静岡市葵区羽鳥。藁科川左岸沿いの国道362号線(通称:藁科街道)と右岸沿いの県道207号線(奈良間手越線)を結ぶ「牧ヶ谷橋」の西、約200m。藁科川の中洲にある木枯しの森。
いわゆる東海道の本道からは北に外れている木枯しの森ですが、安倍川、藁科川を渡る際、比較的渡り易いこの辺りが東海道の官道として西へ東へと移動する旅人達に利用されていました。東海道を往来する上で重要な役割を担うこの地の所有権を巡って、羽鳥・牧ケ谷・山新田・建穂・産女新田が争っていましたが、服織村名主の石上藤兵衛(1724~91)の取計いにより、以後は羽鳥村に所属するようになりました。
かの清少納言も、この地を訪れたことがあったのかもしれません。『枕草子』の中で「森はうへきの森。岩田の森。木枯の森。・・・」とその素晴らしさを紹介したため、その後、「木枯しの森」という地名が、多く歌の枕詞として用いられるようになりました。
「木枯しの森の下草風はやみ人のなげきはおひそひにけり」(『後撰集』)
「君恋ふとわれこそ胸を木枯しの森とはなしに蔭になりつつ」(『古今和歌六帖』)
「人しれぬ思ひするがの国にこそ身をこがらしの森は有けれ」 (詠み人知らず『新後拾遺集』)
「消わひぬうつらふ 人の秋の色に 身をこがらしの杜の下露」 (定家『新古今和歌集』)
藤枝宿名物ほととぎす漬の復活、そして100%地元産のほととぎす漬を目指す私たちチームほととぎすが、木枯しの森、そして「木枯しの森」という地名を枕詞とした和歌に注目しているのは、「ほととぎす漬」という名前の由来としてこのような昔話が残っているからです。
昔、藤枝宿の一膳飯屋で流行っていた漬物を口にした旅人は、大の大人も涙を流すほど辛いその漬物の名前を店主に尋ねた。名前はまだないという店主に、旅人はこんな話をした。
前日通りかかった木枯しの森。夕暮れ時で、もの悲しくほととぎすが鳴いていた。
その声を聞いて思い出したのがこの歌だ。
木枯しや木枯しの森のほととぎす聞くたびごとに涙こぼるる
「そちの漬物、あまりに辛くて涙がこぼれたわい。よってこの漬物、「ほととぎす漬」としたらよかろう。」
「枕草子」の中にも出てくる「木枯しの森」ですが、私は見に行ったことがありません。一度見に行ってこなくては。
歌と縁のある木枯しの森に本居宣長撰文・佐野東州書による名碑「木枯森碑」(天明7年(1787)建立)、そして駿府の儒医で国学者でもある花野井有年の「ふきはらふこずゑのおとはしづかにてなにのみたかきこららしのもり」と刻した歌碑があります。
この二つの碑があるのが、「八幡神社」(通称「木枯八幡宮」または「木枯神社」)。長く羽鳥の地を護ってきた八幡神の御神体は、本地仏である阿弥陀如来立像(鎌倉時代)。この阿弥陀様ですが、残念ながら藁科川の水量が多い期間には参拝が不便ということで、今は羽鳥本町にある別宮に遷しているそうです。そこで、「木枯の森」に御神体を戻す祭が毎年旧暦8月15日に行われるようになりました。
現在では皆が参加しやすいように旧暦8月15日付近の日曜に行われるようになったこのお祭り、今年の開催9月9日とのこと。見に行ってみることにしました!
問合せをすると、前日に関係者が川を渡るための仮橋が掛かるとのこと。その日はスコールのように強い雨がざっと降り出しては日が出るを繰り返す変なお天気でした。水量も心配だし、お祭りの延期も考えられます。取りあえず下調べに行ってみます。
木枯しの森下の鳥居には旗が立てられ仮橋は既に掛かっているものの人影はなく、お祭りについて聞くことができません。
そこで、本町の別宮に行ってみました。
本町の別宮はお祭りムード。
看板が立てられ、鳩のかわいい提灯が飾られ、たくさんのお供え物が備えられ、氏子さんが忙しく働いています。お祭りは五穀豊穣・家内安全・町内繁栄を願うものであり、前日に前夜祭が行われることも分かりました。どうやら、お祭りは行われる方向で動いているようです。氏子さんたちに断って、お参りをさせてもらいました。
さて、当日です。
朝に少し渋っていた天気も回復!青空が広がります!お祭り日和!
お祭り2時間前に仮橋を渡って木枯しの森に着くと、八幡神社はまだ旗のみで準備すらされておらず、僅かなお祭り関係者とカメラ愛好家の人たちが集まっていました。
このお祭りは有名?
カメラ愛好家の人たちに話を聞いてみると、御輿行列が川を渡るお祭りは珍しく、格好の被写体になるのだそうです。
木枯しの森の大きな木陰と川原を渡る気持ちの良い風!蝉の声を聞きながら行列の到着を待ちます。
本当に川を渡るんだろうか…前日の雨のお蔭で川の色は少し濁っています。
行列は土手を辿り森の横まで来ると川原に降りて川を渡ってくるんだそうです。係の人がためしに川を渡ってみると、腰のあたりまででなんとか渡れそう!
水の流れが速いので、行列は斜めに川を渡ってくるとのこと。
行列は、お囃子を先頭に、4色の旗持ちの後に8人が担ぐ御輿が続きます。
今日もまだまだ夏の暑さが残っていますが、御輿は走りながら木枯しの森を目指すので、途中で休憩するそうです。この間、御輿の扉が開き、御神体である阿弥陀如来が現れます。木枯しの森へ行けない人たちがお参りする時間となります。休憩が終わると、一路行列は木枯しの森を目指します。
昔は行列の人たちは二十歳と決まっていたのだそうですが、今は町中の青年・壮年の人たちが総出で行列を支えています。
そして、14:22。遠くにお太鼓の音が!行列が木枯しの森に近づいてきます。
「わっしょい!わっしょい!」と叫ぶ白装束たちが御輿を担ぎ川原を降りてくると川原の中へ!掛け声は更に大きくなります。
10分ほどでしょうか、行列は流れを渡り中洲へたどり着くと、鳥居を通り頂を目指し、荷物を持った氏子さんや神主さんが続きます。
頂へ着いた白装束たちの足袋は真っ黒!ここまでの道のりが伺われます。
社に御輿が収まり阿弥陀様が現れ、社が飾られお供えが並ぶと太鼓が鳴り、儀式が始まります。
祝詞があげられ、お参り、神主さんのお話、そしてみんなでお神酒をいただき、粛々と進められます。涼しい風に乗って、黒い蝶がみんなの頭の上をひらひらと舞い、すごく神秘的!
儀式が終わると、お供物のおすそ分けがみんなに配られます。全く関係のない私までもらってしまった(笑)。うれしい!
阿弥陀様はまた御輿へと収まり、元の通りに社が片づけられて、行列は別宮を目指します。
頂に無事に着いて一息ついてしまったので、階段を下りる白装束はとても大変そう!その後また川を渡って帰っていきますが、御輿が川中でおろおろと傾くなんていうハプニングも!頑張れ白装束!
年に一度だけ社へと戻る阿弥陀様。川を渡るという迫力も含めて、とても神秘的なお祭りでした!楽しい体験でした!またもう少しお祭りについての詳しいことや、それからほととぎすのお話に出てくる歌の出所など調べてみたいなあ。
川の側道まで戻ると、橋の下にはバーベキューを楽しむ人たちが。そういえばほととぎすメンバーの寺川さんは小さい頃に橋から川へ飛び込んで遊んだと話していました。昔も今もみんなに親しまれる川なんですね。でも、中洲へと進む道はしっかりとしていず、木枯しの森へお参りに来る人は皆無なのだそうです。
「道がなければ来る人もいず、神社もすたれてしまう」
そこをどうにかしなくてはと待ち時間にお祭りの関係者の人たちが話しているのが聞こえてきました。氏子さんにとっては大きな問題です。
この神秘的なお祭りがずっと続いていきます様に。