緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

偏見について考える(ロバート・マリガン氏を悼む)

2008年12月24日 21時56分49秒 | 近頃思うこと・政治・経済・時事問題

平成20年12月24日(水)クリスマスイブを迎えました。

世界中の子ども達が、サンタさんのプレゼントを楽しみに

眠りについていることでしょう。

                  

 さて、アメリカで、黒人であるオバマ氏が大統領になると聞いて、

よその国のことでも感慨深いものがあります。

特に 私の世代の若い頃には、黒人差別問題が表面に出てきて、

それをテーマにした名作映画もたくさん出ました。


その代表作ともいえるのは

作家ハーパー・リー

ピュリツァー賞受賞作を映画化した

「アラバマ物語」を監督し、

アカデミー賞監督賞候補にもなった

ロバート・マリガン氏が、

今月20日、亡くなったことが報道されました。

 http://cinematoday.jp/page/N0016391

[eiga.com 映画ニュースより]

 「アラバマ物語」(62)で知られる、アメリカの映画監督ロバート・マリガン氏が

12月20日、米コネティカット州の自宅で死去。

83歳。死因は心臓疾患だった。

ニューヨーク州ブロンクス生まれのマリガン氏は、

1950年代のTV黄金期に米CBSでTVドラマ演出家として活躍。

同期にジョージ・ロイ・ヒル、シドニー・ポラック、ロバート・アルトマン、ジョン・フランケンハイマー(全員が故人)らがいた。その後、57年にアンソニー・パーキンス、カール・マルデン主演の野球映画「栄光の旅路」で映画監督デビューを飾る。

代表作は、ハーパー・リーのピュリッツァー賞受賞小説の映画化となる「アラバマ物語」。

故グレゴリー・ペックが演じた米南部の弁護士アティカス・フィンチは世界中に感動の涙を誘い、62年度のアカデミー主演男優賞を受賞。

06年にAFI(アメリカ映画協会)が選出した「最も偉大なヒーロー&悪役」のヒーロー部門第1位に選ばれている。

なお、そのフィンチ役のユニバーサル・スタジオによるファーストチョイスはロック・ハドソンであった。

マリガン氏自身も同作でアカデミー監督賞にノミネートされたが、「アラビアのロレンス」(7部門受賞)のデビッド・リーン監督に奪われている。

20作品ほどのメガホンを取ったが、15歳だったリース・ウィザースプーンの初主演作「マン・イン・ザ・ムーン/あこがれの人」(91)が最後の作品になった。

 

1962年に映画化された「アラバマ物語」は、

人種差別が横行する米南部で社会正義を貫こうとする弁護士の姿を

グレゴリー・ペック主演で描いた作品です。

このグレゴリー・ペック氏は、この作品の10年ほど前に公開された

ローマの休日」でも有名です。

http://www.roman-holiday.jp/

彼は、「アラバマ物語」で、主演男優賞を受賞しています。

http://www.geocities.jp/h2o_classic/g-peck.html


あらすじは、不況のドン底だった1932年、

アラバマ州メイコムという小さな町に、男やもめの弁護士

アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は住んでいました。

家族は彼と幼い子供たち、

息子のジェム(フィリップ・アルフォード)、

娘のスカウト(メアリー・バーダム)、

それに家事全体を切りもりしている家政婦の4人だった。

一家は静かな幸福な日々を送っていた。

近所には、精神障害を理由に

ブー・ラドレーが父に監禁されていた。

ある日、農夫ボブが、

娘が黒人の作男トムに強姦された

と保安官に訴えた。

判事は罪を否認するトムの弁護人に、

アティカスを指名しました。

アティカスは、黒人トムの弁護を引き受けました。

だが、町の人々は黒人に偏見を持ち、

黒人などを弁護したらただではすまぬと警告したり、冷たく当たります

アティカスは不正と偏見を嫌い、

何よりも正義を重んじる男だった。

そんな町の人の反対にも脅しにも動じない父親の姿を

彼の子どもたちは尊敬し、

その勇気ある行動を目の当たりにしながら

大きく成長してゆきます。

ジェムとスカウトは、

ある日、気狂いのブーを見ようとラドレー家へ忍び込んだ。

しかしブーに発見され逃げ帰った。

そのうちにスカウトとジェム宛ての贈物が、

ラドレー家の前の木の穴に置かれるようになった。

このようにして月日は過ぎていった。

危害を避けるため、ほかの町の留置場に入れられていたトムは

メイコムに戻された。

いよいよ裁判の当日。

しかし、裁判の判決は、

アティカスは必死の弁護を行って被告の無罪を主張したが、

陪審員は有罪と決定した。

アティカスには、控訴審で判決をくつがえす自信があったが、

トムが脱走してしまい殺された。

トムの家族にこのことを知らせに行った帰り、

アティカスはボブに会った。

ボブは彼に必ず裁判の仕返しをすると言うのだった。

 

ある日、娘のスカウトの学校で学芸会が催された。

その帰りの夜道でジェムとスカウトは、

ラドレー家の附近で何者かに襲われた。

そこへ突然、

第2の人影が現れ、襲った男をつかまえた。

襲ったのはやはりボブだった。

彼は胸にナイフを刺して死んでいた。

 

2人を助けてくれたのは、あのブー・ラドレーだった。

ブーの行動は明らかに正当防衛だった。

 

スカウトはブーを連れてきて、息子のジェムに合わせ、

それから白髪の彼をもとの隠れ場所へと送っていった。

 

ふたたびアティカス一家の平和な生活が始まった。

 

なんともいえない結末でした。

 

この映画を見たときに、

アメリカで行われている陪審員制度に

疑問を持った人も多かったのではないかと思ったものでした。

もう一つ、

偏見の恐ろしさをこの映画は描いています。

それは、

精神障害から親に家に閉じ込められて引きこもっているこの隣人に、

襲われ危ない目にあったときに子どもたちが助けられました。

誰がいい人で、誰が悪いひと ということに対して、

外から見える偏見の恐ろしさも描いていました。


 

もう一つ、

黒人差別と、戸惑いを描いた映画の名作に、

1967年に製作された シドニー・ポワチエ主演の

招かれざる客」があります。

http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/GuessWhosComingToDinner.htm

世界的にその名を知られる黒人医師ジョン(ポワチエ)は

ハワイで知り合った白人女性ジョーイ(C・ホートン)と

人種の壁を越えて結婚を誓い合い、

互いの両親の許しを得るため

サンフランシスコのドレイトン家を訪れる。


新聞社を経営し、人種差別と戦ってきて

人格者で通っていた父親のもとに、

娘が黒人の婚約者を連れてきたのです。

白人の娘の彼は、黒人だった。

彼は、世界的に著名な医師で立派な人格者でした。

母親は驚きますが、娘の嬉々とした様子に、

動揺は次第に喜びに変わっていきます。

しかし、父親は、

人種差別反対を自ら経営する新聞の論調としてきたが、

いざ自分の娘が黒人と結ばれるとなると心境は複雑。

彼がいくらりっぱな人物であっても、納得できません。

やがて、

ジョンの両親プレンティス夫妻もかけつけるが、

彼らも息子の相手が白人とは知らされていず愕然とする。

戸惑い反対する、

それは相手の両親も同じでした。

白人と黒人の結婚はタブーであり、

これからの二人の人生において、

持ち上がるであろう様々な反感や、

困難さや軋轢を親は心配したのです。

黒人である彼が、

反対する自分の父親に向かってこう言います。

「古びた信念を唯一最良と頑強に押し通す、

そんな世代が死に絶えるまで僕たちは重荷を背負うんだ。

自由になれない。

僕は黒人としてでなく、人間として生きたいんだ」

 

そこで、まず、彼の母も 何より子供の愛を信じた。

こうして、二人の母同士の強い説得によって、

頑迷なマットの心もほぐれ、

娘たちの仲を認めてやるのだった。


最後には、

娘の父親は、

若い2人のどんな困難にも立ち向かおうとする真剣さとその情熱に、

かつての自分の青春を見、その尊さに気づき、

2人の結婚を認めて、こう言います。

「これから多くの人たちの反感と嫌悪が君たちを待ち受ける。

永久にそれを乗り越えていかねばならん。

だが、互いの絆を強くし、決して負けるな!」

 “招かれざる客”が 優等生S・ポワチエなので、

大体、後半の展開は察しがついてしまうが、

トレイシーとヘプバーンの名優コンビが、

リベラリストたる面の皮を剥がされる新聞社社長とその夫人を演じ、

さすがにうまくて舌を巻く、S・クレイマーの問題作でした。

アメリカのある年代のインテリ層には、

それでもかなり影響力のあった映画なようで、

フレッド・スケピシ監督の「私に近い6人の他人」で、

本作と同様にS・ポワチエが

思い入れたっぷりに語る場面があったが、

一般に“進歩的”と言われる白人でも、

この映画の認識に留まっているのが現在でも実情らしい。

キャサリーン・ヘプバーンが二度目のオスカー主演賞を受賞し、

スペンサー・トレイシーの遺作ともなった作品。
 

人種や肌の色や、宗教、思想信条の違いから、

国と国との紛争や

個人的なレベルの誤解やいがみ合いが、

とかく 起こりがちですが、

先日も採り上げたオバマ氏の演説の中にも

Change!

と言う言葉がたくさん出ていました。

旧態依然たる因習や固定観念に囚われず、

Change!

 思い切って、するべきときにはしなくてはなりません。

Change!

そして、

Yes,we can!

日本の社会の中にも、

今こそオバマ氏のような人が必要なのですが…。
 

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