『らーめん放浪記』純情旅情編。
〈3-(20)・助人〉
“「♪命かけてと 誓った日から
素敵な思い出 残して来たのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素バンッ!ザーーーーーーーーーーーーーーーーーザッーーーーーー……… …… …ビビビュッ…… ……」”
真夜中の
山口県下関市。
『フグさん便』の事務室のど真ん中で
『マリリン』が首を吊っていた。
……ところを
いきなり何者かに突き飛ばされた!
その拍子で倒れるラジカセ!
イカれたノイズが
ガシャンッ!
バンッ!ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…
苦しみながらも
ラジカセの息が途絶えた…。
今さっきまで『ケロケロケロンパ』のラジオのリクエスト曲
『あの素晴しい愛をもう一度』を楽し気に奏でていたのに…
まさか大破するなんて、さすがのラジカセでも想像出来得なかった事だろう。
粉々になり床に散らばったラジカセの破片やコード類の横で
這いつくばり首をおさえゼェゼェと肩で荒い呼吸を繰り返すマリリン。
“生きている”
マリリンの自殺は阻止された訳だ。
身代わりの様に“お亡くなり”となったラジカセを見つめるマリリンから涙が流れた。
変にドロッとした汗も止まらない。
涙は止めどなく流れ落ち
瞬く間に這いつくばったマリリンの眼下の床を濡らした。
オエオエと詰まる喉、流れ続ける鼻水とヨダレと
そして、涙。
痛くて辛くて泣いているんじゃない。
死ねなかった悲しみや悔しさがマリリンを泣かせた訳でもない。
“嬉しかった”のだ。
死のうとしていて嬉しかったとはおかしな話だが
マリリンは今泣きながら生きている事への喜びを噛みしめていた。
自分の意思で
天井からぶら下がっているあのロープに首を任せた人間なのに
死に損なった人間なのに
今こうしてここで痛みを感じて喜んだりしているなんて…と。
まるで気の違った体であるマリリンは
なんのなんの、事のほか冷静だ。
事実マリリンは「ホッ」としていた。
しかし!
明らかに死のうとした自分
そう易々と簡単な素直さでコロコロ変わる感情を表に出すもんじゃない。
さっきまでの自分の感情に失礼だし可哀想だ。
それよりなにより、もっと立場が無いのは
今自分の後ろに立っている人…
そう、自殺していた自分を助けた“誰か”である!
マリリンはその“誰か”に失礼の無いよう
目一杯ひねくれて
“死ねずに恨めしい”感情を作り
“死にたそう”な表情で
悲しみの作り涙を流しながら振り返り思い切って叫んだ。
「邪魔シナンヘヨッ!」
感情がおかしく入り乱れたせいか、はたまた多少首を圧迫されていたせいか
マリリンの声はカツゼツが悪い間抜けな叫びになってしまった。
舌も上手く回っていない。
「邪魔しないでよ!」
と叫んだつもりの
「邪魔シナンヘヨ」
いっそのこと「邪魔サランヘヨ」だったら良かったろうに。
韓国語サランヘヨは日本語で愛しているの意味。
“邪魔”だけど“愛している”
その微妙で曖昧な加減はまさに今のマリリンにぴったり!
おあつらえむきな感情だろう。
しかし実際は
「邪魔シナンヘヨッ!」
そう叫んだマリリンは
ここではじめて目の前の“誰か”が“誰だか”を知る事となる。
マリリンの中途半端な自殺をくい止めたのは…
身も心もぐちゃぐちゃなマリリンの目の前に立っていたのは
職場の先輩であり人生の先輩でもある
仕事仲間の韓国人『金(キム)』さんだった。
マリリンの瞳に
顔面をクシャクシャに歪め
圧倒されるくらいの怒りパワーを顔全体から発した金さんの姿が飛び込んで来た。
ただでさえご老体でシワだらけの金婆さんの顔が
もっともっとしわくちゃに見えた。
そんな金さんの形相を見てマリリンは恐怖に震えた。
一方の金さんもまた震えている。
何故かマリリンは金さんから殺気を感じた。
金さんの震えは自分の行為に対する怒りの震えだと
そしてその怒りが過剰反応を起こし
殺気を呼んで今自分に向けられているのだと、そう思った。
平坦でない人生を送って来た金さんの
“生きる事”への強烈な執着心の現れに違いない。
金さんはマリリンの仕出かした行為が許せず
腹立たしさでいっぱいな筈だ。
命を拾って頂いて殺気とはこれ全くおかしな話だが
それくらいマリリンの脳味噌は自分の行為と感情と
金さんの登場と形相に着いて行けず混乱していたのだ。
実際の所金さんに大それた殺気などはなく
ただただ猛烈な怒りにうち震えていただけなのだが。
「邪魔シナンヘヨ…」
混乱した脳味噌がマリリンの口から再びカツゼツを奪う。
「邪魔シナンヘヨ…」
もはや同じ言葉の繰り返しだ。
震える金さんが口を開く。
「タメ!」
声は寝静まった事務室によく響いた。
“タメ”
“為”?“貯め”?“溜め”?
何の事だろう?とマリリンは思う。
「タメ!」
金さんも繰り返し。
事が事だけに
こちらも多少混乱しているようだ。
金さんは首を左右に何度も振ってまた繰り返した。
「…タメ」
言葉を切るようにマリリンが再び叫ぶ。
「邪魔シナンヘヨッ!」
もはや2人の会話は成立しちゃいない。
日本人でない2人が互いにとっての共通語である慣れない日本語を使って
無理矢理会話をしているからおかしいのか。
それだけではない。
互いが互いに混乱し、脳の回路の導線がとっ散らかってしまっているのだ。
「アナタ、イノキ、ムタ…ニ……
イノチ、ムダニ、スル
タメ!」
脳の回路を繋ぎ繋ぎ
言葉を選び選び
金さんはマリリンにゆっくりと語りかけた。
混乱が怒りを和らげ
少しずつ冷静さを取り戻してきたようだ。
ここへきてまだ自分自身に収まりのつかぬマリリンは
悪あがきとばかりに引っ込みつかん気持ちを金さんにぶつけた。
「邪魔“サランヘヨ”ッ!」
おかしな言葉が飛び出した!
「!?」
どうした事か!
マリリンのカツゼツが益々悪くなったではないか!
舌べろんべろんなのか!?
“しないでよ”が混乱のあまり“シナンヘヨ”になっていたまでは何とかやり過ごせていたが
ここへ来てまさかの事態
ついに、日本語で“愛している”という意味を持つ
韓国語の“サランヘヨ”にまで
言葉がめちゃめちゃに砕けてしまったではないか!
“サランヘヨ”…
最初の叫びの段階で
このまま混乱がエキサイトしてゆけば
マリリンの口は“しないでよ”をもっと複雑に言い間違えるのではないかと
何となく予測はしていたものの
いざ実際に彼女の口からその複雑に間違えられた言葉が出ると
これはこれで一層のおかしさと
気味の悪さとを同時に感じてしまう。
しかしその間違いは
せっかく冷静さを取り戻しかけた金さんを
再び混乱させる事となった。
「マリリン?
…サランヘヨ?」
金さんがつぶやく。
ドクンッ。
心の臓が弾けた。
気が動転した様子のマリリンを見つめつつ
金さんは想った。
ナニ?ナニナニ?
アタシャおかしくなっちゃったのかねぇ?
何故だか胸が高鳴るよ。
顔が火照るよ。
身体が熱いよ。
この気持ち、何だろう。
ドキドキとフワフワに
押し潰されそうだよ!
「スゥー…
アタシ…また赤ちゃん出来たヨ…。
ホンブチョー喜んでたヨ…。
アタシも…嬉しいヨ…。
嬉シイ…嬉シイ…。
可愛イ子だヨ…嬉シイヨ…。
可愛イ、可愛イとアタシは泣くヨ。
可愛イ、可愛イと泣くんだヨ…」
深呼吸をして
落ち着いた様な面持ちで
自分のお腹を撫でながら
マリリンはゆっくりと語りはじめた。
「アタシの赤ちゃん肉になるヨ…。
アタシ…ちっとも嬉しくないヨ…。
悲シイ、悲シイとアタシは泣いたヨ…。
悲シイ、悲シイと泣いたんだヨ…」
金さんはマリリンを見つめ続けた。
この娘は何を言っているのだろう?
一瞬そう思った。
マリリンの語りなど全く耳に入って来ない。
んなもの、どーでもいいのだ。
それよりなにより
自分の今の感情だ!
金さんは変にモンワリした気持ちに支配されていた!
金さんはこの高ぶった、おかしな感情で
いっぱいいっぱいなのだ!
胸に手をあてて
金さんは感じた。
この娘ったら…
“カワイイ!”
頬を“ポッ”と赤らめ
胸を“キュン”とさせる金さん!
金さんはレズビアンではない!
しかしこれは
長年生きて来てはじめて感じる感覚だ!
おかしな事になっている金さんの前で
マリリンは涙をボロボロ流しはじめた。
マリリンの涙の、何と美しい事だろう!
もう金さんの変な感情は止まらない!
「死ニタイと思ったヨ!
デモ死にきれなかたヨ!
生キテテ良カッタ!
生キテテ良カッタ!
生キテテ良カッタ!
生キテテ良カッタヨ!」
金さんの気持ちは暴走していた!
そう!
“サランヘヨ!”
と言われた瞬間
金さんの心は弾け飛んだのだ!
このわけの分からん状況に押され
切羽詰まった脳が感情を勘違いしはじめたのだ!
恐いドキドキが愛のドキドキとすり替わる!
恐怖と混乱と恋心は紙一重!
ジェットコースターの論理だ!
何だか分からない不確かな金さんの気持ちは
今ここで確信へと変わった!
金さんは以前からマリリンを気にかけていた!
マリリンが心配でならなかった!
だからこの夜も、何だか知れぬ胸騒ぎに迫られて
早々に仕事を切り上げて本社事務室へと戻って来たのだ!
そんなマリリンへの感情は
後輩として、人間として彼女を大事に思えばこそのものと考えていた!
でもここで今日はっきりと分かった!
この感情は“別物”であると!
生理の上がった婆さんが抱く感情ではないと
無意識のうちに封印していたのかもしれない!
マリリンの言い間違い“サランヘヨ”の呪文によって
金婆さんのその勘違いした封印が無理矢理解かれた!
金さんは
心の中で絶叫した!
“アタシャ
マリリンガ好キジャ!”
金さんはマリリンに駆け寄り
自らの自殺未遂の経緯を
泣きながら語り続ける彼女をギュッと抱きしめた!
「!!!?」
そして優しく包み込むよう何度も何度もシワクチャな手で背中をたたき
「サランヘヨーッ!サランヘヨーッ!
サランヘヨーッ!サランヘヨーッ!」
と今度は金さんがマリリンに向けて本気の愛を告げたのだった!
アタシがこの娘を守る!
そんな強い想いをも同時に抱きながら!
わけの分からぬマリリンは
突然の金さんのその行動に放心状態!
すっとんきょうな表情を見せるマリリンに金さんがくちづけて!?
「ぶちゅ~う!」
“カポンッ!”と金さんの入れ歯が落ちた!
照れくさそうに入れ歯を拾う金さん!
唖然とした表情のマリリン!
2人はとんでもない勘違いの末の
禁断のちょー年の差同性愛職場恋愛の泥沼に
ネップリハマっていくのだった。
一見華がありそな
けれども確実に不成立な
歪んだ闇の未来を
この時のマリリンはまだ知らない。
“「♪星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも歌ってる
声がきこえる 淋しい胸に
涙に濡れたこの胸に
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも歌バンッ!ザッザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー………」”
真夜中の
山口県小野田市。
木造平屋の『羊 命酒(よう めいしゅ)』さん宅。
つけっぱなしの14インチブラウン管テレビの上に無造作に置かれたラジカセが“何者か”によって倒されました。
元々へし折れていたアンテナのせいで、ただでさえノイズだらけだった音が益々ひどく聴こえます。
ジーザザザーーー…と唸りを上げるラジカセを、ガリガリボリゴリ…と粉々に踏み壊す誰か。
SanSanラジオで放送中、『ケロケロケロンパの、今夜も君を離さNight!』リクエスト曲
『いつでも夢を』がラジカセと共に“殺され”ました。
“ゴリ…ゴリゴリ…”
ラジカセの破片を砕く靴の音に混ざって
“ガリ…ボリボリ…グチュ…”
何かを口で噛み砕く音が聞こえます。
やがてそれら2つの音は静かに静かに消えてゆき
“噛み砕く音側”はガタガタと震える様な音に変わりました。
ガタガタに、ミシ…ミシ…と近づく靴の音。
畳を踏みしめる、不自然な靴の音。
ガタガタ震える音が最高潮へと達したその時
ミシミシ音が消え
“ボゴッ!”
という鈍い音が部屋に響いて畳の上へと落ちました。
つけっぱなしのテレビがチカチカ、ストロボの様に倒れこむ何かを照らします。
出来事は全てスローモーションの様。
薄緑の畳の一部がジンワリ赤く染まってゆきます。
小さな女の子がぐったりと横たわっています。
女の子はピクリとも、動く様子を見せません。
女の子に寄り添うように男の子が2人全身を硬直させ真上を見上げてガタガタと震えています。
相当力んでいるのでしょう
両手に握りしめられた“骨や肉”のようなものがすっかりグチャグチャになっています。
子供達が見上げた先で何者かが笑いました。
「ヒュアッヒュアッヒュアッ」
下品な引き笑いです。
「“羊はん”のお肉、みぃつけた」
ガンッとみかん箱を蹴散らし片手に握られたスパナで三面鏡をガシャンッとやっつけた何者かの正体は
『フグさん便』本部長の『河豚田(ふぐた) タラヲ』その人です!
「“製造された肉”は上手に加工されて収まる所に収まらんといかんわ」
河豚田は震える2人の男の子の頭髪をムンズと掴み
顔を近づけ臭い息で“生きた肉を値踏み”するかの様につぶやきだしました。
「まったく、こんなんなるまで良う育ちやがって。
みずみずしさが失せてパッサパサになりかけとるわ。
これじゃ相当値切られるわな。
ま、『黒猫』はんトコならきっと高値で引き取ってくださるやろ。
ほなら、行こか?」
河豚田は男の子2人の頭を左右に振って
アメリカンクラッカーみたいに互いを思い切りゴツンとぶつけました。
「ひっ!」
という小さな悲鳴。
2人の男の子は声を殺して泣き崩れます。
河豚田が子供らを無理矢理立ち上がらせようとしたその時!
どこからともなく歌声が聴こえてきましたよ!
優しく懐かしく力強い歌声が!
まるでこの惨劇を包み込むかのように!
ゆっくりゆっくりと!
玄関からこちらへ近づいて来ます!
「♪さくらぁ…
胸のつぼみ開くわ
あなたへひらり舞い降りて
素敵な大人になるの
さくらぁ
お願いそっと受け止めて
少し背伸びしたわたしを
抱きしめてKISSして
Darling 今わたしはあなただけのもの♪」
ぐったりしていた女の子がピョンと起き上がり
歌声の主に向かって叫びました。
「おとうさん!」
お父さん!?
“主”が姿を現しました!
「その子達をこっちに渡しな!」
「お、お前…!?」
現れたるは!
“フグ柄”のスカジャンを肩で羽織り!
インナーには“毒”と書かれたグリーンの文字Tシャツを着込み!
薄茶色のチノパンはいてその下は裸足に雪駄!
伸び散らかった無精髭をたくわえて!
右手首にはパワーストーンの数珠!
グリーステッカテカ、オールバックでキメ込んだ!
まぎれもない!
「きゅ…九 官鳥(きゅう かんちょう)…!?」
そう、九さんです!
って、え?あれ?
九さんは…今、らーめん屋台『黒猫』にいる筈で…え?
ええ???
これって一体???
「おとうさん!」
「おとうさん!」
男の子2人も騒ぎます!
「アホぬかせ!ホンマのお父さんはワシや!」
ややこしや~。
「キサマっぽいやつが現れた思うたら、またキサマが現れて
どうなっとんねん!
ワシ、なんだかすっかりどアホになった気分やわ!」
本当、これ、九さんが2人って?
どうなってるの!?
「へっ!このエロ河豚野郎がっ!
地獄へ堕ちやがれっ!」
どうなってるのよ!!!?
“こっちの”九さんが河豚田に跳び蹴りかます所で
今回はストップ!
あれれれ?っとややこしい事は
次回以降へ続くのでした。
♪パララ~ララ
パラララララ~~~♪
街に夜鳴きの音(ね)が響く。
めけめけ~。
『らーめん放浪記』つづく。
(注)この物語はフィクションです。
写真。ラジオアンテナ。
〈3-(20)・助人〉
“「♪命かけてと 誓った日から
素敵な思い出 残して来たのに
あの時 同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心が 今はもう通わない
あの素晴しい 愛をもう一度
あの素バンッ!ザーーーーーーーーーーーーーーーーーザッーーーーーー……… …… …ビビビュッ…… ……」”
真夜中の
山口県下関市。
『フグさん便』の事務室のど真ん中で
『マリリン』が首を吊っていた。
……ところを
いきなり何者かに突き飛ばされた!
その拍子で倒れるラジカセ!
イカれたノイズが
ガシャンッ!
バンッ!ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー…
苦しみながらも
ラジカセの息が途絶えた…。
今さっきまで『ケロケロケロンパ』のラジオのリクエスト曲
『あの素晴しい愛をもう一度』を楽し気に奏でていたのに…
まさか大破するなんて、さすがのラジカセでも想像出来得なかった事だろう。
粉々になり床に散らばったラジカセの破片やコード類の横で
這いつくばり首をおさえゼェゼェと肩で荒い呼吸を繰り返すマリリン。
“生きている”
マリリンの自殺は阻止された訳だ。
身代わりの様に“お亡くなり”となったラジカセを見つめるマリリンから涙が流れた。
変にドロッとした汗も止まらない。
涙は止めどなく流れ落ち
瞬く間に這いつくばったマリリンの眼下の床を濡らした。
オエオエと詰まる喉、流れ続ける鼻水とヨダレと
そして、涙。
痛くて辛くて泣いているんじゃない。
死ねなかった悲しみや悔しさがマリリンを泣かせた訳でもない。
“嬉しかった”のだ。
死のうとしていて嬉しかったとはおかしな話だが
マリリンは今泣きながら生きている事への喜びを噛みしめていた。
自分の意思で
天井からぶら下がっているあのロープに首を任せた人間なのに
死に損なった人間なのに
今こうしてここで痛みを感じて喜んだりしているなんて…と。
まるで気の違った体であるマリリンは
なんのなんの、事のほか冷静だ。
事実マリリンは「ホッ」としていた。
しかし!
明らかに死のうとした自分
そう易々と簡単な素直さでコロコロ変わる感情を表に出すもんじゃない。
さっきまでの自分の感情に失礼だし可哀想だ。
それよりなにより、もっと立場が無いのは
今自分の後ろに立っている人…
そう、自殺していた自分を助けた“誰か”である!
マリリンはその“誰か”に失礼の無いよう
目一杯ひねくれて
“死ねずに恨めしい”感情を作り
“死にたそう”な表情で
悲しみの作り涙を流しながら振り返り思い切って叫んだ。
「邪魔シナンヘヨッ!」
感情がおかしく入り乱れたせいか、はたまた多少首を圧迫されていたせいか
マリリンの声はカツゼツが悪い間抜けな叫びになってしまった。
舌も上手く回っていない。
「邪魔しないでよ!」
と叫んだつもりの
「邪魔シナンヘヨ」
いっそのこと「邪魔サランヘヨ」だったら良かったろうに。
韓国語サランヘヨは日本語で愛しているの意味。
“邪魔”だけど“愛している”
その微妙で曖昧な加減はまさに今のマリリンにぴったり!
おあつらえむきな感情だろう。
しかし実際は
「邪魔シナンヘヨッ!」
そう叫んだマリリンは
ここではじめて目の前の“誰か”が“誰だか”を知る事となる。
マリリンの中途半端な自殺をくい止めたのは…
身も心もぐちゃぐちゃなマリリンの目の前に立っていたのは
職場の先輩であり人生の先輩でもある
仕事仲間の韓国人『金(キム)』さんだった。
マリリンの瞳に
顔面をクシャクシャに歪め
圧倒されるくらいの怒りパワーを顔全体から発した金さんの姿が飛び込んで来た。
ただでさえご老体でシワだらけの金婆さんの顔が
もっともっとしわくちゃに見えた。
そんな金さんの形相を見てマリリンは恐怖に震えた。
一方の金さんもまた震えている。
何故かマリリンは金さんから殺気を感じた。
金さんの震えは自分の行為に対する怒りの震えだと
そしてその怒りが過剰反応を起こし
殺気を呼んで今自分に向けられているのだと、そう思った。
平坦でない人生を送って来た金さんの
“生きる事”への強烈な執着心の現れに違いない。
金さんはマリリンの仕出かした行為が許せず
腹立たしさでいっぱいな筈だ。
命を拾って頂いて殺気とはこれ全くおかしな話だが
それくらいマリリンの脳味噌は自分の行為と感情と
金さんの登場と形相に着いて行けず混乱していたのだ。
実際の所金さんに大それた殺気などはなく
ただただ猛烈な怒りにうち震えていただけなのだが。
「邪魔シナンヘヨ…」
混乱した脳味噌がマリリンの口から再びカツゼツを奪う。
「邪魔シナンヘヨ…」
もはや同じ言葉の繰り返しだ。
震える金さんが口を開く。
「タメ!」
声は寝静まった事務室によく響いた。
“タメ”
“為”?“貯め”?“溜め”?
何の事だろう?とマリリンは思う。
「タメ!」
金さんも繰り返し。
事が事だけに
こちらも多少混乱しているようだ。
金さんは首を左右に何度も振ってまた繰り返した。
「…タメ」
言葉を切るようにマリリンが再び叫ぶ。
「邪魔シナンヘヨッ!」
もはや2人の会話は成立しちゃいない。
日本人でない2人が互いにとっての共通語である慣れない日本語を使って
無理矢理会話をしているからおかしいのか。
それだけではない。
互いが互いに混乱し、脳の回路の導線がとっ散らかってしまっているのだ。
「アナタ、イノキ、ムタ…ニ……
イノチ、ムダニ、スル
タメ!」
脳の回路を繋ぎ繋ぎ
言葉を選び選び
金さんはマリリンにゆっくりと語りかけた。
混乱が怒りを和らげ
少しずつ冷静さを取り戻してきたようだ。
ここへきてまだ自分自身に収まりのつかぬマリリンは
悪あがきとばかりに引っ込みつかん気持ちを金さんにぶつけた。
「邪魔“サランヘヨ”ッ!」
おかしな言葉が飛び出した!
「!?」
どうした事か!
マリリンのカツゼツが益々悪くなったではないか!
舌べろんべろんなのか!?
“しないでよ”が混乱のあまり“シナンヘヨ”になっていたまでは何とかやり過ごせていたが
ここへ来てまさかの事態
ついに、日本語で“愛している”という意味を持つ
韓国語の“サランヘヨ”にまで
言葉がめちゃめちゃに砕けてしまったではないか!
“サランヘヨ”…
最初の叫びの段階で
このまま混乱がエキサイトしてゆけば
マリリンの口は“しないでよ”をもっと複雑に言い間違えるのではないかと
何となく予測はしていたものの
いざ実際に彼女の口からその複雑に間違えられた言葉が出ると
これはこれで一層のおかしさと
気味の悪さとを同時に感じてしまう。
しかしその間違いは
せっかく冷静さを取り戻しかけた金さんを
再び混乱させる事となった。
「マリリン?
…サランヘヨ?」
金さんがつぶやく。
ドクンッ。
心の臓が弾けた。
気が動転した様子のマリリンを見つめつつ
金さんは想った。
ナニ?ナニナニ?
アタシャおかしくなっちゃったのかねぇ?
何故だか胸が高鳴るよ。
顔が火照るよ。
身体が熱いよ。
この気持ち、何だろう。
ドキドキとフワフワに
押し潰されそうだよ!
「スゥー…
アタシ…また赤ちゃん出来たヨ…。
ホンブチョー喜んでたヨ…。
アタシも…嬉しいヨ…。
嬉シイ…嬉シイ…。
可愛イ子だヨ…嬉シイヨ…。
可愛イ、可愛イとアタシは泣くヨ。
可愛イ、可愛イと泣くんだヨ…」
深呼吸をして
落ち着いた様な面持ちで
自分のお腹を撫でながら
マリリンはゆっくりと語りはじめた。
「アタシの赤ちゃん肉になるヨ…。
アタシ…ちっとも嬉しくないヨ…。
悲シイ、悲シイとアタシは泣いたヨ…。
悲シイ、悲シイと泣いたんだヨ…」
金さんはマリリンを見つめ続けた。
この娘は何を言っているのだろう?
一瞬そう思った。
マリリンの語りなど全く耳に入って来ない。
んなもの、どーでもいいのだ。
それよりなにより
自分の今の感情だ!
金さんは変にモンワリした気持ちに支配されていた!
金さんはこの高ぶった、おかしな感情で
いっぱいいっぱいなのだ!
胸に手をあてて
金さんは感じた。
この娘ったら…
“カワイイ!”
頬を“ポッ”と赤らめ
胸を“キュン”とさせる金さん!
金さんはレズビアンではない!
しかしこれは
長年生きて来てはじめて感じる感覚だ!
おかしな事になっている金さんの前で
マリリンは涙をボロボロ流しはじめた。
マリリンの涙の、何と美しい事だろう!
もう金さんの変な感情は止まらない!
「死ニタイと思ったヨ!
デモ死にきれなかたヨ!
生キテテ良カッタ!
生キテテ良カッタ!
生キテテ良カッタ!
生キテテ良カッタヨ!」
金さんの気持ちは暴走していた!
そう!
“サランヘヨ!”
と言われた瞬間
金さんの心は弾け飛んだのだ!
このわけの分からん状況に押され
切羽詰まった脳が感情を勘違いしはじめたのだ!
恐いドキドキが愛のドキドキとすり替わる!
恐怖と混乱と恋心は紙一重!
ジェットコースターの論理だ!
何だか分からない不確かな金さんの気持ちは
今ここで確信へと変わった!
金さんは以前からマリリンを気にかけていた!
マリリンが心配でならなかった!
だからこの夜も、何だか知れぬ胸騒ぎに迫られて
早々に仕事を切り上げて本社事務室へと戻って来たのだ!
そんなマリリンへの感情は
後輩として、人間として彼女を大事に思えばこそのものと考えていた!
でもここで今日はっきりと分かった!
この感情は“別物”であると!
生理の上がった婆さんが抱く感情ではないと
無意識のうちに封印していたのかもしれない!
マリリンの言い間違い“サランヘヨ”の呪文によって
金婆さんのその勘違いした封印が無理矢理解かれた!
金さんは
心の中で絶叫した!
“アタシャ
マリリンガ好キジャ!”
金さんはマリリンに駆け寄り
自らの自殺未遂の経緯を
泣きながら語り続ける彼女をギュッと抱きしめた!
「!!!?」
そして優しく包み込むよう何度も何度もシワクチャな手で背中をたたき
「サランヘヨーッ!サランヘヨーッ!
サランヘヨーッ!サランヘヨーッ!」
と今度は金さんがマリリンに向けて本気の愛を告げたのだった!
アタシがこの娘を守る!
そんな強い想いをも同時に抱きながら!
わけの分からぬマリリンは
突然の金さんのその行動に放心状態!
すっとんきょうな表情を見せるマリリンに金さんがくちづけて!?
「ぶちゅ~う!」
“カポンッ!”と金さんの入れ歯が落ちた!
照れくさそうに入れ歯を拾う金さん!
唖然とした表情のマリリン!
2人はとんでもない勘違いの末の
禁断のちょー年の差同性愛職場恋愛の泥沼に
ネップリハマっていくのだった。
一見華がありそな
けれども確実に不成立な
歪んだ闇の未来を
この時のマリリンはまだ知らない。
“「♪星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも歌ってる
声がきこえる 淋しい胸に
涙に濡れたこの胸に
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも歌バンッ!ザッザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー………」”
真夜中の
山口県小野田市。
木造平屋の『羊 命酒(よう めいしゅ)』さん宅。
つけっぱなしの14インチブラウン管テレビの上に無造作に置かれたラジカセが“何者か”によって倒されました。
元々へし折れていたアンテナのせいで、ただでさえノイズだらけだった音が益々ひどく聴こえます。
ジーザザザーーー…と唸りを上げるラジカセを、ガリガリボリゴリ…と粉々に踏み壊す誰か。
SanSanラジオで放送中、『ケロケロケロンパの、今夜も君を離さNight!』リクエスト曲
『いつでも夢を』がラジカセと共に“殺され”ました。
“ゴリ…ゴリゴリ…”
ラジカセの破片を砕く靴の音に混ざって
“ガリ…ボリボリ…グチュ…”
何かを口で噛み砕く音が聞こえます。
やがてそれら2つの音は静かに静かに消えてゆき
“噛み砕く音側”はガタガタと震える様な音に変わりました。
ガタガタに、ミシ…ミシ…と近づく靴の音。
畳を踏みしめる、不自然な靴の音。
ガタガタ震える音が最高潮へと達したその時
ミシミシ音が消え
“ボゴッ!”
という鈍い音が部屋に響いて畳の上へと落ちました。
つけっぱなしのテレビがチカチカ、ストロボの様に倒れこむ何かを照らします。
出来事は全てスローモーションの様。
薄緑の畳の一部がジンワリ赤く染まってゆきます。
小さな女の子がぐったりと横たわっています。
女の子はピクリとも、動く様子を見せません。
女の子に寄り添うように男の子が2人全身を硬直させ真上を見上げてガタガタと震えています。
相当力んでいるのでしょう
両手に握りしめられた“骨や肉”のようなものがすっかりグチャグチャになっています。
子供達が見上げた先で何者かが笑いました。
「ヒュアッヒュアッヒュアッ」
下品な引き笑いです。
「“羊はん”のお肉、みぃつけた」
ガンッとみかん箱を蹴散らし片手に握られたスパナで三面鏡をガシャンッとやっつけた何者かの正体は
『フグさん便』本部長の『河豚田(ふぐた) タラヲ』その人です!
「“製造された肉”は上手に加工されて収まる所に収まらんといかんわ」
河豚田は震える2人の男の子の頭髪をムンズと掴み
顔を近づけ臭い息で“生きた肉を値踏み”するかの様につぶやきだしました。
「まったく、こんなんなるまで良う育ちやがって。
みずみずしさが失せてパッサパサになりかけとるわ。
これじゃ相当値切られるわな。
ま、『黒猫』はんトコならきっと高値で引き取ってくださるやろ。
ほなら、行こか?」
河豚田は男の子2人の頭を左右に振って
アメリカンクラッカーみたいに互いを思い切りゴツンとぶつけました。
「ひっ!」
という小さな悲鳴。
2人の男の子は声を殺して泣き崩れます。
河豚田が子供らを無理矢理立ち上がらせようとしたその時!
どこからともなく歌声が聴こえてきましたよ!
優しく懐かしく力強い歌声が!
まるでこの惨劇を包み込むかのように!
ゆっくりゆっくりと!
玄関からこちらへ近づいて来ます!
「♪さくらぁ…
胸のつぼみ開くわ
あなたへひらり舞い降りて
素敵な大人になるの
さくらぁ
お願いそっと受け止めて
少し背伸びしたわたしを
抱きしめてKISSして
Darling 今わたしはあなただけのもの♪」
ぐったりしていた女の子がピョンと起き上がり
歌声の主に向かって叫びました。
「おとうさん!」
お父さん!?
“主”が姿を現しました!
「その子達をこっちに渡しな!」
「お、お前…!?」
現れたるは!
“フグ柄”のスカジャンを肩で羽織り!
インナーには“毒”と書かれたグリーンの文字Tシャツを着込み!
薄茶色のチノパンはいてその下は裸足に雪駄!
伸び散らかった無精髭をたくわえて!
右手首にはパワーストーンの数珠!
グリーステッカテカ、オールバックでキメ込んだ!
まぎれもない!
「きゅ…九 官鳥(きゅう かんちょう)…!?」
そう、九さんです!
って、え?あれ?
九さんは…今、らーめん屋台『黒猫』にいる筈で…え?
ええ???
これって一体???
「おとうさん!」
「おとうさん!」
男の子2人も騒ぎます!
「アホぬかせ!ホンマのお父さんはワシや!」
ややこしや~。
「キサマっぽいやつが現れた思うたら、またキサマが現れて
どうなっとんねん!
ワシ、なんだかすっかりどアホになった気分やわ!」
本当、これ、九さんが2人って?
どうなってるの!?
「へっ!このエロ河豚野郎がっ!
地獄へ堕ちやがれっ!」
どうなってるのよ!!!?
“こっちの”九さんが河豚田に跳び蹴りかます所で
今回はストップ!
あれれれ?っとややこしい事は
次回以降へ続くのでした。
♪パララ~ララ
パラララララ~~~♪
街に夜鳴きの音(ね)が響く。
めけめけ~。
『らーめん放浪記』つづく。
(注)この物語はフィクションです。
写真。ラジオアンテナ。
こんな事が起きてる最中
どこかでは人がたくさん殺されてたりして。
平和には裏あり
なんてなー(笑)
内容書き加えよう思ったら
もう読んでくれたんですね!
ありがとうございます!