2018年11月12日(月)
岩上神社 巖石神社へと古代史研究家の市川慎さんに連れて行ってもらった日、意外な名前の神社にも連れて行ってもらいました。
桓武伊和神社です。
桓武天皇を祀る神社に出会ったのは初めてでした。
この神社には、早良親王も祀られていて、石碑の由来にはここ都多が、桓武天皇と早良親王の母である高野新笠の出身地とも記されています。
んん~~ん、不思議な神社です。大変な場所かもしれません。
以前に早良親王の墓だという淡路島へも行っていたことがありましたので、いつもながら地理院地図にポイントすると不思議にいろいろと関連性が浮かび上がってきました。
昨年、台風で舞殿が壊されたことで春日神社の秘密を教えられましたが、ここにきて一層その意味を教えられます。
春日神社の本殿に手を合わすと、桓武天皇の墓である高雄山(428.4m)を拝むようになっていますし、御参りして帰る途中に二つの鳥居がありますが、二つとも角度が違います。
この二つの鳥居の先が桓武伊和神社と伊和神社になっています。
そして、桓武伊和神社のご本尊さまが見つめている先に、石宝殿古墳があり、淡路の早良親王の墓から石宝殿古墳と伊和神社までの距離は同距離です。
石宝殿古墳の真北には、桓武天皇の墓である高雄山があります。
南北ラインで思い出すのは、天武天皇・持統天皇陵の真北に天智天皇の墓があるという兄弟親子の南北ラインと、桓武天皇の墓とを結んだ先に平安南道があります。
桓武天皇も兄弟の南北ラインをお墓で形成しているとすれば、石宝殿古墳は早良親王の墓となります。
その南北ラインに直角に西へ行ったところに春日神社があり、その延長部に伊和神社が位置しています。
これらの関連性が偶然に布置する確率ってありうるのでしょうか。
これはもう計算に計算されつくしたものです。
桓武天皇が生前、自分が眠る山と決めた高雄山の真南に早良親王の墓を作らせたと聞こえてきます。
お墓の位置をたどると、又、お墓の位置を探すことも先祖のルーツもお墓のネットワークから知ることができます。
先人達の知恵は、半端ではありません。 凄すぎます!!