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止れ3米後に

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所沢駅 ホームの観察記録1

2010年04月16日 | 建築・土木
西武鉄道の本線である池袋線と新宿線が交わる所沢駅。ホームは5番まであり、日々電車と乗客が行き交っています。
乗換駅であるためか、駅のホームとその上屋は大規模な建て替えなどはあまりなされておらず、建て増しや継ぎ足しとでも言うべき改修を受けています。
そのため、ホームには様々な形態が存在し、見ているだけでも歴史が想像できて、趣味的には楽しいものですが、近々所沢駅は大規模な建て替え工事を行うという話を聞きました。
まだ大規模な工事に着手する前に、その形態を観察・記録してみました。

このような鉄道趣味界でも相手にされなさそうな記事で、どの程度興味を持って頂けるかは不明ですがお付き合い頂ければ幸いでございます。

まずはホームの順番にならい、一番ホームから見て参りましょう。
一番ホームは新宿線の下りホームです。

一番ホームの西武新宿寄り。ここの土留め(という表現でいいのかは不明)はコンクリートブロックのようなものですね。
上には跨線橋と自由通路があります。


このブロック土留めはすぐに石積みの土留めへと切り替わります。恐らく川越鉄道開業時のものではないかと思いますがどうでしょうか。
改札があり、ステーションビルと隣接していることから上屋はかなり高いです。柱は四角い鋼管で梁はI型の鋼材です。


土留めを真横から見ると、建設以降ホームを数回高くしていることが分かります。まるで地層のようですね。


この石積みの土留めは各ホームの中央を連絡する跨線橋の真下で終わり、以降は本川越よりの端まで待避スペースが設けられたタイプに変わります。


この跨線橋の真下には名物?の駅蕎麦が湯気を上げています。食べたい…


跨線橋から8連停止位置までの上屋は鋼管+I型鋼材の組み合わせですが、改札よりは高さが低いです。
8連停止位置から池袋・本川越寄りの跨線橋を経て、ホーム端までは柱が四角い鋼管に梁がC型鋼材の組み合わせでした。
写真はその接合位置。


ホーム内から見る。異なる様式の柱が並んでいます。右が新宿方、左が川越方ですね。


跨線橋から。屋根の接合部分が明らかに違うのが分かると思います。

1番ホーム篇はこれにて終了です。もし表現などに間違いなどありましたらコメント欄などでご指摘頂ければと思います。
次回は2・3番ホームです…

伊賀上野の建物

2010年02月14日 | 建築・土木
世間がバレンタインデーだろうが何であろうが、我が道をひた走る弊ブログであります。

昨日伊賀鉄道の記事を書いたときに一緒に発掘した写真です。
伊賀上野駅の近くにあった建物です。。。

まずは電気屋さん。

これは元々電気屋さんとして建てられたわけではない気がしますがどうでしょうか。

個人的には建物よりこの看板が気に入りました↓

♪ひか~る、ひかるとお~しば、まわ~る、まわるとお~しば
♪はし~る、はしるとお~しば、うた~う、うたうとお~しば
♪みん~なみんなとお~しば、とお~しば~のま!あ!く!
なのであります。

近くには床屋さんもありました。

いわゆる看板建築っぽいですが・・「看板」の部分はモルタルでしょうか。
写真を撮った反対側より見るとこう見えます。

ちょっと他では見ない、特徴がある建物でした。

というわけで久々の建物記事でした。

南海電車 浜寺公園駅

2010年01月25日 | 建築・土木
今回は南海電車の浜寺公園駅の記事です。久々の建築記事です。
古い駅舎が好きな方には言わずと知れた存在ではないでしょうか。


駅名の由来となった浜寺公園は、かつては東洋一の海水浴場と言われた観光名所だったそうです。
公園に押し寄せる行楽客に対応するため、1901(明治40)年、南海鉄道は難波~浜寺公園間を直流600Vで電化しました。
この電化と同時に、浜寺公園駅は現在の駅舎に建て替えられたということです。
設計は日銀や東京駅を設計した、日本における近代建築の祖と言われる辰野金吾が担当しました。
1998(平成10)年には国の登録有形文化財に指定されたということです。
(駅舎内の掲示による)

それでは各部を見て参りましょう・・・て、あんまり写真は撮ってないのですが(汗)

まずは前から・・・

当日は逆光で、あまり上手く撮れていません。ごめんなさいm(_ _)m

客寄せの部分をアップでどうぞ。

柱がすごく綺麗ですね。アーチも美しい・・。

こちらは改札内。反対側のホームから駅を見てみました。

元のホームは低かったんですねえ。屋根がいいです。

ホーム内にある待合室です。これはいつの年代かは?ですが。

ちょうど回送電車が入ってきたので・・。


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いやあ、本当にすごい駅舎なんですが・・・管理人の力では全てをお伝えできませんでした。orz
本当に申し訳ないと思っています。写真の下手さと文章力の無さ、ホントどうにかしたい・・。
興味がわいた方は、ネットで検索する・本を読むなど手段はありますが、是非現地をご訪問してください。何事もそうですが、興味のあるものは自分で見て確かめるのが一番だと思います。

あと記事とは全く関係がないのですが、最近エロサイトの宣伝のコメントが時々来るようになったので、コメント承認制にしようかとも考えています。


それでは。

片隅に・・・

2010年01月02日 | 建築・土木
ユネスコ村の片隅に、眼鏡橋があると知ったのは、確か中学生の頃でした。
その眼鏡橋というのも、長崎は諫早にある眼鏡橋を移築するときに、その実験用として造られた模型なのですが。

しかし、ユネスコ村自体恐竜館メインの施設になっていましたから、すでに無くなってしまったものだと思っていました。


で・・・2010年の元旦。
相方氏と初詣に狭山不動尊に行った帰り、人の流れに乗って歩いていたら・・・
目に入ったのが上の画像でした。
まだ残ってたのか!と驚きの気分でした。今年最初の驚きでした・・・。
付近は立ち入り禁止のようだったのでこれ以上近づきませんでした。

帰宅してネットで検索してみたら、この眼鏡橋を諫早に返そうというページを見つけました・・・最終更新日がかなり前でしたが。


眼鏡橋を見つけたのをいいことに、人波と逆の方向へ向かっていったら・・・

昔、この駐車場で三角バスに乗りましたっけ。生まれて初めて乗ったキャブオーバーのバスでした。
あれももう10年以上前なんですねえ。

しかし、恐竜館跡地の寂れっぷりといったら・・・


ある建物

2009年06月24日 | 建築・土木
こんばんは。
今日は、人知れず消えたある建物の話でも・・・。

埼玉県飯能市は、古くから発達してきた町です。
そのため、市街地には古くからの建物が数多く残っています。

自宅からそう遠くないので、よく町をふらふらしながら古い建物を写真に収めていたのですが、そんな中で見つけたのがこの建物でした。


いわゆる看板建築という、古いつくりの建物の、道に面した部分を西洋風に改装し、昭和初期に流行した建物の一つでしょう。
建築年代などは全く不明。
「東都新聞社」という会社が使われていたようですが、この写真を撮影した2005年7月の数ヶ月前にその役目も終わり、この時はただ空き店舗となっていました。

隣には新しいマンションがあり、この建物が壊されるのも時間の問題なのかなぁ・・・と思っていました。

そして今年の4月、この場所を通りかかると、そこは更地になっていました。


この建物の反対側には、飯能市の登録文化財に指定された「店蔵 絹甚」があります。


これも同じ時に撮影した写真ですが、この頃は整備されていませんでした。
方や登録文化財に指定され、観光客が訪れる蔵。
方や閉鎖後放置され、更地になってしまった看板建築。
道を挟んでこれだけの差が出るというのが面白いというかなんというか・・・

この看板建築は消えてしまいましたが、まだまだ興味深い建物はあります。
今後もいろいろご紹介していこうと思います。

ではでは。