東海道四谷怪談幽霊の日が7月26日に制定された由来は、
1825年7月26日に江戸にある中村座にて鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が初演されたことにちなんで制定された記念日です。
東海道四谷怪談
元禄14年、江戸城松の廊下で吉良上野介に刃傷を起こした赤穂藩藩主・浅野内匠頭は切腹、赤穂藩は取り潰しとなった。
2カ月前に召し抱えられたばかりの民谷伊右衛門はこれがきっかけで再び浪人の身となった。
ある日、伊右衛門は湯女宿の湯女であるお岩と知り合い、同居生活を始める。
最初は仲睦まじく暮らしていたが、伊右衛門は吉良家家臣・伊藤喜兵衛の孫娘・お梅に気に入られ、婿入り話がその父親から持ちかけられると、身重のお岩の存在を次第に疎ましく思うようになる。
また、主君の仇討ちに一番乗り気だった同僚の高田郡兵衛が脱盟したため、伊右衛門自身の忠誠心も薄れていき、遂に伊右衛門は仇討ちをやめて婿入りし、お岩を手に亡き者にしようと企てる。
「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」
怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されている。
歌舞伎で何度か観たけど お岩が可愛そう 不憫で・・・
番町皿屋敷
牛込御門内五番町にかつて「吉田屋敷」と呼ばれる屋敷があり、これが赤坂に移転して空き地になった後、その一角に火付盗賊改・青山播磨守主膳の屋敷があった。ここに菊という下女が奉公していた。
承応二年(1653年)正月二日、菊は主膳が大事にしていた皿十枚のうち1枚を割ってしまった。怒った奥方は菊を責めるが、主膳はそれでは手ぬるいと皿一枚の代わりにと菊の中指を切り落とし、手打ちにするといって一室に監禁してしまう。
菊は縄付きのまま部屋を抜け出して裏の古井戸に身を投げた。まもなく夜ごとに井戸の底から「一つ……二つ……」と皿を数える女の声が屋敷中に響き渡り、奥方の産んだ子供には右の中指が無かった。この事件は公儀の耳にも入り、主膳は所領を没収された。
うらめしや~ 女の怨みは執念深い?ってこと?
路城に行ったとき「お菊井戸」を見た覚えが蘇る
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