>
 ケチンボじじいが「ああ惜しい」と十円玉を哀惜する心と「あの子恋しや」と切ながる気持ちとを同一視されては、叱られるかもしれない。しかしどちらの「胸いっぱいの切なさ」という点では同じなのである。


== 引用おわり ==

数年前に漢字質問箱に掲載したものを、このブログに再掲載しました。

re^1:「愛」と「恋」の語源、成り立ちを教えてください!!

2006年01月10日 02時20分22秒 | 漢字質問箱ログ

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投稿者:菊池 投稿日:2003年 3月19日(水)22時34分23秒

「愛」と「恋」の語源、成り立ちを教えてください!!

re:「愛」と「恋」(2)re:「愛」と「恋」(3)

re:「愛」と「恋」(1) 投稿者:nothing 投稿日:2003年 3月24日(月)02時50分59秒


菊池さん。大変お待たせいたしました。
「愛」と「恋」について、まずは、絶版となった『言葉の系譜』(藤堂明保)から引用します。
それでは、「恋」から、

== 引用はじめ ==

 ところで「もの思う」とは、どういう心理なのであろうか、いま戀(恋)の字の上部をみると、それは左右にを書き、中央にの字を配してある。とはズバリと裁断する明白なコトバである。糸が左と右にあって、容易に裁ち切れぬさまをにおわせたのが、この「戀-心」という部分である。してみるととは、まさしく糸が乱れて千々に乱れる、そのような心を表すコトバであろう。いったい今日の楷書は、秦の始皇帝が統一して定めた小篆の字体を継承したものだ。ところで、秦の統一のさい、採用されなかった古代文字、俗に「古文」と称する字体があるが、の字の古文は、ほとんど亂(乱)の字の左側と同じである。してみると、恋-乱は、きわめて近いコトバだということが判明する。

 そこでとは何かを考えてみよう。その左側は、上と下とから手が差し出されており、その中間に糸巻きにもつれた糸が描かれている。つまり、糸がもつれて、ズルズルと結末がつかず、二本の手でさばきかねているさまである。右側の乙印は、後に加わったもので、軋(アツ)の右側と同じく、おさえて処理する意味をそえたものだ。乱 luanの語尾のntに転じると、埒:図解luat(ラツ)という語形となり、寽・「寽+手」・埒などの字で表される。もまた、上と下とに手があり、中央に一印が描かれた会意文字だ。そこで「寽+手」は、両方から物を取ろうとして引っぱり合い、容易にケリのつかぬさまを表している。日本語で「ラチがあかない」というそのラチは、この寽・「寽+手」を音訳した借用語なのである。乱-「寽+手」は同系の語で、もつれ合ってケリのつかぬこと、つまり「ラチのあかない」さまを意味する。

 恋(レン)と近いのは、ケイレン(痙攣)のである。ケイレンとは、筋肉が上下から引っぱってもつれ合い、ラチのあかぬ状態である。二人以上の赤ちゃんが、もつれ合って生まれるのを攣生(レンセイ)という。これも(もつれ乱れた心)と同系である。そこで恋する者の心理は明らかとなった。恋(レン)とはつまり「乱(ラン)した心」、ちぢにもつれて収拾がつかず、ラチのあかない心理なのである。ああも思い、こうも思い、ケイレンしたようにズルズルとつながってケリがつかない、「あい見ての後」の、「もの思う」心とは、そうしたものらしい。


== 引用おわり ==

数年前に漢字質問箱に掲載したものを、このブログに再掲載しました。