かめのまちづくり

焼津でまちづくりについて勉強しています。私がまちづくりについて調べたこと、考えたこと、みんな読んでね(^^♪

焼津の人々 第 1 回 横江誠人さん

2016年03月22日 | 焼津の人々

横江誠人

【profile】

和楽器の魅力に惹かれ、17歳の時に津軽三味線を習い始める。 2014年、ポーランドの日本文化祭に出演。その後、1ヶ月半ポーランドを放浪。 日本文化や地元焼津の魅力を改めて感じ、焼津の民謡「焼津節」の継承に現在取り組み中。

漁師たちのお座敷で芸者衆が踊りと共に唄い、また、まちののど自慢に、お祭りの景気づけにと、焼津の人々から愛され長く唄われてきた※『焼津節』。現在はほとんど唄われることのない名曲です。この『焼津節』を次世代に残そうとがんばっていらっしゃる若き三味線奏者 横江誠人さん。今回は、若い三味線奏者と『焼津節』とのかかわりについて、お話をうかがいます。

 昨年、モンゴルの方たちの前で『焼津節』を披露する機会があったんですが、終わった後、山の上から焼津のまちの灯を見下ろしながら、「ああ、ここまで来たなあ」とぼんやり思いました。

そんなエピソードを話してくれた横江さん。現在、焼津の各イベントにとひっきりなしに出演し、『焼津節』を披露していらっしゃいます。 

横江さんと『焼津節』との出会いは2年前。東北のように有名な唄が多く、日々民謡に触れることができる環境とは全くかけ離れたこの焼津で、津軽三味線奏者として、何か強みとなるようなものを探していた時でした。   

自分の生まれ故郷である焼津市に、焼津市ならではの唄があるとは知らなかったと横江さんは仰います。横江さんにとっては嬉しい出会いでした。 

横江さんは芸妓であるみやこさんから『焼津節』を教わっています。みやこさんは、『焼津節』を保存しようとがんばっていらっしゃる『正調 焼津節伝承会』のメンバーのおひとりです。

お座敷に芸者衆を呼び、漁師たちが『焼津節』を楽しむ。かつて漁業で潤っていた華やかな時代の風習は既になくなってしまいましたが、みやこさは、当時活躍していた芸者衆のおひとりです。おそらく、現在『焼津節』を弾いて唄える唯一の人なのではないかと横江さん。

「芸の道で生きてきたからか、顔がきりっとしている」

このタイミングでみやこさんに巡り合えたということも幸せだったと横江さんは仰います。

「お稽古の半分は、みやこさんとそのお仲間のお話を聞くことなんです。」そんな風に笑う横江さん。『焼津節』と触れ合うことで、みやこさんたちだけではなく、様々な方々から、様々な視点で見た焼津の話を聞く機会も増えました。 

加工業者の方が『丘もん』と呼ばれ、花形である漁師と区別される。いたる所で漁師の獲ってくる魚の恩恵に預かっていたまちならではのエピソード。海に漁船が着くと、伝馬船に魚を移して川をのぼり、川の脇にある魚屋に横付けて魚を納品する。まちの構造も、漁業ありき。かまぼこ屋根の市場には見渡す限りずらっと魚が並ぶ。規模が違い過ぎて、その時代を経験していないわたしたちには想像できない風景です。焼津の昔を知ることでまた、横江さんの『焼津節』の世界も深まってきます。

しかし、それを形にするのは簡単ではなかったそうです。

イベントでは、唄を唄ってくれるお友達とコラボして演奏したり、ご自分で弾き語りしたりしています。

「弾き語りはずっとやってみたいと思っていた」とおっしゃる横江さん。図らずも、『焼津節』と出会うことで、弾き語りに挑戦することとなりました。しかし、唄と演奏、自分で両方やるのはとても大変だったそうです。

『焼津節』は女性の曲。男性である横江さんにはキーが合わない。思った以上に声が響かない。演奏も、本来はお座敷で芸者衆が細竿で演奏する曲なので、まろやかでしっとりとした曲。高らかにかき鳴らすために作られた津軽三味線用の太棹の曲とは全く違う。

 大変な挑戦だなあとお話をうかがっていましたが、話している横江さんの様子はすごく楽しそう!「どうやったらオリジナルに近づけるのか」あれこれ実験することが面白いのだそうです。『音』というものへの横江さんなりの探求なのだと思いました。努力の甲斐あってか、「最近うまくなったなあ」と声をかけてもらうことも多いのだとか。

焼津の大切な宝物である『焼津節』。みやこさんと知り合い、また色々な人に話を聞いていく中で、時代の中で埋もれてしまった地元の大切な唄を掘り起こすことができた。そうおっしゃる横江さん。横江さんが色々な場面で『焼津節』を披露することで、私たちもまた自分のゆかりのある人たちが楽しげに唄っていたであろう『焼津節』に出会うことができます。いつかまた、まちのあちこちで皆が『焼津節』を口ずさむようになったら素敵だなあと、横江さんのお話を聞いていて思いました。 

物静かで淡々としゃべる横江さんですが、お話しする様子から、唄への、また三味線への愛情や情熱みたいなものを感じられます。これから横江さんがどんな『焼津節』にたどり着くのか、これからが楽しみです。

 

PS

ポーランドの方たちと交流があり、意外に国際的な横江さん。実際にポーランドでも演奏していらっしゃいますが、『焼津節』の披露はまだなのだとか。ぜひ、ポーランドの方たちにわが町焼津の『焼津節』を披露してもらいたいものです。

 

※焼津節 

昭和3年、北原白秋を選者に迎え、公募により集まった1,000あまりの歌詞の中から選ばれた歌詞に杵屋栄蔵が作曲。昭和初期の焼津独特の文化や風景、賑わいある水産業の様子、また方言などを色濃く残す、この隠れた名曲は、昭和40年代後半を過ぎたあたりから次第に忘れられ、今はほとんど唄われることもなくなりました。

焼津節

      三味線 横江誠人さん

        唄 青野みちのさん