かめのまちづくり

焼津でまちづくりについて勉強しています。私がまちづくりについて調べたこと、考えたこと、みんな読んでね(^^♪

イベント「ねぎ尽くしの会 中新田の地ねぎを食べつくそう!」を振り返ります! 4

2019年11月15日 | 在来作物
種はだれのものか

前回、私は種は個人の財産であるという話を書きました。そのことについてもう少し書きます。

焼津の在来作物はどの品種もほぼ一軒の農家さんで持っている。
そしてほとんどの方が高齢です。

どの方も素晴らしい作物を持っているからこそ、お歳を考えると次に誰が継ぐんだろうと思ってしまいます。

みなさん口にするのは、
自分は好きでこの作物を作っている。ただ、農業のこれからを考えると無理に息子や娘に継いでくれとは言えない。といった言葉。
やはりおせっかいだと言われても後継者を見つけたいと思ってしまいます。

私の頭の中にはかつてその土地にもっと根深くその作物が根付いていた時の情景が見えており、もちろんそこまで回復することは無理だと思われるけど、何か元の地域に還元できる形でと思ってしまう。

ですが、その土地の方だからといって誰でもいいわけではないのです。
よく私が「継いでくれる方がいなくて残念で…」という話をすると、イベントで町の人に分けて植えてもらえばとか、援農をといった話が出てきます。
しかし、一軒の農家で一作物の種がどれくらい採れるかといえばたかが知れている。まだ確実に畑じまいをと思っていない時点でその種は本当に命にも代えがたい場合もある。それを町の人にバンバン与えることはできません。
また、援農も然り。畑も農家さんにとっては大切なもの。自分の生活をずっと支えてくれたものです。たとえ体が利かなくなったとしてもその畑をどこの誰とも分からない人にいじくられるのを嫌う方もいる。

だから私は農家さんに度々お願いするのです。
「あなたの作る作物にはとても大きな価値がある。それを作っていたあなたにも価値がある。」作物が無くなってしまえば、その価値を知る人もいなくなってしまう。大切な種だというのは重々分かっているけども、ほんの少しでいいから、私が「この人」と思える後継者に種を分けてもらえないかと話をします。

ですが今までその肝心の「これという農家さん」を見つけられなかったのが私の力の無さ。
思いついたことと言えば、「これと言う農家さん」を探すために色々なところで在来作物を何故残したいのかという話をすることくらいでした。

思いは伝わるもので、ご縁をもらって何度か新聞にも取材していただきました。どの記者さんも私の思いを汲んでくれるような素敵な記事を書いてくれました。

ところがです。
ここで思わぬ刺客が!

記事が掲載され知り合いから「よかったね」「がんばってるね」と褒められ浮かれて数日、農家さんにお礼に行った時のこと。

「あんた 何度も電話したのに出なかったじゃないか!」と行った早々御叱りの言葉(多分高齢のおじいちゃん故電話番号を間違えたのではと思われますが…)。取りあえず事情を聞くと、新聞掲載後たくさんの人が「その種をくれ」と押しかけたというのです。もうそれは配慮が足りなかったと平謝りに謝りました。

新聞を見たからではないのですが、先日叔父も恐ろしいことを口にしました。

うちの叔父は焼津の在来の里芋のファン。それはいいのですが…
今年も里芋をたくさん買うつもりだという話題を振ってきたので、農家さんの体の調子が悪いのであまり買えないかもしれないという話と、もしかしたら近いうちに辞めてしまうんじゃないかと心配しているという話をすると、

「じゃあ、種芋もらっちゃおうかな?」

って言うじゃないですか!
腹が立ってやめてくれと言うと、

「だって畑やめるんだろ?種芋ぐらいいいじゃんか!」

こういう人に在来作物とは何か?絶滅寸前のこの作物をどうしていけばいいのか?という話を切々とするのは骨が折れます。
でも話ができるだけいい。
おじいちゃんの種を奪って(言葉が悪いですね)いった人達とは会うことすらできなかった。おじいちゃんにとっても、私にとってもとても貴重な種だったのに…

新聞などの紙媒体に思いが残ってくれるのはとても嬉しいことです。
以前、昭和の時代の新聞に掲載された焼津の在来作物の話を読んだことがあります。その作物をもともと作っていた方のストーリーや、一度衰退した後に復活した方の思いが書かれていてとても感激しました。
後々新聞記事を見た誰かがまた焼津の在来作物にもしかしたら興味を持つかもしれないと思うとドキドキします。

ただ、今僅かにしか種のないこの時点でまたおじいちゃんの時のようなことが起こったらと思うと正直ぞっとします。

                             続く




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