2019年5月6日(月)
藤原不比等公千三百年遠忌は、神仏習合で行われました。
我が国の本来あるべき姿です。
そしてその容は、世界市民が目指さなければならないものです。
神仏習合は実に素晴らしいものです。
2019年5月6日(月)
藤原不比等公千三百年遠忌は、神仏習合で行われました。
我が国の本来あるべき姿です。
そしてその容は、世界市民が目指さなければならないものです。
神仏習合は実に素晴らしいものです。
2018年12月22日(土)
武部さんは宍粟市の宝珠岩から大阪府太子町の「神山(コウヤマ)」が気になると言っています。
宝珠岩から正福寺までと赤穂の宝珠山までとは47㎞と同距離で、それで私はメッセージと思い、赤穂の宝珠山から神山までと御神山までの距離を測ってみると、117㎞と同距離です。
不思議な感覚です。
宝珠山と正福寺と御神山の三点を結ぶと、54度 36度 90度の正五角形の一部となる直角三角形を描いていました。
それで、その三角形を元に正五角形を描きだすと、即座に正福寺と宝珠山とのラインで御神山の対照地点を求めると、なんとそこには「行基の墓」がありました。
宝珠山から御神山までの距離も、行基の墓までの距離も同距離で、「えっ!」と驚きです。
そして高知のポイントには、今は在りませんが、地名としても残るぐらいの行基が創建したという「円行寺」があったことを知ることになりました。
御神山と行基の墓との間には宝珠山があり、この宝珠山から神山までとの距離はみな同じで、宝珠山のすぐ下には、秦河勝の墓である生島が綺麗に眺められる宝珠山妙見寺があります。
ここのお寺は行基の開基で、空海様も来ている大事な場所で、神仏習合時代は宝珠山麓に鎮座する大避神社の神宮寺でもあり、同神社と祭神である秦河勝とは縁が深い寺であったとのことです。
そして、建物の蛙股には東西南北の方角に合わせた十二支の彫刻が目を楽しませてくれます。
ここから眺めることの出来る瀬戸内の眺望は、生島、宝珠山霊場、大避神社と併せた坂越のパワースポットとして注目されているようです。
私以前、市川慎さんに妙見寺に連れて行ってもらいましたが、そこから生島や瀬戸内を眺めていたら、秦河勝と行基と空海さまは同じ血筋だと響いてきました。
2018年8月12日(日)
表は寺院。裏に廻れば神社。
それも立派な彫り物。超意味ある彫り物。
「矢野さん、あの剣を持った方は誰ですかぁ」と私。
「鍾馗(しょうき)でしょう」と矢野さん。
先人達は彫り物に意味を持たせていましたねぇ。
鯉は誰でしたかぁ・・。
大黒様は誰でしたかぁ・・。
チーム上森の皆さんはこれらの意味をよ~~く知って居られます。
でももう御一方加わりますよ~。
鍾馗さんもだと言ってますよ。
鍾馗さんは剣を持っていますが、剣を持った方で有名な方は不動明王でしたね。
このお方は本当にいろんな呼ばれ方をされています。
月光仮面はだれでしょう!スパイダーマンは誰でしょう?・・と、いうレベルではありませんね。
本当に世界の大スター、スーパーヒーローなんですね。
さぁ~答えは誰でしょう・・。
次、試験に出ますよ~!
答えはね、ここの木山寺へ行けばホラほら、キツネさんが厨子の前にいらっしゃいますよ。
キツネさんは、誰でしたか。
では厨子の中の仏様も、そして・・神社でいえば奥宮に居られる神様も・・同じ人だと言って居られますよ。
誰がって? ・・ もちろん空海様ですよ。
1000年以上、空海様からしたら1200年も前から神仏習合だったのです。
日本の文化は素晴らしい!
日本の歴史は素晴らしい!
日本人って素晴らしい!
木山寺と木山神社の位置関係からも寺院と神社の関係を教えていました。
木山寺は凄い! 空海様は凄い!!
子ぎつねコンコン山の中~~山の中~~。
ああ~~怒られます、大狐さんでしたね。
大狐さんは山の中にお眠りになって居られましたねぇ。
誰も来ん来んと言って居られましたので、皆さんで行きましたねぇ。
一番乗りは武部さんでしたね。
2016年6月28日(火)
ツアーの集合場所は新大阪駅の千成びょうたんの前でした。
私には、「千成」と「ひょうたん」が妙に懐かしく思いました。
この物語の最初のころに、千ヶ峰の霊能者の女性Iさんが空中から突然「千成」と書かれたコインが出てきて・・、と言われて、その写真を「上森さん、持っててください」と言われ、
又、その方と大王岬に行くとき、京都で待ち合わせ場所に指定されたところが豊国神社で、その神社は豊臣秀吉を祀る神社で、そこも千成びょうたんがありました。
そこから豊臣秀吉の財宝が隠されている大王岬のとある島を見つけに行ったりしたことなど思い出します。 その島を大きな大きな龍神がとぐろを巻いて守っていると、謎の女性、筒井翼さんのことなども思い出しました。
最初のころ「千成」は、トセーで、取り出せ!祀れ! という二つの意味があるヘブル語だと教えられ、空中から「千成」のコインが出現したという出来事は、目に見えない世界からのメッセージだと私は受け止めました。
それからどんどん不思議な世界へと誘われていきました。
このようなことで、朝から何か起きる予感がしていました。
矢野さんが予約していた昼食会場の名が「鶴喜そば」で、折鶴の庭もあったりして・・と。
最澄さまがお生まれになった生源寺の隣にある大将軍神社で、「金龍が現れて空に登っていきました」とHさん。
「エエ~~、そうですかぁ!」と、私。 そこの神社には精霊や小人や龍神も住み着いていても不思議でないような、滋賀県指定自然記念物の見事なスダジイの存在には圧倒されました。
推定1300年と書かれていても疑わないような気もしました。
そこから、勢いよく水が流れる溝と瀟洒な塀を見ながら日吉大社へと、大勢の御一行様が上がって行かれました。
その日吉大社で、境内の大きな案内看板が目に入りました。
そこで藤田さんが、「アゲハチョウが・・、アゲハチョウが飛んでる」と声を上げて居られるので、アゲハチョウを見ると・・・。
なんと、そのアゲハチョウは、看板に描かれた2ヶ所の建物にタッチアンドゴーでサインをくれたので、その場所を見ると・・、宇佐宮と白山宮でした。
境内はあまりにも広すぎて時間もないので、アゲハチョウさんは、この二か所だけは行ってほしいと言ったようで、私はその2ヶ所だけに行くことにしました。
その宮へ行くと、2人の姫神が祀られていましたね。私には、初代女王卑弥呼と二代女王神功皇后とを祀っていると聞こえてきましたが・・。
神仏習合の信仰を表す「合掌鳥居」とも呼ばれる独特の形の山王鳥居。
私はアゲハチョウさんが教えた 白山宮 宇佐宮 2ヶ所の宮だけを注視しました。
皆さんが境内を見歩いてバスにもどると、雨がポツポツと降りだしてきました。
でも大きく崩れる天気ではなさそうでした。 今日は一日晴れの気配だったので傘は持って行っていませんでした。
そしてそこから45分ほどかかって山頂の第一駐車場に着くと同時に猛烈な雨。
最澄さま達お出迎えの皆様方が、こらえきれずに大勢さまが大粒の涙を流されたようでした。
そこで武部さん、「この雨はすぐに止みますよ」と、スマホの天気情報を見せてくれましたが、本当に山頂だけに雨が降ったようでした。
本当に武部さんが言ったように雨はすぐに上がって、一切ホコリが立たないように、丁寧にもう一度打ち水されたようでした。
雨が上がるのを待った数分のバスの中で、あることを私は話しました。 それは・・、空海さまと最澄さまの溝ができていた重大なことがらだったと思っています。
1200年ぶりの再会を果たすためには、最澄さまにそのことを伝える必要が空海さまにはありました。
最澄さまもやっと空海さまに教えてもらったのでした。 その瞬間、 雨は嘘のように上がりました。
このことは、亀さんが詳しく教えてくれるでしょう。・・でも100%教えてもらえるかは定かではありませんが・・。
バスの近くまで大勢のお出迎えの方々が、来られたようでした。
ビックリ仰天の様相でまたまたHさんが私に伝えてくれました。
「もう大勢の方々が来ておられますよ、大勢の方々が・・見える見える・・沢山の方々が・・」と。
最澄さまの御命日に、空海さまからすすんで1200年ぶりに比叡山で再会を果たされたようです。
根本中堂で最澄さまの心を汲み取られた空海さまは、私に胸の内を語られたようでした。
京都駅で皆様とお別れした後、少しだけ喉を潤すこととなりました。
その席には間違いなく空海さまが居られるのを強烈に感じていた私でした。
祈念撮影をとお願いした店員さんが、「いいですかぁ」とカメラを構えた後ろに大きな一文字が目に飛び込んできました。
6月26日 最澄さまのご命日でした。
6月24日 は、弟の命日。「良かったな~空海さまの弟子にしてもらったんだな」と、弟に言ったことがある私です。
6月24日には、私が関西に出てきてから、よ~くお世話になった照子おばさんが亡くなられ、
前日25日には御通夜に行ってた私でした。
「告別式には出れませんが・・」と言って、おばさんと最後の別れをした私でした。
いろいろな思い・・。
でも強く感じたのは、やはり空海さまでした。
1200年ぶりに・・・。 空海さまも・・・ 最澄さまも・・・
あなたに会えてよかった と、自然と肩を抱き寄せあって居られたました。
2016年4月26日(火)
初代大王イエス・キリストの墓は、大々的な陵墓と、地域の人達の陵墓と、王家の人達の陵墓と三つ存在していました。
その三か所が下記の地図に記された場所です。
中央の御方はいったい何者でしょうか。
そろそろ神仏習合と全世界宗教宗派の融合の時のようです。
DNAは真実の情報を確実に語り継いでいるようです!
前中国国家主席 胡錦濤 の書がどうして日蓮大菩薩を祀る御方の所にあるのか。
そしてこの書と共にこの方にプラチナのとある角印が渡されているのか。
そうそう、この方のところに大きな大きな勾玉もありましたねぇ。
白っぽく元気がなかったので、テラファイトを丁寧に何度もかざしましたら、みるみる濃いグリーン色に輝き出しました。
勾玉の目の淵は、クロスにクロスの模様でしたね。
この御方のところには、剣や鏡もありまよ!
↑ の御方は、日蓮大菩薩さまです。
日蓮さまが書かれた素晴らしい書体と同じ字体で彫られた立派な石柱が隠されるようにして私的な陵墓にある神社の建物裏にありました。
本物には魂が宿っています!
空海様や最澄様、日蓮様達 は、本当のこの日本の歴史や、初代大王イエス・キリストが何処でどのように祀られて来たかを全て御存知でした。
でも今、聖なる場所の陵墓に誰一人御参りされていません。
この国を創建された王家のDNAは誰が受け継がれたのでしょうか。
私達全国民は、少なくとも2000年前までご先祖様を遡れば、
初代大王大国主命=イエス・キリスト=大己貴命(おおなむちのみこと)=神武天皇にそのDNAは行きつきます。
大事な大切な貴いご先祖様の陵墓へ行って手を合わさないで平気ですか。
この国の王であり神様との誓約事をなされる立場の御方様達が、一切その大切な陵墓に墓参をしていない、しないとしたらどうなりますか。
これは異状です。 非情です。 ・・ これは大変なことです!!
天皇家もバチカンも、そろそろ素直に真実を語らないと・・、大変なことになります。
藤原家の方々は俊敏に対応しなくてはなりません。
いよいよ表に出なくてはなりません。 世界の平和の為に!!
地下神殿がある生野の姫宮神社と、その北に位置する朝来市の粟鹿神社の神紋の、菊と茗荷が合わさったデザインと、勾玉や剣や鏡など王家の秘宝を沢山もっておられる御方の鶴と菊花紋は、全く同じ意味の紋章です。
さぁ~~、これは大変ですよ~~~!!
2014年12月31日(水)~2015年1月1日(木)
夜、9時過ぎに事務所を出発し、生野を頂点とする黄金比率の十字架の交点である、生石神社(おうしこじんじゃ)へと着いたのは10時を過ぎていました。
奉献にと、国造りのお酒、邪馬壹国を134度80の重要な神社に届けることにしました。
未だ新年にはチョットだけ時間があり、境内には関係者の方々だけが新年を迎える準備で、
緊張が伝わってくるようでした。 受け取っていただいてお参りを済ませ・・、でもゆっくりもしていられません。
年が変わる前までには大事な十字架の頂点である生野の姫宮神社へと到着せねばなりません。
天気予報では生野は間違いなく雪で、しかも吹雪くものと思われます。
その前に大事な大事な大国主命=イエス・キリストの公的陵墓がある大歳神社へと
国造りのお酒を届けなくてはなりません。 時間がありません。
「誰もいないだろうなぁ・・」と思って大歳神社へと行くと、暗闇の中に明かりがついていました。
その明かりが目に飛び込んできたときでした。
「あっ、村の人が居てる!」と思った私でした。確かに人影が3,4人ほど間違いなく目に映りました。
受け取ってもらえるぅ~と、喜び勇んで暗がりの石段を登って本殿に着くとそこには・・
誰一人として人影もありませんでした。 その気配も感じられませんでした。
それで・・、お酒だけ置いてお参りして足元の暗い階段を下りて車に乗り込み、まじまじと遠くから
暗闇に浮かぶ本殿の明かりを見つめて、「確かに数人の人影がありましたよね」「間違いなく見えました」
と確かめ合って・・、でも悠長なこともしておれませんので、目指すは生野、姫宮神社へ。
大歳神社の怪奇現象、10時40分の出来事でした。
そして・・、さすがに兵庫県の中央に位置する生野のトンネルを出ると、道路脇には氷雪が残っていました。
そしてすぐさま雪が舞いだしました。
姫宮神社へ行くには、歩いて大橋を渡らなければなりません。
昼間と違って、そして今日という日に何とも言えない情景が映し出されていました。
私は時間を気に留めずに、ゆっくりと橋を渡り、ゆっくりと歩いていました。
そして本殿がある境内への最後の階段を上がると、「ようこそおいでくださいました」と
案内されるように本殿の明かりが眼に飛び込んできました。
そして右手にある手水舎で手と口を清めて、鳥居で一礼して真っ直ぐに歩いて行きました。
そうすると・・、久しぶりの山田宮司さんが本殿内に居られて、お酒を奉献することができました。
「まだ新年にはなっていませんのでご挨拶は・・」と宮司さん。 そして・・
「今から御勤めをさせていただきます」とチョット緊張気味の宮司さんでした。
その言葉を聞いて、腕時計に目をやると、新年の時まであと3分でした。
「間に合ったぁ~~!!」と、そこで我に返った気がした私でした。
年が変わるころから向かいの大亀山の麓にあるお寺さんの方角から除夜の鐘の音が響きだし、
山田宮司さんも太鼓を打ち鳴らし出しました。
正に神仏習合の競演を見せていただきました。
私も時が変わる瞬間に神様に新年のご挨拶をしていましたが、
「いいから早く帰れ!大雪になるぞ」と、言われた気がして、とりあえず生野峠を超えることにしました。
生野峠を超えるまでは、雪も本降りの様相でしたが、峠を下ってほどなくして卑弥呼おばさんのお墓が一番きれいに見える七宝寺さんではもう月も顔を出したり隠したりと、天気も回復気味でした。
七宝寺さんから暗くて見えない卑弥呼おばさんが眠る婀月山を、微かな月明かりをたよりに見つめていました。時折、陵墓の下にある高圧線の鉄塔の赤色灯の明かりが山を覆った雲の中に映し出されて、あたかも卑弥呼さんの御霊が怒っているようにもドキッとするほど、山が火を噴いて噴火してるように見えました。
いえいえ、怒りは空海さまのお怒りかもしれません。
「どいつもこいつも自分のことしか考えられんようになってしもうて」と、大変なお怒りです。
ここ七宝寺に着いたとき、またまた不思議な光景を見ることになりました。
天体の星々が全て東から西の方角へと、それはそれは早いスピードで移動していました。
眼の錯覚でも何でもありません。本当に不思議な不思議な光景でした。
ことしは何かただならぬ出来事が起きる気がしてなりません。 ただならぬ出来事が・・・。
それにしても、1月1日、婀月山に月とは、なんとも風情のある光景を見せていただきました。
どこまでも追いかけてくる月を見ながら自宅に戻ったのは、3時をチョット過ぎていました。
この地球が平和でありますように・・と、願いつつ 元旦