2020年12月1日(火)
11月22日(日)JR奈良駅に10時の待ち合わせで、藤本さんの車で橘嘉智子さんのお墓参りに行った。
山での先導役はいつも武部さんである。
平坦な山ほど危険であり注意を要すると武部さんはいつも言う。私もそう思う。
登りは一点を目指すのでまぁ問題ないが、頂上から下りる方角を少しでも間違うととんでもない方へと行ってしまう危険がある。
武部さんが同行してくれることは非常にありがたく感謝している。
無事お墓から駐車場へと帰り、その足で三笠山山頂へと行って、そこでも山頂の古墳の調査をした。
三カ所に石室があることが分かった。そして山を下りて、ちょっと空海寺へ立ち寄ってもらった。
連休で秋深まる奈良東大寺付近の道路は大変渋滞していた。そしてそこから、牧浦さんに教えてもらった龍田大社へと行って、JR王寺駅から神戸へと帰路に着いた。
家に帰ってから、その日現場で計測して帰った角度を地理院地図に落としていくうちに・・、何か気になる、気がかりな場所が浮かんできた。
それは、前々から不思議な石組で、寝屋川市にある『石宝殿古墳』だった。
どうも私には、その石宝殿古墳が橘嘉智子に深い関係があるように思えてしかたありませんでした。
それで次の日、23日連休で休みなので気になるその石宝殿古墳に行くことにしました。
その古墳から車でさほどかからないところに、この不思議物語の最初の頃、いろいろ教えてくれた松重さんに電話してみると「いいですよ、駅まで迎えに行きます」と言うことで、古墳の入口である高良神社まで連れて行ってもらいました。
知らない人が車で行っても悲鳴をあげるような道でしたねぇ。事前に良く調べて、車は軽でなければ入れない細く狭い道でした。
寝屋川市の石宝殿古墳が教えることは、橘嘉智子の生い立ちでした。
どうも私に、「一刻も早くお父さんに会いたい、連れてって!!」と言うことのようでした。 ・・つづく
図面に記入された角度は、コンパスグラスでの角度です。
図面は、1990・3 寝屋川市教育委員会がまとめた文化財資料14『石宝殿古墳』より引用させていただきました。