(サーバー容量節約の為、過去の画像を使用しています。画像と本文はアンマリ関係がありません、汗)
私は鼻の中とか耳の中とか色々かゆくなって、その都度かいていますが、この度そのかゆみをじっくり観察してみました。自己の内面を観察する南伝仏教のヴィパッサナー瞑想という瞑想の一環として行ってみました。
かきたいという欲望を取り敢えず抑えて観察してみると、何とか かかずにいられるなと思えてきました。さらにかゆみが強くなると本来は不快に感じて、かきたいという思いが強まるところ、観察中はかゆみが強くなっていくことが面白いと感じる意識が発生したことを発見しました。これはちょっと興味深いと思いました。かゆみという現象に対してかいて消滅させるという方法を取らずに観察するという、かゆみに対する「慈悲深い」!?方法を取った結果ですね、汗。
この出来事について今後の瞑想でも発生するかもしれないと思いましたが、このことを掘り下げるべきか放っておくべくかという疑問が湧きました。コロナ巣ごもりでこのことを質問する指導者は現在いないので、執着が増す可能性を考えて現時点では放っておく方が無難だと判断しました。この濁悪の世において、今後も何かしら課題を見つけてで瞑想を行っていければと思っています。
上の画像は、本文に対応する画像が無かったので、阿含経という最古のお経のお釈迦様の「無慈悲」な対応を描写した文の画像を載せてみました、汗。
「阿含経典シリーズ 増谷文雄・著 筑摩書房」