緑ヶ丘・第二幼稚園 最新かがやき日記

緑ヶ丘・第二幼稚園のかがやく子ども達の成長を見守り、親も教師も園長も子どもに負けず共に成長する日々を綴った日記です。

新水巻病院小児科部長白川嘉継先生の講演会

2007年01月29日 21時58分21秒 | 研修会・セミナー

平成19年1月29日(月)昨日は、雨または大雪の天気予報だったが、

全然降らずに朝はのち午後からは、陽が射してきました。

気温10℃。明日は天気が良くなりそう。ホッとしました。

昨日、戸畑区のウェル戸畑2階多目的ホールで、

日本公文 北九州事務局主催 新春教育講演会がありました。

『子どもの発達のために大切な乳幼児期からの親子のきずなづくり』

という演題で、ご講師は福岡新水巻病院 小児科部長 白川嘉継先生でした。

1959年生まれ…新生児学が専門領域。

自己紹介からテンポ良くスタート

長年、産業医科大学付属病院新生児集中治療室医長として、

主に、1000g未満の超低出生体重児と呼ばれる未熟児

身体面、精神面、知育面の総合的なケアを担当。

2006年9月より、福岡新水巻病院 小児科部長として、 

医療、療育、教育の連携により、

子どもと母親の健全な成長に貢献する新たな小児医療(母子科)を推進なさる。

その間19,000家族との出会い。

親子の関係性を作ることが大事

と非常に多くの臨床例をあげて訴える。白川先生のお話は、毎回反響を呼ぶ。

まず、今マスコミで話題の例から、「給食費を支払わない親」の問題。

給食費を支払わないで平気な親は、実は、子どもの時に自分の親からお金を使われていない。

だから、高級車やブランド品で身を飾っても、子どもの食べた物に代価を支払わなくても平然としていられる。

つまり→子育てには、まず養育費がかかることを自覚していない。→連鎖する。

同じように、新生児室に赤ちゃんに面会に来ない親がふえた問題。これは、

子どもの時に親から向き合って育てられていない親子関係だった→連鎖する

次に、出産後の親が赤ちゃんに対してどう思っているかの調査で

  ・生まれた子どもが可愛いと直ぐに思う     30%

  ・子どもが可愛いと思えるまでに努力がいる  70%

    その中でも、子どもを拒否し、子育てを負担に思う 10%                  (殴られて育った、暴力的な性行為で早産、つらい青少年期の経験がある等)

また、最近の

私も随分前から「子育て教室」でも、非常に気になっていたのですが)

授乳時の気になる状況は、

母乳の場合、7割の母親の目線が赤ちゃんの目線と合っていない。

ミルクを与える場合は、8割は、ほ乳瓶の方に目線が行き、

赤ちゃんの方には目線が合っていない。

目線が合うことで、脳に発達の刺激が行く。

基本的な信頼感の獲得→ゆたかな感情を獲得→高度な行動の獲得へとつながる大事な時間なのです。

お母さんが幸せなとき 赤ちゃんはほほえむ。

赤ちゃんがほほえむとき お母さんに至福の時が訪れる。

互いの瞳に写る自らの姿を見つめ 必要とされること、信じることを知る。

次の話題は、発達(・発汗作用…)と成長(身長・体重)について…

ものを言わない胎児は、母の胎内で母に命をゆだね出生の日を待つ。

母体に、ストレスがあると、男子胎児の脳が女性化する。

母親の乳輪から出てくるフェロモンで、乳房に新生児は本能的に寄せられる。

ミラー細胞 1ヶ月検診で自閉症が判断がつくようになった。

にこにこ顔の母親→赤ちゃんの脳中に「オキシトシン」が、産生される。

すると、オキシトシンがあると、将来、親になったときに、赤ちゃんを抱っこできる親になれる。

霊長類は、「長生きする性」が、子育てをする。

人間の場合は、育児をする性は女性。

従って女性は「長生きをする性」であるからその重要な役割を担っている。

以下の霊長類はオスが長生きをする。

ヨザル、テイティモンキー・フクロテナガザル・ゲルディモンキー

は、オスが赤ん坊を育てる。その間、メスがエサを運ぶ。

だから、人間の場合には…母親が安心して子育てに専心できるように

経済的な不安や精神的な不安が無いようにサポートするのが父親の役目

また

時々、泣く子を見ると、あやすこともせず不安がる母親がいる。

泣き出すと、パニックってしまう母親は、赤ちゃんの時に放置されていた

母親自身 の悲しい記憶が,呼び覚まされ,不憫さが高まる。

それで、パニックに陥ったりする。…

次に幼児の描いた絵を比べてみると、洋の東西を問わず、

女の子は人物に興味を持ち中央に描く

男の子は、動く物(乗り物や動物)に興味がある。

副腎性器形成ホルモン脳が女性化するか男性化するかを決める

男性の脳と女性の脳は違う。

脳梁砲台部やセンコンレン部が、男性の脳は小さい。女性のは大きい。

だから悲しいことをイメージする能力が違う。

女性は、すぐに脳に反応が現れ、涙が出る。

また、視覚に関わる細やかな反応があり、小さな表情の変化にも直ぐに気づく。

言葉で上手に表現できる。協調性がある。

だから、女性はおしゃべりをしているうちに気分がよくなりオキシトシンが産生する

(だが、男性は、逆に、しゃべっているとその内ストレスがたまる場合もある。)

オキシトシンがあると悲しいことを想像し考えることが出来て涙が出る。

本来、男性は、狩猟、女性は果実などの採取をする生活。

母親と子どもの結びつきは、においとフェロモンの働きによるので、父親よりも絆が固い。

フェロモンの働きの例として知られているのは

同じ寮で生活する女性の生理の周期が一致する。(ドミトリー効果

また、赤ちゃんは、羊水に一番反応する。

羊水の独特の生臭いにおいに吸い寄せられる。

次に、母親の乳房のフェロモンに反応する。

そして、母乳中に分泌されているオキシトシンは

僅か1.0±1.4μU/mlの血中濃度だが、

親子の信頼関係の構築には大事な働きをしている。

だから、そういう意味合いでも、ミルクよりも「母乳育児」がおすすめなのです。

オキシトシンは、愛の香り、信頼の香り。

成人58人が投資ゲームで実験した。

オキシトシンをスプレーで吹き付けたグループは、

相手を信頼しやすいので、どんどん思い切って投資する。

これを悪用すると大変なので、一般には手に入りにくい。

オキシトシンは、性行為でも分泌される。

だから、夫婦が長く一緒に連れ添っていられるとのこと。

心地よい感覚を与えられた乳児は、脳内でオキシトシンが分泌される。

だから、生後6ヶ月位から読み聞かせが、大変良い。

よみきかせをする親の方にも10分位経つと、

イライラやストレスが消えて心が安定する。

いとうづの森のチンパンジー「キララの赤ちゃん」の様子の観察から~

母親が側にいないと、次第に赤ちゃんの額の体温が下がる。

しょっちゅう泣かせたり、放置したりすると、成長ホルモンが伸びない。

1歳半位まで、ストレスホルモン副腎皮質ホルモンが作用。

母親がそばを離れていると不安状態から泣く。

すると、グルココルチコイド受容体のmRNAが脳内に増える。

あまりに長く放置され構われないと、そのうち 

もはや 泣かずに、じーっとして動かなくなる、

すると、グルココルチコイド受容体のmRNAが増えない。

そして、恐ろしいことに…心身の発達に障害が。

基本的には、

飛び出すな! 車は急には止まらない。

ではなく

飛び出すぞ!子どもは急には止まらない。

という考え方で、常に子どもを中心に考えましょう。

いかに乳幼児期からの親子のきずなづくりが、

一生を大きく左右するかよく認識出来たことでしょう。

皆様、熱心に学び、早速、

しっかり抱っこし 視線を合わせた子育てに

励んで頂けることでしょう。

もっともっと多くの

今から子育てする妊産婦の方々や、ご家族

幼稚園・保育園の先生や

子育て中の保護者の皆様に

是非 聴いていただきたい密度の濃い内容でした。

 

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赤ちゃんにこにこroomと牧野富太郎没後50回忌

2007年01月18日 17時53分54秒 | 教育

平成19年1月18日(木)

今日は、今年初めての『赤ちゃんにこにこroom』の日でした。

いつも楽しみに予約くださるレギュラーの親子も、

今回初参加の方々も元気いっぱい

お正月明けの話題を楽しみに ご参加いただきました。

まず、ご挨拶に続き自己紹介の歌。

そして、季節感のある歌を数曲歌い、手遊び。

次は、身体を使ったリトミック、そして、

体操やゲームで盛り上がったところで

おおきなかぶ』のエプロンシアター

全員集中して、引き込まれ「うんとこしょどっこいしょ

と、かけ声をかけて、かぶを抜くおじいさんやおばあさん、

孫娘や動物たちに なりきって かぶを抜くために力一杯応援しました。

なんとなんとまあ、やっとこさで抜けた「カブ」は、

大人もビックリするほど とーんでもなく大きくて、バネ仕掛けで、約十倍位に…

本当に大きな美味しそうなカブでしたヨ。

それだけ、見事に育ったかぶは、

おじいさんとおばあさんが、種まきから丹誠込めて

育て上げたのだと、2歳前後の幼児期の子どもながら 悟りました。

そして、

どんなにちっぽけな 何の役にも立たないように思えた

ネズミのような動物も、日頃は、とかくバカにされ勝ちだが、

いざという時にはその力が無くては、カブが抜けなかった~

だんだん手伝い人の人数は増えるが、大きさが小さくなり、ハラハラ

繰り返しの面白さにワクワクする話です。

ロシア民話、1年生の国語教科書にも登場するお話しに

ノリノリで足を踏ん張って、真剣に真似をする仕草が、

とても真剣で可愛く、思わずシャッターを切りました。

そのあと、コマを作って、遊びました。

また、くつろぎのティータイムでも、

初めてご参加の方々もすっかりうち解けあって、

和気あいあいとすごしていただきました。

              

                

また、次回の予約を入れて、会いましょう。

さ、今度は、どんなトキメキ との出会い???

                 

 楽しい時間になるのでしょう…

      お楽しみに

さて、本日1月 18日は、

植物分類学者である牧野富太郎さんの没後50年の忌日でした。

牧野富太郎博士は、高知県高岡郡佐川町に生まれました。

3歳で父、5歳で母と死別、また、祖父も6歳で死別。

10歳から寺子屋、塾で習字、漢学を、また、英語学校にも学んだ。

12歳で佐川小学校に入学したが、授業に飽きたらず自然退学。

15歳の時、請われて佐川小学校の臨時教員となった。

以後、正規の学校教育は受けていない。

植物学を自分の目と足で学び、我が国植物学の泰斗となった。

読書家でその蔵書は4万5千冊に及ぶと言われている。

31歳で東京帝国大学助手となったが、

正規の学歴がないことで不当な扱いを受けたようである。

65歳で理学博士の学位を受け、92歳で病臥するまで

「草に遊び、草に枕する」生き方を貫ぬき、

95歳で逝去、死後文化勲章を受章した。

博士の長寿の秘密は残された色紙に、こう書かれていた

「長生きしたけりゃ枇杷を食え」


 1月18日は、博士の50回目の命日である。

記念展示として植物画展が開かれているが、

緻密さと美術的価値を併せ持つ素晴らしい植物画。

植物園は平成11年に敷地が拡張されて

牧野富太郎記念館」が増築された。

また、現在は、土佐山にある「県立土佐寒蘭センター

を移設するための工事が進んでいる。

讀賣新聞の「編集手帳」には、以下の文が有りました。

 

「植物学者の牧野富太郎は小学校を中退したあと、

学校と名のつく所では学んでない。

49歳で東京帝大の講師となり、77歳で退職するまで肩書は講師だった。

学識の世評は高くとも学歴のない老講師に、ひと恥かかせる魂胆だろう。

野外観察の折、ひとりの学生が枯れ草の根を取り出し、

牧野の前に黙って差し出した。

名前を当てられるものなら当ててごらん。

学生たちが好奇の目で見つめるなか、牧野は草の根をそっと口に含むと、

関東地方では見られない南方種のヒルガオの名を静かに告げた。

特徴として、その根にはサツマイモに似た甘味のあることを言い添えた。

渋谷章著「牧野富太郎」に記された挿話である。

生涯に50万点の標本を採集し、1000種の新種を発見した植物分類学の巨人が

94歳で死去したのは1957年(昭和32年)の1月18日、

きょうは没後50年の忌日にあたる。

学者には学問があれば何も要らない」。

冷遇と貧窮の時代にも、そう語っていたという。

学者の誇りを捨てた「論文捏造(ねつぞう)教授」や、

欲に良心を売り渡した「研究費流用教授」が世を騒がす昨今、

折に触れて思い出される人である。

たわむれに詠んだ都々逸が残っている。

「草を褥(しとね)に 木の根を枕 花を恋して五十年」

教育というのも煎(せん)じ詰めれば、

ひと筋に恋する人をつくることかも知れない。」

私は、「ひと筋に恋する人」をつくる仕事に携わっている!

編集手帳執筆者氏も、

牧野富太郎先生を心から尊敬していらっしゃるらしい。

それにしても、根気強く、丁寧に、積み上げた、 素晴らしい業績。

敬意を表し、日本の誇る牧野富太郎先生を偲びたい。  合掌 

 

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鏡開き/落合恵子先生の講演会に感動

2007年01月11日 22時20分05秒 | 絵本・愛読書・文学・書籍類

平成19年1月11日(木) 朝は、3℃、日中は、10℃。

いよいよ今日は、楽しみにしていた二つの[研修会]の日です。

東京から、はるばるいらっしゃる落合恵子先生をお迎えに

福岡空港へまいりました。

事務局の鮫島さん、教育研究委員長末益先生のご配慮 ご尽力で

八幡西区「K2旅行社」へのチャーター車は、マークXではなくて

少しでも快適にと「白いトヨタクラウン」にグレードアップ

で、河野ドライバーと7時過ぎにはスタンバイ。

で、不測の事態を想定しながら

予定を少し早め出発いたしました。

八幡インターから高速にのり、市内までは渋滞もなく快走。

福岡空港第二ターミナルに 無事に 約1時間も前に到着。

落合先生のANA便は、予定通りに 9:35到着。

「歓迎メッセージ」の掲示を掲げつつ ワクワクお待ちしていましたら

右手前からスッスッと パンツスタイルで現れ 一目でわかった。

「恥ずかしいから~直ぐ私の名前は しまってください!」

「九州は意外と寒いわね~」とおっしゃり、

「では、ご案内をよろしくお願いいたします。」

と丁寧に一礼され、発車でした。

早速、北九州市八幡西区相生町の生涯学習センター大ホールへ

河野さんは安全運転でスムーズ

往路は まず、自己紹介。その後、やや緊張気味。

昔のベストセラーご著書『スプーン1杯の幸せ』を皮切りに

二つの講演会の『テーマや目的』を確認し、

しっかり流れを打ち合わせしてから、

北九州市長選挙情報や 

昨今の子育てについて、

イジメや虐待などの話も…

次々に話題を変え… 

わりあい気楽に過ごしているうちに到着。

  著名人なのに 意外に 全然気取っていない。安堵した。

非常にデリケートな所と勇猛果敢なポジティブな所と同居!

なぜ、多忙を極める日程のなか、一日だけ時間を割いてくださったか?

それは、落合先生と私だけが感じる波長みたいなものがピッタリ来たから

この、運命的な出会いに感謝し、巡り会えた喜びでいっぱいに

考え方や、感じ方がよく似ている

昨年の夏に せいがの森保育園藤森平司園長先生に出会った時にも

感性が似ている部分が沢山感じられ、嬉しく思った。

価値観の共通している居心地の良さ

講演の最中も まさに 一言一言が感動の連続で、

元気づけられ 勇気百倍の気分でした

午前中の「八幡西私立幼稚園PTA研修大会」は、

今まで、例年 参加者が減る傾向で、

会場をいっぱいにするのに苦労していたが、

今回平成18年度は、600人定員の会場が予定外に参加者が増えて 

最後はいっぱいになっていた。

 第一部 PTA大会  司会 八幡西PTA副会長 田口朋子

     開会の辞 八幡西PTA理事 藤田香世

     会長挨拶 八幡西PTA会長 田仲恵理子

     八幡西私立幼稚園連盟会長 眞田宏昭

    来賓紹介 八幡西PTA理事 中川貴子

    来賓祝辞 三原・縣(あがた)・松尾・佐々木・柴田

    愛の花輪  指揮 荒木祥子

 第二部 PTA研修会 

    講師紹介  八幡西PTA副会長 立花千恵子

    講  師  作家・東京家政大学特任教授

           落合恵子先生

    演  題 『子どもと大人、同時代を生きる

   閉会の辞   八幡西PTA理事 古賀綾子

 

 午後の人権同和教育研修会』は、

小倉北区 パークサイドビル9階 大会議室で

実施されました。同じく講師は 落合恵子先生

 演題『いのちの感受性2007・・・・・21世紀の人権

まず、参加者の年齢を聞かれ、エイジング(加齢)による差別について

年齢から自分を解き放ちましょう」と、お話がスタートしました。

つまり、年をとることはマイナスではない年々積み重ねてきた経験は

お金では買えない貴重な財産。向上心に燃えて年輪が大きくなる喜び

参加者の園長・理事長・事務職・主任・教諭の約80名余りは、

熱心に引き込まれて 聴き入りました。

62才にしては、桁違いのものすごいパワーで 幅広くご活躍。

そして、自宅での認知症のお母様(83才)を7年間在宅介護中。

回りの方々に、しっかり感謝しつつ、サポート態勢~

私を産んでくれ、この世に生を授けてくれた人。

慈しみ育てて、この上なく 無条件に愛してくれたから、

今度はお返しの時至り、決して人任せにして 放ってはおけない。

抱きかかえ さすり、語りかけ、自ら介護を…お見事敬服です

その様子は

母に歌う子守歌・・・・・わたしの介護日記』(朝日新聞社) に連載続行中です。

お話の最後にキャロル・キングYou've got a friend 』の歌を

BGMに、その訳詞を 心を込めて 暗唱くださった。

力強い。とても聴きやすい声!

流石に 昔、「レモンちゃん」として 一世を風靡したアナウンサー

 

年末に

シンガーソングライターのアンジェラ・アキさんの歌う

透明感のある声のWe are all alone』を

NHKTV「英語でしゃべらナイト」で 聴き、

勇気づけられる思いがしました。

心に響く歌でした。

が、

今回、落合先生ご紹介の

キャロル・キングYou've got a friend 』の歌を聴くともっともっと

深いな…と 感じました。

 

子どもにも、大人にも、

失敗の連続で挫折したひとにも、

不幸な涙にくれているひとにも、

失恋した人にも、

リストラにあったひとにも、

色々辛いことが多いけれど、

決して 自ら 死なないで…

諦めないで…

希望を捨てずに…

あるがままのあなたを 

まるごと受けとめ、受け入れて、愛する。

 

傷ついて、小さなことに迷う、そんな自分が居る。いいじゃない。

「世界中の人があなたを非難しても、あなたには 私が、いるよ。」

「年老いても、咲き立ての薔薇のように…」初々しさが大切ともおっしゃった。

大事なものを、少なく持って… 欲張らないで、

まだまだ、開いて行かなくちゃならない窓がある

まだまだ際限なく、書き留めたいことが 次々溢れてくる…

が、このあたりで…話題を変えましょう。

 

鏡開きの話題に移る事にしましょう。

お正月にお鏡餅を据えてお祝いをしていたが、

もう、今日は、ぜんざいを炊いて、餅を入れて、全職員でいただきました。

子どもたちにも少しずつ食べさせたい気がしましたが、暖冬で、

ノロウイルス食中毒も危惧され、なるべくセンターで調理した

安全性が保証されているものに限り、口に入れさせる方針です。

やや神経質過ぎると思われるかもしれませんが、安全第一主義です。

それぞれの、ご家庭で、どうぞ、ご家族揃って、お飾りを下ろし

アツアツのぜんざいやお汁粉を召し上がれ

子どもも大人も  皆さんFight

            

  自分の足を踏まれないように

 人の足も踏まないように

 足を踏まれている人を見たら 傍観しない

 「アンジュール」の絵本を どうぞ、一度はよんでみてください。

というよりも、言葉が書いてない…!!!

 

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グリム兄弟の兄ヤーコブの業績を偲ぶ…

2007年01月05日 20時46分47秒 | 絵本・愛読書・文学・書籍類

平成19年1月5日(木)日中は、12℃。

いつものようにS事務所へ。いよいよあと30日その後、園へ

預かり保育「楽器作り」「かるた」をして楽しみました。

 

  昨日、誕生日でご紹介したグリム兄弟について

 偉大な業績を偲びたい。

1785年1月4日生 ヤーコプ・グリム

(ドイツ『グリム童話』で有名なグリム兄弟の兄)

 彼の父が官吏としてその地に赴任したので、

子ども時代をシュタイナウ・アム・シュトラーセで過ごした。

彼は1798年弟ヴィルヘルムと共にカッセルのリツェウムに入学。

1802年彼はマールブルク大学に入学、優秀な成績で主席で卒業。

フリードリヒ・フォン・サヴィニーの元で法学を学んだ。

彼の法制史の研究とヴァッハラーの講義により、

彼はドイツ語と独逸文学の歴史的な発展に注目。

サヴィニーが、1804年中世ローマ法の研究のためにパリに赴いた時、

あとからグリムを呼び寄せる。

しかし、グリムはまもなく法学の研究に嫌気がさし、書簡でサヴィニーに

自分はドイツの古い文献の研究に生涯を捧げたいと打ち明ける。

1805年9月、母の居るカッセルの実家に戻り、彼は兵学校に職を得るが、

一年とたたない内に職場が解散され、職を失う。

1808年、母親が亡くなった後、家族を養う必要が生じ、

ウェストファーレンの国王ジェローム・ボナパルトのもとで図書館員の職を得る。

1809年2月には、国家顧問(Staatsrat)にも任じられた。

余暇を彼は古いドイツ語による詩歌や言語の研究に費やした。

1806年以降は、病弱な弟ヴィルヘルムと共に童話の聞き取り調査を行い、

それを清書し、編集した。

ヘッセン選帝侯国の再建と共にグリムは、

王の私的図書館員としての地位を失ったが、

なお復帰した選帝侯の外交スタッフの中に引き続き地位を与えられた。

1814/15年のウィーン会議でヘッセン選帝候国の特使秘書として彼は働き、

その後パリで奪われた芸術品のヘッセンとプロイセンへの返還交渉も短期間行う。

この時期、彼はスラヴ語の勉強も始めている。

1815年に、文学史や言語学研究に打ち込むため、外交官の職を辞任。

その一年後、彼はカッセルの図書館の次席図書館司書となる。

弟ヴィルヘルムは、1814年に既にそこの図書館司書の職についていた。

1829年主席図書館司書が死去した際、

グリム兄弟はその後任に…と期待したが、

その願いは叶わず、2人は新たなポストを探し始める。

1830年ヤーコプ・グリムは、ゲッティンゲン大学から教授での招聘を受ける。

ここで彼は1837年ゲッティンゲン7教授事件に連座し、その地位を奪われ、

追放処分になる。

1841年プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム四世の招きでベルリンに移り、

プロイセン学士院の一員に推挙され、ベルリン大学で法学の講義を担当。

また、1848年のフランクフルト国民会議では、議員として名誉席を与えられた。

彼はその死に至るまで約20年間ベルリン大学で教鞭を採り、

そこでその弟と共にドイツ語辞典(Deutsch Woerterbuch)の編纂に携わった。

これは彼がマルチン・ルターからヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

に至るまでの著作から集めてきた近代高地ドイツ語の語彙のすべてを

網羅するものであった。

ドイツ語辞典はその膨大さから、グリムの死後100年近くたって、

冷戦時代の東西両ドイツの協力を得てまで完成した程である。

弟ヴィルヘルムと共に彼は、ゲルマンの古典文献学、ゲルマン語学、

そしてドイツ文献学の基礎を築いたといわれる。

「ドイツの職匠歌人の歌について」のような論文は、

カール・ラッハマンの研究と並んで、

中世のドイツ文学の第一級の不朽の業績と見做されている。

また、『ドイツ神話学』において、

彼は現代に至る比較神話学や民俗学の基礎をも築いた。

ヤーコプ・グリムは、自らの立場を貫徹するためには

論争や競合する場合には誹謗も辞さず、徹頭徹尾

真正面から渡り合うことを自らの学問のスタイルとした。

ドイツ語の文献学、即ち今で言う「ゲルマン学」の創成期の神話には、

フリードリヒ・ハインリヒ・フォン・デア・ハーゲンと

ヨーハン・G・G・ビュッシングに対する所謂「学問戦争」も含まれる。

グリム兄弟は、

その共同作業の産物である

グリムの子どもと家庭の童話』(全2巻、1812年-1815年)と

『ドイツ語辞典』(1838年- 、第1巻 1854年)により

その名を知られるようになった。

グリム童話が出版された時代、ドイツでは

シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)と呼ばれる文学運動が発生、

ドイツ固有の文学の見直しが叫ばれ、民謡や童話に注目が集まっていた。

その結果、様々な民謡集や童話集が発行されたが、

その大半は編者による改作を受けており、原話とはほど遠くなっていた。

そのため、グリム兄弟は資料性を求めて独自に童話の原話の蒐集を始める。

1810年頃、ブレンターノから童話集出版の話を持ちかけられた兄弟は

草稿を貸し出すが、ブレンターノはこれを紛失し、童話集の話も流れてしまった。

(20世紀に入って、この草稿はエーレンベルク修道院で発見されたため、

『エーレンベルク稿』と呼ばれる。)

後に兄弟が自分たちの手で草稿の写しを元に

1812年(第2巻は1815年)に発行した童話集が

『グリム童話』の愛称で知られる『子どもと家庭の童話』である。

初版発行時に文章の拙さ(兄弟が無学な女性から聞き取ったためとされた)や

性的表現に対してクレームが出たため、数度改訂が行われた。

日本でグリム童話が初めて紹介されたのは1924年(大正十三年)で、

翻訳家、金田鬼一氏の手により完訳(断片、方言物を含む)。

今では計248篇ものグリム童話を手軽に読む事が出来る。

また、初版の訳本も出版されている。

フランスの『ペロー童話集』とは、同じ物語も収録されており、

しばしば比較研究の対象。

後世の研究により、グリム童話集は長い間信じられていたような

「ドイツの農家の文盲のおばあさんから聞き取りをして、

改変せずに出版されたもの」とは程遠いというのが、

今日では通説になりつつある。

グリムは版を重ねるごとに、物語を少しずつ改変(再話)している

(例えば、「白雪姫」の実母を継母へ変更)。

又、物語の採集元となった人物も少しずつ明らかになってきており、

文盲の老婆などというのは一人もいないのではないかとする意見もある。

ハインツ・レレケらの研究から例を挙げると、

「フィッチャーの鳥」「めっけどり」「三枚の羽」などの提供者

フリーデリケ・マンデルは、牧師の娘でフランス語を自由に操り、

文学的教養も非常に高い。

「一緒に暮らした猫とネズミ」「マリアの子ども」の提供者

カッセルの町の薬局の夫人ドロテア・ヴィルトとその娘は、

ヴィルト夫人の父親はスイス出身の解剖学教授であり、

母親は有名な言語学者の娘である。

又、「赤ずきん」「いばら姫」「盗賊のお婿さん」などの提供者

マリー・ハッセンプルークとその妹たちの父親は、

ヘッセン選帝侯国の高級官僚である。

このころ、ペローの童話集はすでに刊行され、

一部の作品についてはドイツの民話を採集したか疑う意見もある。

しかし、民話研究者にとっては引き続き見逃す事の出来ない

貴重な資料である事には間違いないであろう。

KHM 47 「百槇の話(びゃくしんのはなし)」のように、

マザー・グース」と共通するモチーフが見られる例もある。

また、ヤーコプ・グリムは、

1822年「第一音声推移」を書いて、

最初の発音法則を定めた。

アングロサクソンの国々では、

これはグリムの法則として知られているものである。

ドイツ語勉強に欠かせない概念、

ウムラウトや強変化・弱変化もヤーコプの造語である。

 ドイツ語辞典の「実り」(Frucht)の項を書き終えて、

ヤーコプ・グリムは、生涯独身で1863年9月20日に満78才で亡くなった。

彼は、ベルリン-シェーネベルクの旧聖マテウス墓地の名誉墓地に埋葬された。

彼の遺稿、並びに彼の書き込みのある蔵書の書籍の大部分は、

ベルリン国立図書館(SBB-PK)に収蔵された。

彼の名前にちなんで命名されたヤーコブ・グリムスクールがカッセルにある。

大人になるまで成長した兄弟としては男5人、女1人の6人兄弟であったが、

通常は後世にまで名を残した長兄ヤーコプと次兄ヴィルヘルムの二人を指す。

(今日では末弟で画家のルートヴィッヒも含むこともある)

ヤーコプは弟ヴィルヘルム夫妻と同居し、兄弟コンビとして活躍したが、

グリム童話集ではルートヴィヒも挿し絵を手がけている。

  かえるの王様

  狼と七匹の子山羊

  ラプンツェル

 ヘンゼルとグレーテル

 灰かぶり(シンデレラ)

  赤ずきん

  ブレーメンの音楽隊

  白雪姫(雪しろ姫)

 などは代表的で、

誰もがくり返し親しみ

わくわくドキドキとイメージをふくらませ

その世界が広がった~思い出の童話

子どもたちにもくり返し読み聞かせを 

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初夢・お屠蘇・お正月の遊びの意味は?

2007年01月02日 21時29分44秒 | 子育て

平成19年1月2日(火)昨夜から雨が降り始め、

今日は、しっとりしたお正月になりました。

初夢を話題に、お昼に集まった親戚一同と、賑やかに

屠蘇を年の若い順にいただき今年の抱負を語り合いました。

屠蘇とは、 一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む薬酒 で、

酒やみりんで生薬を浸け込んだ酒。

正式には「屠蘇延命散」と言い「屠蘇」と書きますが、

これにも意味があります。

ひとつに「屠」は「屠(ほふ)る」、「蘇」は「病をもたらす鬼」

という意味で、すなわち鬼退治。

あるいは「屠」は「邪気を払う」、「蘇」は「魂を目覚め蘇らせる」という意味など、

微妙に違う解釈がいくつかあるようです。

 いずれにしても邪気を払い無病長寿を祈り、

心身ともに改まろう、という願いを込めていただく、

お正月ならではのセレモニー酒です。

 

 この習慣は中国で始まったと言われています。

 これも諸説ありますが、

三国時代の魏の名医・華蛇が考案したという説が有力。

唐代に仙人が考案したのだ、という説もあります

(仙人の住んでいた洞窟が「屠蘇庵」なので「屠蘇」という)。

 日本には平安時代に伝わり、

嵯峨天皇の頃に宮中の正月行事として始められ、

江戸時代には一般に広まりました。

 
飲む順は、地域により異なるらしい。
 
 
さて、正月の戸外での代表的な遊びと言えば、

凧上げと羽根突きでしょう。

こま回しやまりつきは正月以外でも行われるが、

凧上げと羽根突きは正月だけの遊びですね。

実は、この二つの遊びは陰陽道を踏まえた

正月の魔術であるともいわれている。

特に凧上げは、陰陽師が嗣子相伝してきた秘儀であったらしい。 

まず、羽根突きについて。

「羽子板」は「こき板」で、

「こき」とは「扱き」「放き」であり、強くしごきこすること。

「突き」は打ち突き放すという意味である。

何をか? 羽根を です。

羽根あるものとは鳥であり、鳥は「酉」の事。 

つまり、羽根突きとは…

「酉」を力強く撃ち放ち合う儀式(のちに遊技化)でした。

何のためにか? 春を呼ぶために。

「羽根突き」は、元々は 「正月を招き迎える魔術」でした。

この意味は、後で明らかにしましよう。 

さて、

凧上げですが、「たこ」上げというが、これを辞書で引いていくと、

別名「いか。いかのぼり」とある。

ともに長い足が特徴で、その姿からの命名であることがわかる。

実は、「いか」が古くからの呼称で、関西でそう呼ばれていた。

それに関東が対抗して呼んだのが「たこ」という名である。

 では、「いかのぼり」とは何か。

また辞書を見ると、「紙鳶」や「紙老鴟」と漢字が当てられている。

紙で出来た「トンビ」である。

凧は中国起源だが、もともと足のない形だった。

これを安定させ、トンビのように空高く上げるために足が付け加えられ、

いかの姿となったわけだ。

 ここからが本題である。なぜ正月にいかを空高く上げるのかだ。

実は、「いかのぼり」の姿は、陰陽五行説の「火」気の象徴なのである。

 

ここで、陰陽五行説の説明が必要ですね。 

世界は陰陽の二気から成り立っていると言う考えです。

陰陽は交合し、天においては太陰(月)と太陽(日)となり、

地においては木・火・土・金・水の五気となって万物を形作った。 

五気は世界のすべてに流れる原理であるという考えです。

干支(えと)と複合して、方位、年月日、時間など

ありとあらゆるものの支配原理であるが、とりわけ季節を支配している。

また、

五気はじゃんけんのように循環的な相互優劣関係(相剋・そうこく)と、

循環的な相互生成関係(相生・そうじょう)をもっている。

(注1)相生と相剋 
 
相生 木→火→土→金→水→木  前の気が後の気を生む  
相剋 木→土→水→火→金→木  前の気が後の気を剋す(殺す)

 季節の五気(五時)については、

春・夏・秋・冬にはそれぞれ木・火・金・水の気が配当される。

そして春夏秋冬の、それぞれ終わりの半月ほどには土気が入る。

四季の始まりを告げる立春など四立の前、

約18日間が土用という季節なのである。

(注2)五時と五気と月の十二支 
 
春  木気  寅・卯・辰(1~3)月  
夏  火気  巳・午・未(4~6)月  
秋  金気  申・酉・戌(7~9)月 
冬  水気  亥・子・丑(10~12)月  
土用 土気  辰・未・戌・丑の各後半、約半月間

手元にある2007年の暦で言うと、

立夏が新暦5月6日(旧暦4月20日)で、

立秋が8月8日(旧暦6月26日)。

そのうち、

新暦7月20日から8月7日まで(旧暦閏6月7日~6月25日)の

18日間が土用となる。

土用中の丑の日、7月30日(旧暦6月17日)が

例の「うなぎ」の日である。

夏は火気である。夏の土用は燥いた土気となる。

これを中和するため、湿った土気である冬の土用を取り込むのが、

土用の丑の意味であるらしい。

丑とは、12月であり牛であるが、「う」がつくものならと、江戸時代に

平賀源内が一計を案じて「うなぎ」をPRして一般に食するようになった。

さて、話を戻そう。

冬は水気であり、春は木気である。

しかし、冬の土用が立春前にやって来る。

土気は金気を生む(「土生金」の相生)。

そしてその金気は木気を殺す(「金剋木」の相剋)。

木気は植物の性であり、農耕を支える気である。

そこで、春である正月を無事に迎えるため、

金気を封じることが必要になってくる。 

金気を制するのは火気である(「火剋金」の相剋)。

火気をさかんにすることによって、

木気を剋する金気の作用を殺すことができる。

事実、そういう迎春戦略が練られたのである。

火気は字のとおり「炎」である。

そして炎は三角の形をとる。

これが「いかのぼり」の形である。

いかのぼりとは、火気の象徴なのである。

もう一つある。

三合(さんごう)というものだが、

五気は、それぞれの四季の領分以外でも働いている。

火気は、夏(旧4~6月)を領分とするが、

その気の始まり「生」は正月(1月)にある。

そして次第にさかんになって、夏の5月に「旺」を迎え、

立冬前の9月に「墓」となり、消える。


(注)三合 火気と土気の 「生」→「旺」→「墓」  

火気 夏 寅→午→戌(1→5→9月)  
木気 春 亥→卯→未(10→2→6月)

だから

正月に火気を持ち出すことは、陰陽五行の理によくかなっている。

三合で言えば、

木気は10月に「生まれ」、2月の「旺」に向かって育ちつつあるもの。

火気は自ら「生まれ」ることによって、木気を扶翼し金気を剋殺している。 

火気の性は「炎上」と言って、(燃え)上がるものである。

火気の姿である三角形のいかのぼりを空高く上げることは、

まさに火気をあおり、金気を制し、ついには木気をさかんにすることになる。

 さらに

子どもが「いか」を上げる。

その時に、「いか」を見るため、目線を空に向けると自然と口が開く。

ここにも陰陽魔術が隠されているとのことです。

子どもは「土気」で、口を開くと「金気」が生じるが

(「土生金」の相生。「口」は金気)、

視線の先には「いかのぼり」=「火気」があり、

空高くから子どもをじっと見下している(「視る・見る」は「火気」)。

火剋金、すなわち火気が金気を剋殺している図が、

正月における子どもの「凧上げ」の姿なのだそうです。

 

以上の凧上げに比べ、羽根突きは直截的である。

初めに述べたように、

「酉」を文字どおり強く撃ち放とうとするものであるからだ。

酉とは8月のことで「金気」の「旺」である。

つまり、「金気」を打ち砕こうとしているのである。

ここにも「木気」の敵である「金気」を撃ち、春を招き呼ぶ姿がある。



五行は自然に循環する。すなわち、季節はめぐる。

しかし、季節の推移を自然とともに引っ張り寄せたり、

邪魔なものは撃ちやるというのが昔の流儀であった。

 そういう季節や自然に対する戦略が

「年中行事」の本義だったらしい。

陰陽師とはそういう戦略家であった。

だからこそ、「凧上げ」は秘儀として意味は告げられず

都の男童に託されて行われてきたのであるが、

それが室町後期から江戸時代には技法だけが一気に流出・流布し、

意味はよくはわからずに 庶民の間にも

「正月の凧上げ」として流行することになったのである。


陰陽五行説の五気には「五行配当表」というものがあるのだが、

これが日本でどう解釈されたのかを解明することは至難である。

吉野裕子氏の解釈を理解し、その意味を踏まえて…と試みたが、

まだ、私は未熟な知識で、要領を得ず、確証が得られない。 

たとえば「鳥」であるが、

実は「金気」とも「火気」ともとれるのである。

おそらく、

解釈の仕方の時代変化があるだろうし、

また時代事情に応じた 対応解釈?

(この場合は「金気」で、あの場合は「火気」という物)

があったのだろうと想像するが、

未熟者の私には不明。如何ともしがたい。

[主な典拠文献] 吉野裕子『ダルマの民俗学』岩波新書

 

もっとも、最近は、「ゲイラカイト」と呼ばれる「洋凧」が席巻している。

奴凧や、手作りの四角い竹製のは あまり見掛けない。

 

羽子板で、羽根突きするよりも、

バドミントンをする子どもの方が多いとも聞いた。

 

今日は、雨が降り、ドンヨリした一日でしたが、

明日は、もう 雨は降らないでしょう。

 早速、戸外で、子どもたちと一緒に、明日は、

凧揚げや羽根突きを楽しみ 春を招き幸運を呼びましょう。

                    

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