はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

『らーめん放浪記』麺103 本目・猿蔵の場合。

2010年12月11日 17時34分21秒 | 連載書き物シリーズ
ワーーーーーッ!!!

『らーめんバトル』挑戦者がいっせいに麺を握った!
司会の『勝男(かつお)』が指で銅鑼を“チーン”と弾く。

「はじまりぃ~」


『らーめん放浪記』純情旅情編。


〈3-(49)・猿蔵の場合〉


山陰地方島根県出雲市。
一畑電鉄の出雲大社前駅より出雲大社へ向かう道から少し外れた小道の角に
風格と赴きある建物が佇んでいる。
老舗の出雲そば屋『いづもそばにいて』だ。

建物自体が歴史的建造物に見えちゃうくらい
濃ゆい焦げ茶に光り輝いた味わい深い造りの壁。
何があろうが微動だにせんだろう建物の梁と柱のイメージ。
そんな店舗の外見的風貌がこのそば屋の内面的心意気と相まって
絶妙な風味を醸し出している。
まさに“出雲のそばはここにあり”といった威厳だ。
なんちゅうか、格式高い感がある。

かといって店内は意外と“くだけて”いた。
いつでもそばにあってくれているような親近感をも感じる。
それはそれはたくさんの有名著名な芸能人や文化人スポーツ選手や政治家等の
サインや写真や記念品があちこち壁に貼りめぐらされ
言うなれば避暑地の“なんたらミュージアム”的雰囲気を醸し出している。
厳格なご主人にしちゃあり得ん事なのだが
実はこれ、みんなミーハーな奥様のご趣味。
堅物なご主人も奥様にゃメロメロってな家庭の縮図の現れである。

ただあれだ、それだけの数のサインが並ぶ店ってんだから
『いづもそばにいて』はあらゆる方面に於ても
全国的に知名度高いちょー有名店の証拠である。

溺愛するミーハー奥様がお願いしてもそれだけは譲れねぇと
マスコミ関係の取材は頑固に全て断り続けて来ていたご主人。
特に宣伝もせず、誰彼に媚びも売らず
ただただ黙々と来る日も来る日も伝統のそばを打ち続けて来ただけ。
ただそれだけで
売り上げと人気とそして店の気品を落とす事無く
ここまで愛さる店を維持し続けて来れたのは
やはりブレ無き味をお客が信頼しついて来てくれたお陰。
実績から来る確固たる自信の現れに他ならないだろう。

様々な弊害を乗り越え『いづもそばにいて』は夫婦二人三脚で走ってきた。
順風満帆と言や嘘になる。
やり方や味が時代に馴染まんと言われた事も確かにあった。
ご主人の頑固さを良く思わん輩から悪質な嫌がらせを受けた事も少なくない。
しかし『いづもそばにいて』は代々受け継ぐ伝統を
黙々とここまで繋いで来た訳だ。

最近じゃかなりの変化を遂げた新参者の出雲そば屋や
他地域より参入してきた麺屋などで
ここ出雲のそば土壌もだいぶ荒らされてしまった。
同じく出雲に根をはる歴史深いそば屋仲間達でさえ
ここにきて厳しさの重みに耐えきれず
やれ冷やし中華をはじめてみたり
やれカレー南蛮を出してみたりと
あれよあれよと邪道な路を突っ走りはじめていた。

しかし、ここ『いづもそばにいて』は違った。
受け継いだ出雲のそばたるものの姿勢を
頑なに崩そうとはしなかった。

神の宿る地元パワーの恩恵を受け育ったそばの実だけを贅沢に使用。
山陰の台地が産み出す岩盤から削り出した重厚で巨大な二枚石を合わせた石臼で
ゴリゴリと骨太な音をたてそばの実を挽いてゆく。
皮ごとあらびきしたそばは
まるで店の壁同様に黒く濃ゆい。
本来ならば何度も何度も篩にかけて、きめ細かな粉に仕上げてゆく所を
こちらのそばはそこまでしない。
あと一歩半で篩を止める。
盛り上がるそば粉の山を見て
こんな雑なもん、そばじゃ無ぇ!と吠えたてた料理批評家がいたが
ここのそばはこれ“が”良いのだ。

茹でたら瞬く間、周囲に香ばしいゆで汁の香りが迸る。
湯気が鼻をくすぐる。
そばの香りは強いの最上級だ。

独特に主張したそばに負けないくらい香ばしいだし汁。
そいつを“つける”のでなく“かけて”食べる。
漆で塗られた三段器に盛られたそばにだし汁をかけ食す
出雲そばでの食べ方の流儀の1つ、割子(わりご)そばだ。
『いづもそばにいて』はこの割子にこだわった店だ。

そばにはたっぷりの大根おろしとカイワレ
それに温泉卵となめこにかつぶし、ネギ、海苔をまんまこの順番にのせ
そこへだし汁を優しくかける。
これ、ここの流儀の1つである。

当然かけるだし汁にも相当なこだわりを持っている。
まるで鰻のタレが如く
先祖代々ここまで大事に継ぎ足し継ぎ足し守られて来たものだ。

全ての要素が揃いに揃って
出雲の、『いづもそばにいて』の
いついつまでも食べていたい
なつっこいこだわりのそばとなるのである。


先日
この店のご主人が亡くなった。


後継ぎ息子はいるのだが
頑固なご主人と対立して数年前家を出て行ってしまっていた。
葬式の日、母親の連絡を受け
その息子が帰って来た。
息子は家どころか出雲も飛び出し東京で刑事になっていた。
母親だけはその事を知っていたが親戚一同はまるで知らぬ。
後継ぎは彼、と当たり前のように決めつけていた親戚連中だ
当然みんなビックリたまげていたものだ。

実家へ戻り、息子として父の葬儀を立派に取り仕切った彼。
田舎のしきたり云々もあるからして
当然誰もが彼は暫く出雲にいるものと思っていた。
しかしなんのなんの
店の後も継がず、しかも初七日も待たずして
息子は葬儀が済むなりいそいそと出雲から山口県へと飛んで行ってしまったのだ。

親戚一同、なんて奴だと怒り狂っていた中
母だけはやたらに穏和で冷静だった。
母は仏の様な顔で
というより仏の真似をしたふざけた面構えでもって息子を見送った。
この時既に
母は息子が『いづもそばにいて』の看板を背負って
『らーめんバトル』にきっと参戦してくれるだろうと察していたのかもしれない。

過去の話
息子には息子の流儀があった。
小さな頃から店の手伝いが大好きだった息子。
両親は敢えて「そば屋の後を継ぐ」というレールを敷かず
子供の時分から“ままごと”感覚で
しょっちゅう息子を厨房に立たせていた。

「何々をせい!」と強制せずとも子供は自力で道を切り開いてゆく。
様々なチャンスやそのきっかけの為の手助けに両親はいとめをつけなかった。
子供を思い、自分らも子供にとって良い親でいたかったからだ。
だから息子は非常に積極的な子に育った。
明るく活発で親思い。
協調性に優れ、勉強も運動もよく出来た。

息子は色んな物事に興味を持つと同時に
親が作る『そば』というものに対する熱意も半端は無かった。
息子は息子なりに出雲のそばと、我が店の歴史とを探求し学習してゆく。
深く深くそばの世界へはまってゆく中で
息子はある1つの“流儀”を導き出していった。

息子はそれを
『いづもそばにいて』にとって
そして親父のそばにとって
最も活きたベストな食べ方なんじゃなかろうかと考えた。
そんな思いを日に日に深めてゆく事となる。
この食べ方を研究し、磨き、活かせれば
それは親父への一番の親孝行となるだろう。

いつか何処かに置き忘れて来た様な
この
何とも言えぬ懐かしく温かい食べ方。

身体も心も立派に成長した息子は
いつしか自分なりの確信へとたどり着く。

親父、これだよ!

しかしその考えは親子の決別を産む事となる。
息子が永きに渡り研究を繰り返し弾き出した方法は
親父が永きに渡り心の中で密かに最も“禁断”と決めつけ
自分のそば人生の中に於て断固避けて来た
「これは無い」方法だったのだ。

実は息子が導き出したまさにその方法を
修行時代若き親父は
先代、つまりは息子の祖父に強制させられていた。
しかし割子こそ我が店のそばと決して首を縦に振らなかった親父は
祖父からの拷問を受け続ける事となる。
如何なる拷問を受けようとも
親父は決して割子以外のその方法を認めやしなかった。

結局祖父は親父を認めさせられず
ギクシャクしたまま他界した。
深い深い溝を残して…。

親父がそこまで拒否したその食べ方
親父にとってその方法は
決して認められぬ邪の道となっていたのかもしれない。

何の因果か
息子が親父に近づけた!と思えた日
親父は息子を遠ざけ
拒絶した…。



「おぉっと!
これは“釜あげ”だ!
割子と並び出雲そばの代表的な食べ方のひとつ釜あげをらーめんに持ち込んだ!
島根県出雲市から参戦、出雲そばの老舗『いづもそばにいて』さん
茹でた麺を釜から器へ茹で汁ごと直にいった!」

半ば強引にこのイベントへ参加させられた上野の森署新米刑事『猿蔵(えんぞう)』
喪服にエプロンといった出で立ちで
ちょいと変ながらも、今やすっかり立派なそば屋の店長である。
司会の『勝男』が叫ぶ。

「この麺は!
そば粉に小麦粉を練り込んだのでしょうか!
何とも不思議なシマシマ模様の麺であります!」

猿蔵は汗だくで
一心不乱、バトルに没頭していた。
次から次へ麺を打ち、茹で、薬味を刻みながら
猿蔵は親父を思った。

親父、俺は
俺がまだまだ小さかった頃
ヨチヨチ歩いて親父と行った神在月の神社を
今でもはっきり覚えているぜ。
お参りをした帰り道
寒いと駄々をこねる俺に
参道のそば屋台で食べさせてくれたのがこれ
『釜あげそば』だった。
親父、夢中で頬張る俺に満面の笑みでもって
美味いか美味いかってただただ繰り返してたっけな。
小さな身体を温めるには1杯の釜あげが充分過ぎる程だった。
あたたかかったよ親父。
ヨチヨチ歩く家路で親父は言ってたっけ。
釜あげうめぇんだ
なんせ神さんの為の特別なそばなんだから。
親父
真面目過ぎる親父は
神さんに恐れおおくて
参道からだいぶ反れた土地で商いを営むうちの店が
神さんのそばを作るなんて恐れおおくて
そんな勝手なこだわりと思い込みが強すぎて
釜あげを頑なに拒否し続けていたんだろう。
親父
俺は知ってるぜ
親父が釜あげを
実は事の他愛していた事を。
ヨチヨチ歩きの小さな記憶が
親父の釜あげへのこだわりを映し出したんだ。
親父
俺を許せ。
そしてよく見とけ。
なんやかんや言っといて
ちゃんと親父をリスペクトした
俺が導き出した
俺と親父のオリジナル釜あげを。
親父!

「茹で汁からこの上品な香り!
これは…あ!蟹だ!
山陰の蟹です!
なんと松葉かに、間人かに、津居山かに3体を
用意された3つのズンドウそれぞれに投げ分け入れた!
各々蟹を別々な茹で汁へぶっ込んで贅沢に3種のだしをとっている!
たかが麺を茹でる湯
されど麺を茹でる湯
茹でながらにして麺にだしが染み入る!
魅せてくれますこのこだわり!
予め用意された3つの器のまた立派な事!
漆塗りの三段お重どんぶりとでも言いましょうか!
そこに少しだけ注がれたお醤油の嫌味無き香り!
これはもしや神の豆!
伝説の出雲大豆から作られたお醤油!」

猿蔵は鼻歌を歌う。
「♪さくらぁ
胸のつぼみ開くわ
あなたへひらり舞い降りて
素敵な大人になるの
さくらぁ
お願いそっと受け止めて
少し背伸びしたわたしを
抱きしめてKISSして
Darling 今わたしはあなただけのもの
……♪」
妙な落ち着きを感じた。

「3種の器に三蟹茹で汁で茹でられた3種の麺が分けてドサッと釜あげされました!
そこへ大根おろし・カイワレ・温卵・なめこ・かつぶし・ネギ・海苔が乗せられ!
出雲伝統の割子と釜あげがドッキングした様な
そばとラーメンがドッキングした様な
こりゃまた新しい摩訶不思議な『いづもそばにいて』らーめんの完成です!
まさに麺業界に於ての神憑り的芸術とでも言いましょうか!
いや素晴らしい!
身体温まって興奮冷め止まぬ私でございます!」

少しでも気を許せば
容赦無く飲み込んでいかれそうな歓声を浴び
猿蔵は鳥肌をたてながら涙ぐんでいた。

会場の隅
こっそり出雲から駆けつけて来ていた母親は
そんな息子の勇姿を見届けて
お茶目に小さくガッツポーズをキメるのだった。

いづも神がそばにいて
必ずあなたを見ています

ジャッヂ!


♪パララ~ララ
パラララララ~~~♪

街に夜鳴きの音(ね)が響く。


めけめけ~。


『らーめん放浪記』つづく。

(注)この物語はフィクションです。

写真。そば。


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4 コメント

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ラーメンもそばだ! (達ちゃん)
2010-12-12 11:48:38
蕎麦好きです。
ラーメンよりも蕎麦がいい。
いつも蕎麦がいい。
でもラーメンも好き。。。

そういや山陰地方って蕎麦うまいんですかね。
たっぷりの大根おろし蕎麦。
今二日酔いだし、食いたい!
返信する
達ちゃんさん。 (ばんぱく。)
2010-12-12 19:24:20
昨晩
博多泊のカプセルホテルの居酒屋食堂で
おっさんがざるそば大盛りとおにぎり2個食ってて
スゲースゲースゲーうまそうだったんすよね!
腹へった~(笑)
ラーメンは奥深い!
返信する
割子そば♪ (ぴゅあこ)
2010-12-16 17:07:00
おそばといってもその土地土地で、いろんな食べ方があるんだねぇ。
釜揚げ、おいしそう
割子も食べてみたい。
お蕎麦屋さんに取材に行ったみたいにさすが詳しいね。
ビックリ
返信する
ぴゅあこさん。 (ばんぱく。)
2010-12-16 18:40:29
多少適当
多少設定つくり(笑)
忠実じゃないよ。

出雲書いといて
そばは信州信濃か
東北のが良いな~。

多少お高めだけど
「山形そば」
をよく買って食べます。
うまい!
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