歴史も知らない、今まで一切、魏志倭人伝なるものも読んだことがない私が、それを読んで、女王国との境界を解釈して近畿地方の地図に素直に線を引いてみました。
そうしたら・・・ 描き出された女王国とは・・・
但馬、丹後、丹波、摂津、大和 と繋がった国土になりましたね。
邪馬国(京都府、京都市北部、亀岡、園部、丹波高地)の台になるから邪馬台国・・??
女王様は但馬で祈り事をやっていたのかな・・??
福岡から福津(津屋崎)、福津から船で行くこと20日で、鶴島、亀島を両サイドに観ながら港へ滑りこみ、惣堂神社(大門)でご挨拶をしてそこで一泊。そこから船で行くこと10日で西宮の港へ。 そこから山また山を越えて1ヶ月で但馬の地、生野へ到着します。
西宮の由来は・・? 女王国が、、西の宮 東の宮に国が分かれるような地形になっていて、女王は西の宮に居て、そこへの入り口だったので・・西宮 ?? 意外とそうかもしれません。そして福の神「えびす様」の総本社でもある西宮恵比寿(えびす)がこの地にあるのも、そのような歴史を教えてくれているようです。
福の神「えびす様」はどこからやって来ていたかと言えば、 釜山から船に宝物を積んで、対馬 それから 壱岐を通って、西の鎮の地 鎮西に呼び込んで(呼子)、福吉(前原) そして福岡、福津(津屋崎)・・そこから20日で福山(大門)、 そこから10日で福の神「えびす様」は福の神の総本社西宮へやって来てたようですね。 誰もがえびす顔になる福を運んでくる宝船のルートが、女王国へのルートだったようです。そして、西宮から福知山を通って1か月かかって女王が住むシオン(聖地)に到着します。
生野の史実では、昔は 死野と呼ばれていたと言うことです。
死野・・、シノ ・・ シノン ・・ シオン ・・ そうです。 聖地と呼ばれていた時代が確かにあったのです。 ある時期、天皇の命により死野から生野とよばれるようになったということです。
奈良の纒向は、邪馬台国の首都ですね。
そしてそして・・、不思議ですねぇ、今日も空海様が教えてくれました。
「姫宮神社と橿原神宮を結んでみなさい。そして、大龍寺(再度山)まで線を引いてみなさい。また、能勢妙見山へも・・」と。・・ひぇ~~!! ですね。 ゾォ~~~!! ですね。
空海様は今でも大龍寺の亀石のところで立って居られると信じている私ですが、まちがいありませんでしたね。 見守っていますね、皇様たちを・・・。
橿原神宮が神武天皇のお墓でしたら・・、姫宮神社は女王卑弥呼のお墓・・!? いえいえ、もっと凄いどんでん返しがありそうです ひぇ~~~~~~~
・・・
2012年7月9日 卑弥呼のお墓を探査レーダーで調べると・・
2012年11月7日 ちょっと整理してみました
2013年1月18日またまた邪馬壹国としてまとめてみました