かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

冤罪の二人・・淳仁天皇と早良親王の墓

2023-01-17 01:47:57 | かごめかごめの真実とは

2023年1月17日(火)

兵庫県高砂市に生石神社(おうしこじんじゃ)があって、そこに石の宝殿があります。謎の巨石があります。

淡路島に淳仁天皇陵がありますが、この場所から生石神社(おうしこじんじゃ)までと、淳仁天皇の墓の東にある生石神社(しょうせきじんじゃ)までは共に57.6㎞と同距離で二等辺三角形を描きます。

また、高砂市の石の宝殿から東へ78.99mの場所に早良親王の墓があって、このすぐ近くには石宝殿古墳が在ります。そして早良親王の墓から77.74㎞行った場所に生石ヶ峰があって、この場所が淳仁天皇の埋め墓です。このすぐ東に生石神社(しょうせきじんじゃ)があり、ここには巨大な磐座があります。石の宝殿といい生石神社といい、その3ヶ所には立派な磐座が存在しています。冤罪の二人・・淳仁天皇と早良親王の墓の場所が分かるようにと、二つの二等辺三角形と生石磐座石宝殿の文字がそこに在ることの不思議をして、重大なことを教えているようです。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高良神社入口右手の小山は早良親王の墓である

2020-12-03 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年12月3日(木)

11月22日(日)私は橘嘉智子さんのお墓参りへと行った。

そして、行ったことで、「一刻も早くお父さんに会いたい、連れてって!!」と言ってるような気がして、

翌日23日(月)高良神社・石宝殿古墳へと行って、最後、引っ張られるようにして小山の方へと行って、役行者が目に飛び込んできた。

そして横に不動明王。ましてやその横に妙見大菩薩の文字。

これはもう私の特製のゼロ磁場Lロッドを組み立てて、調査を開始しました。

なんと! ロッドはすぐさま反応しました。

実はこの場所こそ、石宝殿古墳の東西の長いトレンチラインです。橘嘉智子さんのお墓とをつなぐラインです。父と娘の嘉智子を結ぶラインです。

父とは・・、桓武天皇の実の弟で、長岡京の造営責任者の藤原種継の暗殺に関与した罪により廃され、絶食して没した早良親王こと崇道天皇でした。

妙見大菩薩の石碑の後ろの大木の下には、地底22m下に3.5m×4.5mの石室が存在する。

石室の向きが教える先は、2:1:√3の基本形の直角三角形である、春日宮天皇妃陵と平等院鳳凰堂である。

この二つの地点は大いに意味があり願いでもあるようです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高良神社で願うは、「次、生まれ変わってきたら長生きしてくださいね」

2020-12-02 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

12月13日の橘嘉智子さんのお墓参りツアーは、募集人員に達しました。

これからはキャンセル待ちとなります。ありがとうございました。

 

2020年12月2日(水)

寝屋川市の石宝殿古墳の入口には、高良神社がありました。

高良(こうら)神社で手を合わす先は、琵琶湖の東湖畔にある長命寺です。

ここで手を合わす願いは、そのもの「長命」です。

次、生まれ変わってきたら長生きしてくださいね」と誰に語りかけるのでしょう。

誰に・・!??  そのお方とは・・。  つづく

高良神社へ上がる右手の道をまっすぐ行くと、すぐそこに石宝殿古墳があります。

長命寺名草神社と高良神社は、直角三角形を描きます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝屋川市の石宝殿古墳が教えることは、橘嘉智子の生い立ちでした。

2020-12-01 06:06:06 | かごめかごめの真実とは

2020年12月1日(火)

11月22日(日)JR奈良駅に10時の待ち合わせで、藤本さんの車で橘嘉智子さんのお墓参りに行った。

山での先導役はいつも武部さんである。

平坦な山ほど危険であり注意を要すると武部さんはいつも言う。私もそう思う。

登りは一点を目指すのでまぁ問題ないが、頂上から下りる方角を少しでも間違うととんでもない方へと行ってしまう危険がある。

武部さんが同行してくれることは非常にありがたく感謝している。

無事お墓から駐車場へと帰り、その足で三笠山山頂へと行って、そこでも山頂の古墳の調査をした。

三カ所に石室があることが分かった。そして山を下りて、ちょっと空海寺へ立ち寄ってもらった。

連休で秋深まる奈良東大寺付近の道路は大変渋滞していた。そしてそこから、牧浦さんに教えてもらった龍田大社へと行って、JR王寺駅から神戸へと帰路に着いた。

家に帰ってから、その日現場で計測して帰った角度を地理院地図に落としていくうちに・・、何か気になる、気がかりな場所が浮かんできた。

それは、前々から不思議な石組で、寝屋川市にある『石宝殿古墳』だった。

どうも私には、その石宝殿古墳が橘嘉智子に深い関係があるように思えてしかたありませんでした。

それで次の日、23日連休で休みなので気になるその石宝殿古墳に行くことにしました。

その古墳から車でさほどかからないところに、この不思議物語の最初の頃、いろいろ教えてくれた松重さんに電話してみると「いいですよ、駅まで迎えに行きます」と言うことで、古墳の入口である高良神社まで連れて行ってもらいました。

知らない人が車で行っても悲鳴をあげるような道でしたねぇ。事前に良く調べて、車は軽でなければ入れない細く狭い道でした。

寝屋川市の石宝殿古墳が教えることは、橘嘉智子の生い立ちでした。

どうも私に、「一刻も早くお父さんに会いたい、連れてって!!」と言うことのようでした。 ・・つづく

図面に記入された角度は、コンパスグラスでの角度です。

図面は、1990・3 寝屋川市教育委員会がまとめた文化財資料14『石宝殿古墳』より引用させていただきました。

                         

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桓武天皇の墓と早良親王の墓を教える桓武伊和神社

2018-11-12 06:44:08 | かごめかごめの真実とは

2018年11月12日(月)

 岩上神社 巖石神社へと古代史研究家の市川慎さんに連れて行ってもらった日、意外な名前の神社にも連れて行ってもらいました。

桓武伊和神社です。

桓武天皇を祀る神社に出会ったのは初めてでした。

この神社には、早良親王も祀られていて、石碑の由来にはここ都多が、桓武天皇と早良親王の母である高野新笠の出身地とも記されています。

んん~~ん、不思議な神社です。大変な場所かもしれません。

以前に早良親王の墓だという淡路島へも行っていたことがありましたので、いつもながら地理院地図にポイントすると不思議にいろいろと関連性が浮かび上がってきました。

昨年、台風で舞殿が壊されたことで春日神社の秘密を教えられましたが、ここにきて一層その意味を教えられます。

春日神社の本殿に手を合わすと、桓武天皇の墓である高雄山(428.4m)を拝むようになっていますし、御参りして帰る途中に二つの鳥居がありますが、二つとも角度が違います。

この二つの鳥居の先が桓武伊和神社と伊和神社になっています。

そして、桓武伊和神社のご本尊さまが見つめている先に、石宝殿古墳があり、淡路の早良親王の墓から石宝殿古墳と伊和神社までの距離は同距離です。

石宝殿古墳の真北には、桓武天皇の墓である高雄山があります。

南北ラインで思い出すのは、天武天皇・持統天皇陵の真北に天智天皇の墓があるという兄弟親子の南北ラインと、桓武天皇の墓とを結んだ先に平安南道があります。

桓武天皇も兄弟の南北ラインをお墓で形成しているとすれば、石宝殿古墳は早良親王の墓となります。

その南北ラインに直角に西へ行ったところに春日神社があり、その延長部に伊和神社が位置しています。

これらの関連性が偶然に布置する確率ってありうるのでしょうか。

これはもう計算に計算されつくしたものです。

桓武天皇が生前、自分が眠る山と決めた高雄山の真南に早良親王の墓を作らせたと聞こえてきます。

お墓の位置をたどると、又、お墓の位置を探すことも先祖のルーツもお墓のネットワークから知ることができます。

先人達の知恵は、半端ではありません。 凄すぎます!!

                   

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする