2016年4月21日(木)
私の記憶にない人から、「話があります・・」・・と19日に突然の電話がありました。
何か急を告げておられる様子なので、
「じゃ~おいでください」と言うことになり、20日の12:00頃ご夫婦でみえられした。
話をうかがうと、奈良の石上神宮へ行ったら、「上森氏に伝えよ!」と声が響いてきましたので参りましたとのこと。
その日の昼前、「この日本で無念の御霊の方は誰が居られますかねぇ」と、事務所の方と話をしていた矢先、
来られた方は、早良親王の事をしきりに話されて帰られました。
早良親王も無念で無念でたまらない王家の御霊のようです。
・・早良親王が私に何を伝えたいのか・・・。
・・・私には分かりました。
早良親王のルーツにどのような方が居られるかと言うと、仁徳天皇であり、応神天皇であり、女王卑弥呼さんに繋がることを教えていました。
私に告げられた方々が帰られて、いつものように眠気が襲ってきたので眠り、眠りからさめると、パソコンに向かってカチャカチャとやっていました。
そして、国土地理院地図を開いて、ポイントを打ってラインを引いて、又、三角の重心を割り出してそこを見ると・・・!
「石上山」となっていました。 その方達は、奈良の石上神宮に行って「上森氏に会いにいきなさい」と言うことのようでしたから・・、こ奇妙な偶然は偶然ではないようです。
早良親王のお墓と卑弥呼さんの陵墓と光明山が正三角形ですが、私が光明山を見ているとき、椿さんが「光明(みつあき)」さんと言う方と電話で話をしていたところですと言われます。
これらの偶然が偶然に起こり得る確率とはどのような確率なのでしょう・・:。
ここに至れば、もう見えない世界からの教えとしか思えません。
卑弥呼さんの陵墓から石上山を通ってラインを延長したところに、仁徳天皇の故郷であると私が言っていた、聖神社があります。
このことは、早良親王が「私の所にも来てください!」と当然言って居られるでしょうし、早急に行かなくてはならないようです。
んん~~、王家の無念の御霊がどんどん動かれだしましたねぇ!