かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

足利市の山火事が訴えていることは

2021-02-25 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2021年2月25日(木)

私は2016年11月1日のブログに下記のことを書いていた。

足利は日本国の生命の樹の重要な11番目のダートである

 私は、ヒカルランドでのセミナーの前日、足利市の名草の巨石群と浄因寺へと行きました。

行基や空海さま達が行った足利は、私が教えられた日本国の生命の樹の11番目のセフィラである重要なダートに位置する場所だったからだと思っています。

あの世とこの世がつながる場所、それがダートです。

又、その足利の名草の磐座群と岐阜の日月の山から同距離にある奈良県の三郎岳

行道山の浄因寺と日月の山からの同距離にある大阪府の交野山との関係性など重要な場所と対比させて祈っているようです。

浄因寺の寝釈迦もコンパスグラスで西へ263度方向を見つめていました。

この方向はあの世へと旅立たれた初代大王イエス・キリストや、その血を受け継ぐ卑弥呼の墓など山頂に眠る王家の陵墓の方角を見つめていました。

足利は重要な位置にあって、その地に足利学校があったのも納得できる話だと思っています。

足利市は素晴らしいきれいな街でした。

 

 

私は、2016年10月29日(土) 足利市へと行った。

それは、行基や空海さま達の思いに駆られたからである。

夜空を焦がし燃え続ける炎は、先人達の怒りの炎に思えて仕方ない。

祀るべき山(御霊)を崇め祀らなければ、祟る!と先人達は教えてるのに・・。

素戔嗚尊(モーセ) 大国主命(イエス・キリスト) 卑弥呼 

蘇我入鹿 天武天皇 天智天皇 藤原鎌足 藤原不比等

光明皇后 桓武天皇 嵯峨天皇・・などなど、そして空海。

これらの素晴らしき御霊を持った現人神たちの本当の墓は、全てに祀られている。

この国を率いる長たちは心せねばならない。

それらの御霊は、その存在を認めてもらうまで益々、火を呼び水を呼び大地を揺るがし人々に訴え続けるだろう。

 


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足利尊氏も後醍醐天皇を敬い、桓武天皇を崇め、イエス王家の方々の御霊への感謝の念を欠かすことはなかったのでしょう

2018-10-25 11:19:48 | かごめかごめの真実とは

2018年10月26日(金)

 後醍醐天皇が亡くなった後、足利尊氏が後醍醐天皇を弔って京都に造営したのが天龍寺

その天龍寺の磁北に桓武天皇の亡骸をいれた高雄山(428.4m)があります。

そして真北には、嵯峨天皇(第52代)陵があります。

この天龍寺と後醍醐天皇陵とほぼ2:1:√3という直角三角形を描く場所に、イエス・キリスト終焉の地があります。

偶然でしょうか。

後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓と、イエス王家の陵墓である天神山も同じような三角形を描いています。

偶然でしょうか。

これらの事実から足利尊氏も、桓武天皇の墓も、イエス王家の陵墓も、イエス終焉の地も知っていたということが言えるのではないでしょうか。

後醍醐天皇の時代これらは既知の事実として、天神山でも桓武天皇の墓でも皆が、弔い祀っていたとうことでしょう。

いつの世も天皇は、国民を代表してご先祖の御霊を護り、そのサポート役として天皇の代わりを果たすのが、政権の長の務めなのです。

間違いなく徳川政権の世までは確実に引き継がれてきました。

でも・・今はどうなのでしょう。

卑弥呼は、大王イエス・キリスト(大国主命)の陵墓や、王家の方々の墓守が女王としての務めでした。

国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里(現在の生野、神河町)で、政治政体は奈良纏向でした。

もうそろそろ邪馬台国論争の呪縛から目を覚まさなければ、皆さんの立派なご先祖様たちが嘆き悲しまれることでしょう。

先人先輩諸氏が幾何千年もの時をかけてこの大地に残したものを現代の世は途絶えさせようとしています。

先日、女子駅伝での壮絶なシーンを見せつけられましたが、スポーツとしてのマラソンではストップさせるべきでしょうが、国事国体としての代々の大王、天皇の御霊を祀り崇めることは途絶えさせてはなりません。

西欧の一神教とのかかわりで、その事実を隠ぺいしてはなりません。

もし今のようにタスキを渡すことを止めるのであれば、二度とこの国が、人類が立ち上がることのできないような状況はもうすでに用意されていることでしょう。

 


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足利市にある厳島神社の巨石と織姫神社は、三郎岳を教えていました

2016-11-02 11:54:21 | かごめかごめの真実とは

2016年11月2日(水)

足利市からコンパスグラスで30度方向にある蔵王に三郎岳があります。

この三郎岳は、奈良県にある三郎岳と同じでベンチマークの山のようです。

行基や空海さま達は、足利の地から三郎岳の方角に祈りをささげているようです。

   

下の磐座は南北を示し、上の石はコンパスグラスで30度の方角の重要性を教えていました。

ちなみに、弁慶の割石は東西ラインを示していました。

織姫神社で手を合わせると、これもコンパスグラスで30度方向に手を合わすようになっていました。

又、反対の210度ラインの先に椿と言う集落があることを私に教えます。そこには神戸と言う集落も・・。

その地点から蔵王の三郎岳と奈良の三郎岳までの距離は全く同じです。 何かを教えているようなのですが・・・!?


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足利は日本国の生命の樹の重要な11番目のダートである

2016-11-01 13:24:45 | かごめかごめの真実とは

2016年11月1日(火)

 私は、ヒカルランドでのセミナーの前日、足利市の名草の巨石群と浄因寺へと行きました。

行基や空海さま達が行った足利は、私が教えられた日本国の生命の樹の11番目のセフィラである重要なダートに位置する場所だったからだと思っています。

あの世とこの世がつながる場所、それがダートです。

又、その足利の名草の磐座群と岐阜の日月の山から同距離にある奈良県の三郎岳

行道山の浄因寺と日月の山からの同距離にある大阪府の交野山との関係性など重要な場所と対比させて祈っているようです。

浄因寺の寝釈迦もコンパスグラスで西へ263度方向を見つめていました。

この方向はあの世へと旅立たれた初代大王イエス・キリストや、その血を受け継ぐ卑弥呼の墓など山頂に眠る王家の陵墓の方角を見つめていました。

足利は重要な位置にあって、その地に足利学校があったのも納得できる話だと思っています。

足利市
は素晴らしいきれいな街でした。

 


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行道山浄因寺の寝釈迦は、兵庫県生野、神河町の聖地を向いていた

2016-10-31 13:46:27 | かごめかごめの真実とは

 2016年10月31日(月)

 昨日30日(日)のヒカルランドのセミナーには沢山の方々に来ていただきました。

本当に有意義な思い出に残る一時でした。 

皆様に感謝しています。

又、ヒカルランドの石井社長はじめ、スタップの皆様にも感謝しています。

これからも よろしくお願いいたします。  上森三郎

・・・

28日(金)東京駅で打ち合わせの後、栃木県足利市駅へと行きました。

駅に着いた夜10時過ぎ頃には雨も止んでいました。

そして29日朝には、足利市は綺麗な青空の清々しい天気でした。

駅前でレンタカーを借りて、9:30過ぎに千葉から来られた川辺さんが助手席に乗って、いざ目指す名草の巨石群へと行きました。

                     

弁慶の割石は、見事な方位石でした。 割れ目はキッチリと東西を教えていました。

川辺さんと、テラファイトを水に浸けて実験をしました。

最初風は吹いていませんでしたが、なんとも言えない清らかな風が吹き出しました。

んん~~ん、いつまでもいつまでもその風に浸っていたい気持ちでしたぁ。

・・・

名草の巨石群を見て山から下りてきて、出発する前にマスの塩焼きと味噌おでんで腹ごしらえをして、それから目指したのは行道山浄因寺でした。

行道山浄因寺の寝釈迦は、兵庫県生野、神河町の聖地を向いていました。

行基や空海さま達は、足利の地からも世界の聖地、生野、神河の卑弥呼さんやイエス様の陵墓や、その先にあるマリア様の陵墓を寝釈迦たちに守らせているようです。

後、織姫神社と足利学校を見て、夕方5時には車を返すことができました。

川辺さん、ありがとうございました。 感謝しています。

           

 

 


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名草の巨石群(足利市)は重要なベンチマークポイントです

2016-10-29 07:07:07 | かごめかごめの真実とは

2016年10月29日(土)

 今日、ジャスト12時に名草の巨石群(足利市)で手を合わせます。

 


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足利氏は知っていた! マリア様のお墓と、真理谷と言う地名の関係

2016-09-22 09:23:00 | かごめかごめの真実とは

2016年9月22日(木・秋分の日)

「千葉の木更津市に真理谷(まりあつ)と言う地名の場所があります。
 そこに真理谷城と言うお城があります。
 1400年頃に足利氏の命を受けて、武田信長と言う方が建てられたそうです。
 岡山にある、マリア様のお墓と何か関係があるのでしょうか?」

・・・

と、私がマリア様の生誕(9月20日)の日の前日に阿吽山房へと行くその前の日に、上記のような文章を、亀さんの会員交流ページに見つけました。

「これは何かあるに違いない」と国土地理院地図で調べてみると・・。

なんと!! 凄い発見です。

それで下記のように書き込みました。

 

Re:木更津に真理谷(まりやつ)と言う地名が

 

日付: 2016年09月18日 | 投稿者: 重大な発見です!

 

川辺さん重大な発見のようです。
先ず日本海側で大事なベンチマークマウンテンの宝達山と岡山のマリアの墓と、真理谷城が二等辺三角形を描きます。
そして、日本建国のカバラ図と重ね合わせると重要な一致が、鹿島神宮と王冠にあたる竪破山との関係が見事に浮かび上がり、

日本建国のカバラで大事な大事な11番目のダートに位置する足利の文字がそこには在ります。
偶然ではなく、行基・足利氏たちは、日本の本当の歴史をよ~~く知っていたとしか思えません。
素晴らしい発見です。
亀さんのブログの方に図を乗せますので確認してください。

 

 
・・・
    
 
 
 
 
 

 


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日本建国の生命の樹

2015-12-16 17:33:59 | かごめかごめの真実とは

2015年12月16日(水)

 倭国大乱後、卑弥呼を共立してスタートした邪馬壹国(邪馬台国)の前の日本建国の生命の樹が浮かび上がりました。

この建国プランによると、王冠の場所が竪破山(たつわれさん)で、中心になる美しい都ティファレトは岡山県備前市です。

そして11番目のダートの場所が栃木県足利市で、関東の高野山と言われる行道山が意味ある山のようです。

全て自然が配置した霊峰霊山や磐座と古墳などがそれらが重要な場所であることを教えています。

邪馬壹国(邪馬台国)時代の国事国体の宮は生野、神河町(兵庫県)で、政治政体の都は纏向でした。

しかしその前身の初代大王大国主命の理想国家建設の設計プランでは、岡山県備前市を中心に国造りが行われたことを生命の樹は教えています。

そしてこのことも空海様はご存じでした。


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