テレビ番組で、新宿御苑を紹介していました。
その昔新宿御苑周辺では、その辺りを治めていた大名の名にちなんで「内藤唐辛子」とよばれる唐辛子が作られていたのだとか。江戸時代、ファーストフードとして流行りだした蕎麦の屋台などで使われるため需要があったんだそうです。
さて、番組では昔からの七味売りの口上も紹介。
「最初に入れますのは、武州、川越の名産、黒胡麻。
続いて、紀州、有田の名産、ミカンの皮の粉。
その次が、江戸は内藤 新宿 八つ房の焼き唐辛子。
それから入れますのは、東海道 静岡、朝倉の粉山椒。
さて、その次が、四国讃岐、高松の名産、唐辛子の粉。
それから、大和の国のケシの実。
そして最後が野州日光、麻の実。」
こんな風に産地を紹介しながら実演していったんですね。面白い。
何々山椒は静岡県のものなんだ…って「朝倉ってどこ??」
地名にはとても疎い私です。家族会議にかけてみました。
が、誰も「朝倉」の場所を知りません。
そこで、パソコンを広げてググってみました。
もちろん「静岡県朝倉」は見つかりませんでしたが、面白い話を見つけました。
家康にまつわる昔話。
天正8年新原。鷹狩りに訪れた家康を迎えたのは、七郎左衛門という百十五歳の百姓、八十六歳の息子、六十二歳の孫だった。びっくりした家康が長寿の秘訣を訊ねると、「毎日自家製の焼きみそに山椒を添えて食べております」と答えた。
その後、この者たちによって届けられた山椒を育て、家康は毎食山椒を食事に添えさせたという話が残っているのだそうです。
で、ここからが本題。
この話が噂となり、各地から山椒が献上されたとのこと。
兵庫県養父市のHPによると、「日本で最初に朝倉山椒の名称が古文書に表れるのは、慶長16年(1611)9月26日、駿府城の徳川家康に、但馬生野奉行の間宮新左衛門(まみやしんざえもん)が、朝倉山椒を献上した記録である」とあります。
ここから考えると、
七味唐辛子に使われたのは、静岡、朝倉で作られた粉山椒ではなく、家康に献上され、その後静岡県に定着した「朝倉山椒」なのではないかと思われます。
それが、伝言ゲームのように途中で間違って伝わり「静岡、朝倉の粉山椒」となったのでしょう。
面白い話です。
かくして「静岡県朝倉」は幻の地となりましたが、今もきっと朝静岡県のどこかで朝倉山椒が作られているのでしょうね。
焼津はしらすが獲れますから、上質なちりめんじゃこを扱うお店も多いですね。山椒が手に入る時期には私も必ずちりめん山椒を作ります。来年は、朝倉山椒で作ってみたいものだなあと思いを巡らす私でした。
そうそう、番組の本題、新宿御苑の「内藤唐辛子」が最近復活したのだとか。話の内容からすると、内藤唐辛子も在来作物ですね。またこちらも見に行きたい所となりました!